取り乱した身体を抱いて

 

 あ、と思った時には身体は宙に浮いていた。叩きつけられたのが踏みしめられた硬い地面でなく水面だったのは、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

 

 もしもここが、突発的に生じた豪雪地帯などでなかったのならば。

 

 

 

***

 

 

 

 派手な水音と、それに比例するだけの水柱を上げてカインが湖に落ちたとき、ジェクトはコテージの出口に立っていた。

 

 

 

 やたらと老成した光の戦士やら二人の騎士たちやらのせいで忘れられがちだが、ジェクトこそ最年長の戦士なのだ、流石に子供たちに混じって雪遊びをするほど無邪気には――ラグナとは違って――なれない。それでも息子とそう年の変わらない少年たちの戯れは眩しくて、遠くから見ている分には悪くなかった。無理やり巻き込まれた挙句に案外ムキになるのはスコールとルーネスで、思いの外冷静なのはヴァン。フリオニールは死角を有用するタイプで、ジタンはその持前の身軽さが武器だ。一番馬鹿騒ぎしているのは、ジェクトの予想通り探究心溢れる大人たち――つまるところラグナとバッツだった。

 

 隣に立つセシルが堪え切れず吹き出した。早々にコテージに引っ込んでしまった少女たちの柔らかい笑い声がさざめく。庇の下で観戦する二人の目の前で、雪合戦は乱闘に姿を変えていた。大笑するのは誰よりも雪まみれになったバッツで、彼の繰り出したホーリーが面々を追う。一気に散開する仲間を尻目に不敵に笑ったヴァンが一陣の風でそれを弾き飛ばした。かまいたちが巻き上げる白が吹雪を生み、いよいよ乱闘は混乱を極めていた。とはいえ戦士たちも心得たもので、普段の稽古同様誰かを酷く傷つけるような真似はしない。

 

 だからそれは、不幸な事故であったと言うよりほかない。

 

 ルーネスの放ったプチメテオを、混戦のさなかで打ち返した誰かがいた。渾身の力で弾き飛ばしたのだろう、威力とスピードを増した小さな隕石が向かった先にいたのは、哨戒を終えコテージに戻っていくカインだった。

 

「カイン!!」

 

 水音とセシルの叫び声に、めいめい武器を手にした少年たちと大人二人の動きが止まる。駆け出して鎧のまま水に飛び込もうとする彼を引っ掴んで押し止め、代わりにジェクトが湖にダイブした。

 

 薄氷を叩き割り、冷や水の中を進んでいく。細かい水泡を掻きわけて潜っていけば、そこには胸当てを外そうと懸命にもがくカインが見えた。劣悪な視界の中で金具を弄る右手は、強張ってほとんど動いていないようだった。必死に追うジェクトの前で、半分は兜に隠されたカインの顔が、それでもわかるほどはっきりと歪んだ。苦しげに息が吐き出され、力を失いつつある右手がゆっくりと浮力に従っていく。

 

――あぁ、ちくしょう。

 

 その手を掴もうと手を伸ばすのに、努力をあざ笑うかのように甲冑を纏う身体が沈んでいく。あと少し、ほんのブリッツボール十個分。こんな氷水の中でなければ、瞬き一つで縮められる距離なのに。臍を噛むジェクトに、天ではなく彼の仲間たちが味方した。

 

 水が急激に温かくなる。予期せぬ事態に一瞬だけジェクトは目を見開いて、それからすぐさま力強く水を蹴った。無意識に伸ばされた右腕、艶やかな紫に染められた指先を掠め取りカインを引き寄せて今度は上を目指す。細身とはいえ大層な武具を着込んだ長身の男が重くないわけはないが、水温と微かな水流――細心の注意を払って、最適な強さで水面へと上昇している――がジェクトを助けた。

 

「ジェクト、カイン!!」

 

 ようやく酸素があるところに顔を出せば、心配げなセシルの声が耳に飛び込んできた。彼の後ろではライトニングがきびきびと指示を出している。なるほど先程の手助けは彼女とスコールの炎系魔法、それからヴァンの風のラプチャーかと納得し、ジェクトはカインを彼の親友に引き渡してやった。軽々と彼を引き上げてコテージに抱えていったセシルを目で追いながら、ジェクト自身もようやく湖から出る。

 

