落日

 

 赤黒く燃える夕日を背に、瀬人は海馬邸の門をくぐった。普段は日がとっぷり暮れるまで業務に追われる瀬人も、この日ばかりは不本意でも早く帰宅せざるをえない。周囲の人間がこぞって仕事を奪い去っていってしまう、己の誕生日ばかりは。

 

 帰って早々にパーティーの準備に忙しい者達に自室に追いやられた瀬人は、部屋の中心に大きな箱の存在を認めた。小さめの冷蔵庫ほどだが奥行きがあり、大人一人ならすっぽり収まってしまいそうだ。丁寧にリボンがあしらわれている。海馬くん、あのね、今年の誕生日プレゼントなんだけどね、海馬くんは何でも持ってるから、僕自身が世界でたった一つのプレゼントになるね!!小さな恋人の言葉を思い出し、奴が隠れているな?と笑いながら瀬人は箱に手を伸ばす。ある恋人達の甘い逢瀬を、一発の破裂音が中断させた。

 

 

 

 ぱーん。

 

 

 

 祝砲のように軽い銃声だった。遊戯の絶叫が重なり、唇に微笑を浮かべたままの瀬人の意識は壁に埋め込まれたスクリーンに突如として現れた映像に縫い止められた。銃声の度に遊戯の小さな体は赤黒く染まり、瀬人にはどこかもわからない薄暗い倉庫の中に絶望が満ちた。KKKを思わせる滑稽でおぞましい姿の殺戮者から遊戯はひたすらに逃げ惑った。鉄の塊による蹂躙を怖れ許しを請う遊戯の脚を、腕を、肩を、腹部を彼は注意深く撃ち抜いていった。狂ったように泣き叫ぶ遊戯はふいに口にしたのは瀬人の名だった。海馬くん、助けて助けて海馬くん海馬くん海馬くん助けて瀬人くん!!!

 

 ○○-Y0型、1979年。△△-XS型、1981年。□□-AM型1985年……。銃を下ろし、おどけたピエロのように残酷な声色で一人の男が歌うように告げた。ヘリウムか何か吸ったのか奇妙に歪んだ声だ。一呼吸おいて男は続けた。全て海馬コーポレーションが作った武器だヨ? そして海馬瀬人は後生大事に持っているんだヨ、その人殺しの道具をネ?

 

 相手の思惑がわかったからか、或いはもう覚悟を決めたからか、遊戯は毅然と男に立ち向かった。荒い息の下、涙と唾液と汗とそれ以外の液体にまみれた顔を男に向けて気丈にも言い放った。男の言葉が己の海馬に対する想いを損なうことは万に一つもない、と。

 

 男はきゃらきゃらと笑う。笑いながら心底楽しそうに囁いた。ねぇ、これでもかな? 遊戯?

 

 瀬人には男の行動はわからない。遊戯だけがスクリーンに大きく映し出された。はっきりとわかるほどに強張り震え、一瞬泣き出しそうに歪み、最期には柔らかい微笑みを浮かべた遊戯の表情だけが。

 

 

 

 ぱぁん。

 

 

 

 最後の祝砲が遊戯の額を慎ましく貫いた。

 

 なんたる下劣さ! 悪趣味さ! 破廉恥さであることか! 怒りを遥かに上回る恐怖に慄きながらもあえて瀬人はひとり声を荒げた。視線の先には大きな箱。小さめの冷蔵庫ほどの高さだが奥行きがあり、大人一人でもすっぽり収まってしまいそうだ。丁寧にリボンがあしらわれている。

 

 先ほど自分はこの箱の中身を何だと考えた?

 

 ……あんな映像はデタラメだ。我が社のソリッドヴィジョンシステムの焼き直しにすぎん。どこのライバル社がやりおったものか。大体遊戯も遊戯だこんな下劣極まりない映像の間ずっと寝こけるなど。腹立たしいことこの上ないわ。ぶつぶつと呟きつつ瀬人はリボンに手を伸ばした。ガンガンとうるさいほどに鳴り響く警鐘、己自身の第六感に気付かない振りをしながら。

 

 

 

 遊戯、貴様いつまで寝ているつもりだ!!!

