ファウストの懊悩

 セシル帰還の折には、人払いをして自室で待つ。いつからかそれが暗黙の了解となっていた。

 

  苛立たしげに放った兜が、床に置かれた空の酒瓶を割る。不快な音に眉を顰めたのはカインだけで、舌打ち一つ、セシルは闇色の鎧を無理矢理に身体から引き剥がし始めるのだった。

 

  乱雑な手つきに血が滴るのをカインはもう咎めはしない。以前見兼ねて手を出した折、不快と加虐心を露わにしたセシルにその日は破壊を免れていた酒瓶で乱雑に犯されたことは記憶に新しい。全身を彩った陵辱の痕より、子どものように怯えて泣きじゃくった翌朝のセシルが痛くて、カインは胸が苦しくなった。

 

  鉄錆と土埃と男の臭い。時折混ざる仄甘い香は、楔跡の傷に滲む膿からのもの。一糸纏わぬ姿になれば、出立の頃と比べて一層セシルの身体は儚く見えた。

 

  薄笑いを乗せた声が、無造作にカインに投げつけられる。

 

「脱いで」

 

  静かに上着に手を伸ばしたところで、素裸のまま尊大に椅子に腰を下ろしたセシルが態とらしく溜息を吐く。

 

「上はいい」

「……っ、」

 

  躊躇うように手が止まったのは一瞬のこと。羞恥と諦念に目を伏せて、カインは無言のまま下肢を露わにした。ぞっとするほど冷えた、それでいて昏い情欲を孕んだ視線に萎えたものを睨めつけられ、促されるようにしてベッドサイドに腰掛ける。

 

「足、開いて」

 

  後ろ手を着いて男に向かい足を開く、阿婆擦れのような屈辱的な行為に流石にカインの顔が歪んだ。おずおずと躊躇いがちに離れていく竜騎士の膝をセシルの右足が乱暴に蹴った。ようやく満足いく態勢になったのだろう、羞恥に震える親友を鼻で笑ったセシルは足裏でカインの萎えたものを乱雑に揉み上げた。

 

「……ひっ!」

 

  反射的に足が閉じそうになるの堪えたカインの腿が震えた。まだ柔らかい肉茎全体をセシルの足がねっとりと撫で回していけば、甘ったれた吐息が唇から漏れそうになる。器用な足先が双珠を擽り、恐怖と快楽に腰が浮つく。

 

  唇を噛みしめるカインを見て、セシルのそれが忌々しげに歪んだ。これまで散々に曝け出しておいて今更声を堪えるのが気に入らない。ゆるりと勃ち始めた肉の切っ先、滴を零し始めた場所を意地悪く抓り上げた。尖端の小さな穴が苦しげにくぱくぱ開閉して泣き濡れる。その雄弁さと裏腹に喉で喘ぎを殺したカインは石のように押し黙っていた。

 

――つまらない。冷えた不快感とともに、セシルは絨毯を蹴っていた左足を持ち上げた。

 

「んぁっ……!?」

 

 変わらないテンポで裏筋を抓っては突き回しながら、新たに土踏まずで亀頭を捏ねくる。逃げようとした筈のカインの腰はむしろ浮き上がってセシルに媚を売っていた。ぬちぬちとささやかな、それでいてどうしようもなく淫猥な水音が耳までも犯す。

 

「セっ、セシル……もうっ、」

「……どうぞ?」

「っん、くうぅ……! だ、めだっ……ひああぁッ!」

 

 金糸を振り乱して絶頂から逃れようとしたのも虚しく。切っ先を揺する左足はそのままに、先走りを辿った右足で双球を躙られた瞬間、カインはあっさりと欲をぶちまけていた。後ろに付いた手は徒にシーツをかき乱しただけで、声を殺すのにも快楽を散らすのにも役立ちはしない。ぐしゃぐしゃのそこに倒れ込みたくなるのを堪え、カインは己を追い詰めた親友を見つめ返す。

 

 薄らと上気した頬に貼りつく絹の髪。微かに潤んだ碧落の瞳、唇を湿す赤い舌先。一つ年嵩の親友の、こういった生来の美しさが、言葉もなくセシルの全てを責め立てた。

 

 その苛立ちは恐怖にとてもよく似ていた。

 

「んうッ……あ、やめっ、」

「お前が汚くしたんじゃないか」

 

 衝動に身を委ねるままに左足を持ち上げて、寝台の柱に凭れていたカインに押し当てる。頭を振って拒もうとするのを追い回し白皙に精液を擦りつけた。セシルは何も言葉に出したりはしなかったけれど、諦念に目を伏せたカインがおずおずと舌をのばすまで然程時間はかからなかった。白濁と汗と埃に汚れた足にそれを這わせ、甲に浮いた血管を優しく辿る。

 

「っあ……カイン、」

 

 口内に引き込まれた指先を丹念にしゃぶり尽くされて、そこから駆け上る快感にセシルは震えた。放り出していた右足の指がきゅうと縮こまり、伸びた爪がカインの腿を傷つける。竜騎士の利き足に、少しだけ血が滲んだ。シーツに縋っていたカインの手が、筋の張った脹脛を労わるように撫でていた。

 

「……きもちいい」

 

 食い縛っていたはずの場所から零れた言葉を咎める者はいない。それなのにその無自覚の一言に、セシル自身が酷く傷ついた顔をした。もう一度唇を噛み締めようとして、カインの愛撫に吐息が漏れる。性器にするかのように先端をこそげられたかと思えば、指の間をちろちろと擽られ、セシル自身も勃ちあがり蜜を垂れ流し始めている。

 

「カイン、もっ……!」

 

 長い遠征を終えたばかりの身体には過ぎた快楽だった。あっさり絶頂に追い立てられたセシルは、ゆるゆると舐られた場所に歯を立てられて、触れられぬままに精を放った。素裸の下腹が飛沫に濡れ、あまりの倦怠感に襲われた身体は椅子の上の上体を支えることもかなわない。

 

 倒れそうになった痩身を竜騎士の腕が咄嗟に抱き留める。ぐったりと力の抜けた身体が、それでも優しさを拒もうとして弱く身動いだ。それを簡単に抑え込んで、窶れた親友を抱えてカインは湯殿へ向かっていった。

 

 セシルはもうその手に抗うことはない。

 

 ただ血の気の失せた唇だけが、音もなく謝罪の言葉を形作っていた。

 

 

初出:2014/05/20