「謝ることじゃねぇよ。どいつもこいつも不注意だったってことだろ、お前たちもカインも」

 

 口を開こうとした十七歳二人を軽くあしらって、足早にコテージに向かう。むしろ水中に戻りたいくらい寒いのだ、聞きたくもない謝罪は黙殺した。

 

 

 

***

 

 

 

――サー・カイン・ハイウインド。第四十八代竜騎士団長として、栄光あるバロンの安寧と繁栄に務めよ。

 

――はっ。拝命の誉れ、この身に余るものでございます。

 

――固くならずともよい……期待しているぞ、カインよ。では、誓いの槍を授けよう。前へ……。

 

 

 

 凍り付いたかのように左手が動かない。愛槍を手放せば或いは自力で鎧兜を外し、水面に上がって来られたかもしれない。けれどどうしてもできなかった、共に沈むことになろうとも。乱反射する弱々しい光が少しずつ遠ざかっていくのを、薄れゆく視界でぼんやりとカインは捉える。

 

 それでもいいと思ったのに。意識が途切れる前最後に感じたのは、右腕を引く熱い掌の感触だった。

 

「……っは、あっ……!」

 

「おう、目ぇ覚ましたか」

 

 飛び起きると傍らにはジェクトが腰掛けていた。壁際には甲冑と槍が立てかけられていて、代わりに自身は着慣れた普段着に身を包んでいる。サイドに小さなランプが置かれた簡素なベッドはいつものコテージのものだ。カインの記憶が整理されていくのを、ジェクトは何も言わずに待っている。

 

「……迷惑を、かけた」

 

 絞り出された掠れ声の呟きがジェクトの胸を打って、残響もなく消えた。伏し目がちの青い瞳からは隠せぬ疲労と懊悩の色が透けていた。椅子をベッドサイドに引き寄せ、少し乱れた金糸を滅茶苦茶にかき乱す。驚きに肩を震わせたカインだが、それに抗うことはなかった。毛先に向けて指で梳いてやると、微かに残る湿り気がジェクトの手を冷やした。濡れた髪が張り付くうなじが妙に艶めかしい。

 

「それだけおめぇにとって大切なもんだったんだろ」

 

 すぐに槍のことを言っているのだとわかった。意識を完全に失ってなお、カインは固く握りしめた左手をなかなか解いてはくれなかった。服を着替えさせるために半ば槍をもぎ取りながら拳を開かせたのは他ならぬジェクトだ。カインは小さく首を振った。

 

「不測の事態に何を優先すべきかなど、痛い程わかっているつもりだった」

 

 雲の切れ間から月明かりがその横顔を照らした。純白に覆われた大地に月光が反射して、いっそ不気味ほどに窓の外が明るく見える。

 

 底冷えと姿の見えない侵略者が窓から這いずってくるように――そしてカインを連れていってしまうように――錯覚して、ジェクトは思わずカーテンを引いていた。カインを促して横たわらせると、さらに椅子を引き寄せてどっかりと座りこむ。困惑しながらも、カインの言葉はなかった。上目遣いでジェクトを見つめている。

 

「フリオニールの奴が言ってたんだよ。おめぇのその槍には、二人の男の名前が彫り込んである」

 

――カイン・ハイウインド

 

――リチャード・ハイウインド

 

 唯一の主、その象徴とも言える国章を戴いた二人の名は、カインたちの世界では遠い昔に廃れた言語で表わされている。神話の時代、天から世界を統べる神々に最も近いとされた竜騎士だけが使うことを許された神聖で高貴な言葉。

 

「あいつが古代ディスト語を解するとはな……」

 

 ジェクトによれば、奇妙なめぐり合わせに心を動かされたのはカインだけではないという。フリオニールはむしろ、リチャードという名に目を止めたのだそうだ。ジェクトから父と同じ名の竜騎士の高潔で誇り高い最期を聞き、カインは上掛けを固く握った。

 

「ジェクト……あれは」

 

 瞳を閉じたカインは、相手の反応など求めていないようにも思えた。そのまま自分のペースで話し始める。

 

死んだ父の、遺したものだったんだ。言いながら左腕を持ち上げて、瞼すら覆い隠してしまう。静かな声でカインは続けた。

 

「俺たちの祖国は、八の盤石な軍団を擁していた。それぞれを統べる団長たちだけが国王陛下から剣や槍や杖を賜り、それを携えることができた」

 