 

 

 

 勢いよく空色のリボンを抜き取ると、どこがどうなっていたものか、長方体は数学の図形よろしくゆるやかに展開した。それに従って文字通り永遠に寝ていることであろう遊戯が瀬人に向かって倒れ込んだ。

 

 声にならない悲鳴をあげ硬直した瀬人は遊戯と共に床にたたきつけられた。立ち上がるために手をつくことすらできず瀬人はただ壊れた人形のようにはくはくと唇を震わせている。おそらく染み一つないスーツを暖かいものが濡らしていることにすら気づけてはいないだろう。

 

 その直後かしばらく後か、瀬人の背後にある扉が徐に開かれた。その微かな軋みも、極上の絨毯の上で僅かにたてられる足音も、今の瀬人を振り返らせるには至らなかった。

 

 

 

 誕生日プレゼント、受け取ってもらえたんだネ!!

 

 

 

 映像と同じ、歪んだ声と言い回し。瀬人の肩がびくりと震えた。殊更にゆっくりと振り返った瀬人を白い頭巾を被った男が見下ろしている。暗い光を湛えた男の双眸が何故か愛しい者を見つめるかのように細められた。

 

 瀬人は二五にもなってお漏らししちゃうんダ? 真っ白いスーツだからよく目立っちゃってるヨ? 悪い子だなあ瀬人ハ。お仕置きしなきゃいけないネ!! いたわるように床に横たえられ、纏っていた衣服が剥ぎ取られていくのを瀬人はただ眺めていた。異常としか思えない殺戮者と彼によってもたらされた遊戯の死という限界を超えた恐怖は瀬人の明晰な頭脳と体を凍り付かせ、形ばかりの抵抗すら許さなかった。

 

 瀬人の衣服をすっかり取り払うと、男は至福の嘆息を漏らした。すべらかな肌を嘗めるように見つめそっと手を這わせる。頬から首筋へ。浅く上下する胸を通り腹部へ。下腹部の茂りから中心を避け内股へ。そこで男の表情が訝しげなものになった。僅かなべたつき。だがすぐにその理由に思い当たり彼は満面の笑みを浮かべた。

 

 気持ち悪いよネ? キレイにしてあげるヨ?

 

 生暖かい何かが内股を這いずりまわる。瀬人は反射的に跳ね上がりガクリと首を倒した。瞳孔の開ききった遊戯の眼が瀬人の蒼い瞳を射抜いた。恋人の前で恋人を殺した男に陵辱されようとしている。言い尽くせようもない感情に支配された瀬人の喉がひくりと震えた。

 

 カタカタと震え悲鳴をあげる瀬人に男は大層満足した。ようやく見てくれたノ?と明るく言うや、更に丁寧に舌を這わせこびりついた尿を嘗めとっていく。膝上から嘗めあげ、腿を唾液で濡らす。中心に近づき、露に濡れた先端を今にも含まんというところで男は瀬人を見上げた。

 

 確かに自分が始末したはずの男と見つめ合う瀬人を見た時、男の世界は憤怒に赤く染まった。無理矢理に瀬人を上向かせ、白磁のような頬に拳を叩き込んだ。視界から遊戯を奪われた瀬人は恐慌状態に陥り、それが一層男の怒りを煽った。前髪を鷲掴み強引に視線を交わす。

 

 

 

 あなたが俺を見てくれないからあなたが遊戯とばかりいるからあなたが俺を捨てようとするから俺はなにも悪くはないのに俺にしかあなたは守れないのに俺があなたを誰より思ってるのにあなたの一番そばにいるのは俺なのに俺が相応しいのに俺じゃなきゃ駄目なのに愛してるのに愛してるのに愛してるのにこんなに愛してるのに。

 

 

 

 たった二人きりの家族なのに。今も昔もこれからも。

 

 

 

 頬を腫らしたまま虚ろな眼で揺さぶられていた瀬人の躯が跳ねた。今まで一人の人に言い続けてきた言葉。それをこの目の前の男に言われるなんて。

 

 

 

 そうだよ。

 

 

 

 男が耳元で囁く。いつの間にか歪んだあの声は聞き慣れた低音になっていた。

 

 

 

 違う。

 

 

 

 瀬人が呆然と呟く。

 

 

 

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

 

 

 

 ちがう!!!

 

 

 

 男はきゃらきゃらと笑う。笑いながら心底楽しそうに囁いた。ねぇ、これでもかな? 兄サマ?

 

 

 

 男は頭巾に手を掛けた。

 

 

 

初出:2009/08/23(mixi)