 カインが生まれる前から父リチャードが振るっていた恩賜の長槍が、今はジェクトの背後に立っている。

 

「父が死んだ……殺されたとき、身の丈に合わんその槍を両手に父の死に場所を幾日もさ迷った。命に代えても敵を取るつもりでいた」

 

ガキが、よくもまぁ死なずにすんだもんだ、と黙って聞くつもりがつい言葉が零れてしまった。密やかに、息を吐くようにカインが笑った。

 

「死にかけたさ、人間じゃなく魔物に襲われてな。血みどろの俺に陛下は激昂しておられたし、ちびのセシルは大声で泣き喚いていた」

 

 普段からは想像もつかないほどに取り乱した先程のセシルを、ジェクトはちらりと脳裏に描く。彼の泣き顔など見たこともないが、なんとなく想像がついた。

 

「恩賜の槍は没収され、だが二〇のとき俺の手元に帰って来た。竜騎士団長の職を拝命した際に俺の名を入れて陛下が授けてくださったんだ。決して命を無駄にするな、生きていつか父を超えてみせろ、と。亡き父は勿論、国王陛下もまた俺やセシルにとって国父以上の意味を持つお方だった……お方だったんだ……」

 

 柄にもなく感傷的なカインは泣いているわけではなかったけれど、じりじりと揺れるランプの下では酷く不安定で脆く見えた。

 

――こいつ、こんなに小さかったか?

 

“孤独な騎士さん”などと揶揄したこともあったけれどそうですらない、置き去りにされた幼い子供のように、今のカインには寄る辺がない。どうして、とジェクトは記憶を辿ってみる。やたらに注意力散漫で周囲との関わりを避けたがっていた昨日のカインを思い出す。

 

 山麓のひずみで何があった。低音に、瞳を庇う左腕が震えた。ジェクトから顔を僅かに背けたカインに、答える気はないようだった。

 

「あぁ、おめぇ確か……セシルのイミテーション派手にぶっこわしてたよな?」

 

「……っ!!」

 

 反射的に上体を起こしたカインは、出どころのわからぬ怒りに駆られジェクトを睨んだ。跳ね飛ばされた上掛けが音もなく床に落ちる。大人のカマ掛けに対応できない程にはカインも青く、またセシルに対し複雑な何かを抱えているのだとジェクトは推し量った。

 

「馬鹿が。見ちゃいねぇよ、あんなひでぇ乱戦でンなこと気にかけてられっか。おめぇはもうガキじゃねぇんだから」

 

 常人であれば背筋に怖気が走るであろう苛烈な双眸に見据えられても、ジェクトにとってはそんなもの健気なだけだ。兜や腕で覆い隠してしまうか、それでなければ挑戦的に睨みつけるか。そうまでしてカインが見せずにいる瞳の奥の感情を、無性に暴いてしまいたくなる。

 

 あれこれと話し過ぎたこと、理不尽な怒りを露わにしたこと。恥じ入るようにカインは俯いて唇を噛み締めていた。もう何も言うまいと静かに首を振る彼の首筋を掴み上向かせ、薄い唇を覆うようにジェクトは口づけた。

 

「ん、んぅ……!?」

 

 竜騎士は飛竜騎乗のために筋肉を限界まで絞る。厳しい制約の中で鍛えた身体では、不埒な剛腕を押し返すには到底至らない。脚力を行使されるよりも早く、ジェクトは投げ出された脚、腿の上に乗り上げた。頭を抱きこんだまま邪魔な薄布を力任せに――ボタンが皆弾け飛ぶほど強く――剥ぎ取ると、いよいよカインの抵抗が激しくなる。

 

「うぅ……んむ、っん、」

 

 流石に噛みつかれてはたまらないから、素早く舌を押しこんで口内に縮こまる相手を絡め取る。強張るそれを吸い上げながら甘く噛んでやれば、痩身は切なさにびくびくと悶えた。自分のものよりだいぶ薄いけれどバランス良く筋肉に守られた胸部を撫で擦ると、快楽にか嫌悪にかきめ細やかな肌が粟立つ。ふっくらした乳輪を何周か辿るうち、もどかしげな声が鼻に抜け始める。媚びを売るような甘ったれた声に、ジェクトは口の端を吊り上げた。指先が伝える感触はいつしか弾力を持っていた。

 

 カインは息が苦しいのだろう、厚い胸板を叩いては頭を振ってむずかり、首を仰け反らせている。腕の力が徐々に弱まっていくのを感じ、色付き始めた白磁の顔を改めて観察する。夜着越しに背中を下からなぞり上げると、這い上る感覚にカインの肩が跳ねた。

 

 こいつはあのとき水中でも、こんな顔をしていたのだろうか。きりりと顰められた柳眉の下では、熱と苦しさに潤んだ瞳が輝いている。商売女が舌を巻く、ジェクトの雄をどうしようもなく滾らせる媚態だった。眦から一筋雫が流れ落ち、震える指先が二の腕に縋りつくだけになってやっと、カインの唇を解放した。

 

「っは……ジェ、ク……ト!? なに、を、」

 

 荒い息でこちらを睨み上げて虚勢を張る青年が、ジェクトにはおかしくて仕方ない。水を湛えた蒼穹が彼を煽りたてて、誘っているのかと錯覚さえした。

 

 脱げかけで肩を晒すシャツを後ろに捩り上げて腕に巻きつける。力で敵わない相手に拘束までされて、カインの瞳に走ったのはこれまで彼がひた隠しにしてきた感情の一つ――怖れだった。それでいてなお、うろたえずに毅然とした様を保とうとしているのがより一層憐れみを誘う。

 

「うわ、エッロ……」

 

 左胸に手を押しあてれば勃ち上がった粒と、激しい鼓動が感じられる。ざらつく肉厚な掌を故意に擦りつけてやると、喉の奥で小さく悲鳴が上がった。口内でそれを噛み殺したカインの顎を掬い上げ、彼にも理解できる侮蔑の言葉を投げた。

 

「エロいってのはな、いやらしくて下品で、淫らで、淫猥だってことだよ。おめぇみてぇに」

 

「き、さま……っ、あっあぁ、ひィっ……!!」

 

 あまりの言われように激昂して口を開いたカインは、すぐ後悔することとなった。ささやかな快楽の芽に爪を立て捏ねられ、あられもない声が口を突いて出た。いつの間にかヘッドボードに押し付けられた身体は、もう逃げを打つことすらかなわない。男には無用の場所を無遠慮に摘ままれ捏ねられ、先端を小突きまわされるかと思えば根元をぎりぎりと捻られる。

 

「いっ、やぁ……や、めろ……!」

 

 懸命に身を揺するカインに見せつけるように、熱く濡れる舌をゆっくりと寄せていく。およそ人前に晒されることのない首筋を舐めあげて思い切り歯を立てる。そのままべろりと若い肉を舐ると、血と汗の味がした。

 

「ふ……ざける、のも……たいがい、に、」

 

「ふざけちゃいねぇよ」

 

 喉仏に一つキスを落として、舌を伸ばしたまま顔を下げていく。形のいい鎖骨を歯先で擽ると、隠しきれない怯えにカインの喉が引きつった。肉の守りの薄い場所に齧りつこうとして、思い直して吸い上げた。んぁ、と淫らな鼻声が無体を強いる男に媚びる。白い裸体に刻まれた鬱血は、薄闇の中でも気の毒な程に目に付いた。胸筋に滲み、伝い落ちていく汗を啜るように口づけを降らすジェクトの行為を、頑なにカインは否定しようとした。

 

「いっ、ま……なら、まだ……気のまよ、いで……! す、すま……せっ」

 

 凝り固まった粒を揉み解されながらもわななく唇で紡がれる拒否の言葉に、苦い笑いが漏れた。周りの青二才のものとは違う、昏い情欲の炎がジェクトの胸で燃えあがる。

 

「もう遅ぇ」

 

「っやああぁ! やぁ、やめっ……ふっ、あ、あ……あぁあああっ……!」

 

 鼓動の上の乳首を乳輪ごと食んで口内に引き込み、舌と上顎で擦り潰す。挑戦的にしこり勃った場所を襲った淫靡な刺激に、夜の静寂を破る嬌声が溢れ出た。尻の下に抑え込んだしなやかな腿までじっとり汗ばんでジェクトを誘っていた。右側を弄んでいた腕を下ろし、反り返った肉棒を鷲掴みにする。

 

「く……ひいっ!」

 

「胸弄くられたくれぇで女みてぇに善がっちまってよ」

 

「だ、まれぇ……だまれ、だ……っあ! やめ、やぁあ……」

 

 こんなに気分出しといてつれないこと言うなよ、と下穿きと夜着をしとどに濡らす先走りを、更に広げるように塗り込める。堪え切れない嬌声の合間に、ぬち、ぬちと卑猥な水音がジェクトの耳を楽しませた。いたたまれない思いでカインは首を振る。明確な快感の証拠を握られては、喘ぎ混じりの否定などおこがましくて言えなかった。

 

 圧し掛かる身体を跳ねのけようとしていた脚が、今や昂りを隠そうともじついている。結局はそのどちらも叶わずに、邪魔な服は取り払われてしまう。まじまじと恥ずかしい場所を観察された挙句、股間の翳りを梳くように撫ぜられても、自由にならない身体では破れかぶれの罵倒くらいしかできない。

 

「へぇ、下の毛も綺麗な金髪なんだな……漏らしちまったみてぇにぐちょぐちょだ」

 

「こ、の……ヘ……ンタイっ! 気、狂い……っや、はな……せえぇ、」

 

 とば口に息が吹き掛かるほどに顔を寄せられ、不躾に感想を述べられる。快感に羞恥に屈辱に、いよいよカインの双眸から感情的な涙が零れ落ちて、それすらもべろりと肉厚な舌に奪い取られる。自慰とは違う、こちらの態勢など全く考慮していない扱き立てに、混乱しきった涙腺が壊れて後から後から頬を濡らす。切羽詰まった涙声が響き、はたはたと落ちる雫が時折ジェクトの身体に降りかかる。遂に込み上げる解放の望みを抑えきれなくなったカインが、性急な愛撫を施す男に許しを乞い始めた。初めて示された哀願の意は存外幼くて必死で、彼を年相応かそれ以下にすら見せる。

 

「あっひ、んぁ……いやぁ……も、ゆるしてっ……!」

 

 吐精を押し留めようする下腹がびくつく。後頭部を壁に強かに打ちつけたカインは、その痛みにすら気が払えずに泣いている。悦楽の波に繰り返し足元を掬われ、理性でと言うよりは意地とプライドで辛うじて本能を抑えていた。だがそれも、望まぬ奉仕が続けばもたないことがわかっている。

 

「やだ、やめ……っ! もっ、でる、でる……から、っん……くうぅ!」

 

「出せよ、イッてみせろや」

 

「いやっいやぁ……でるっ……! や、あぁ、あ、あっ……い、イクううぅっ!!」

 

 濡れそぼる先端を抉るように弄くられ、開いた手に張りつめた双球を擦り合わされたとき。屈服の宣言も高らかにカインは精液を吹き上げていた。引き締まった薄い腹に白濁が散って艶めかしい模様を描く。耐えに耐えた逐情をついに果たしたことで、身体から力が抜けて上体を支えることすら覚束なくなる。どう、と横倒しになってしまうと、見せたくもない滂沱の涙がシーツに染みて冷えた。嗚咽を聞かれたくなくて、柔らかい布にカインは面を押しあてる。

 

「っひ、く……もう、いい……だろ、こんな……っう、こんなっ……!」

 

 ぐずぐずと鼻を鳴らす彼の顔は、普段の秀麗なそれからは見当もつかない無様なものだろう。それに興味がないとは言えないが、ジェクトは自身の欲望を優先した。

 

 腹から掬いっとった精液塗れの手をカインの後孔に伸ばす。

 

「一人だけ気ぃやっておしめぇか? 俺も満足させてくれよ」

 

「い……いやだっ! ゆる、し……ふぁ、あ、あ、あっ」

 

 絞りに粘り気を押しつけ、指先で引っ掻いては指の腹で熱く捏ねる。ベッドの上で位置を変え、ジェクトは頭をシーツに擦りつけて啼くカインの肩を抑えつけた。先程以上に自由の効かない姿勢では、不埒な侵入者にそこをいいようにされるしかない。性器ですらない不浄の窄まりに潜り込まれ、くぐもった悲鳴が布地に吸われた。

 

「っは……もっと奥にくれって強請ってら」

 

 違う、いやだ、違うとしゃくりあげながら拒絶しても、浅い場所を穿られるとどうしようもない疼きが込み上げてくるのを抑えようもなかった。自分の出したものを、中に少しずつ塗りこまれていく。屈辱と羞恥は全身を焼くのに、抵抗する力も気力も根こそぎ奪われてしまった。残されたのは浅ましい身体と我慢できない疼きだけで、カインにはもはや回らない舌で支配者の慈悲を乞うことしかできないのだ。

 

 それが功を奏さないであろうことは、カイン自身よくわかっていた。

 

「ふあああぁっ……! くぅ、くうぅ……くひぃっ!」

 

 くちくちと入口だけを弄られるのは切なくて仕方がないけれど、怒涛の快楽で襲いかかってくる行為とは違う。出来るかぎり体裁を取り繕おうとして、深呼吸を繰り返す。どうにか少し力を抜いたところを狙って入りこまれた。不意打ちに上がってしまった声は取り消せないものの、その後は喘ぎを押し殺そうとカインは奮闘した。枕を懸命に食い締めると、上がる声そのものは小さくなる。そのいじらしい努力すらジェクトは鼻で笑うのだった。

 

「くぅくぅ啼きやがって、雌犬」

 

「く……うっ、ふぇ、うぇっく……くぅ……ん、やぁ、」

 

 常ならば激昂し狼藉者を切り捨てかねないその発言すら、堕ちたカインを徒に煽り立てる。いつしか中を拡げる太い指は三本に増え、ばらばらに柔肉を揉み上げては責めた。ジェクトの左手は変わらずカインの肢体を這いずりまわり、びくつく身体に淫毒を注ぎこんでいく。だらりと萎えていた筈の若い雄は、再び硬さを取り戻していた。だらだらと先走りが零れ、再びの解放を待ち望んでいる。

 

「いいぜ、もう一回出しちまえ」

 

「いっ、いやだっ! あ、あ……ああぁああっ!!」

 

 下腹の奥で膨張し疼いていたしこりを散々に撫で擦られては、堪える間すらもらえなかった。決してそこに触れないから、見つかっていないものと安堵していたのに――吐精の間も精子を押しだすようにそこを揉まれると、火に焼かれたようにカインは身悶えた。

 

「や、もっ……イッて、イッてる、のに……! いま、出……てるからぁああっ!!」

 

 筆下ろしでもする少年かのようにへこへこと快楽に腰を突き出させられ、子種を受け止める肉筒もないのにカインは全てを放っていた。ちゅぷりと卑俗な音と共に後孔から指が抜き取られたのにも、何ら頓着する気配はない。

 

「そろそろいいか……?」

 

 うつ伏せに尻を高く上げられて、収縮を繰り返す場所に熱い昂りを宛がわれる。もう何をやっても無駄だ、という甘い期待と諦念がカインの胸に満ちていた。ただ体重と衝撃を受け止めるであろう双肩を思うと気が重いが、強姦魔と正常位でまぐわうことなど死んでもごめんだった。せめてもの最後の抵抗に固く目を瞑ると、ジェクトの勃起がゆっくりと突き立てられていく。散々に解された肉鞘にとっても大き過ぎる剛直が、下腹に言いようのない疼痛と圧迫感を齎す。

 

「ぅう……っふ、う」

 

 細く長く息を吐いてどうにか衝動をやり過ごそうとしているのに、萎えねぇな、などと揶揄されては呼吸が乱れる。確かに苦しいはずなのに、二回も吐き出したはずなのに、カインのものは蜜を垂れ流しながらまた勃ち上がろうとしていた。悔しさに後ろ手に縛られた掌に爪を立てても、あえかな痛みは気休めにもならない。真綿でくびり殺されるかのごとく、じわりじわりと肉棒に全てを貫かれる。

 

「あぅ、ああぁ……っ!」

 

 遂に最奥まで暴かれてしまったと。あのカインが悲しみと恥辱に啜り泣いているのに、ジェクトはまだ満足してはくれない。身体だけではなく、心全てを暴き立てて眼前に晒したいという傲岸な欲望が自身を滾らせるのを感じていた。

 

「ひぐっ! あっん、あ、あひぃ……ひゃああああッ……!!」

 

 動くぞの言葉もなしに、カインが慣れるのを待たずジェクトは動き出した。細腰を指の後が残るほどに掴んで中を強く穿つ。汗まみれの背中は白く滑らかだが、女のそれとは明らかに違う。薄く残る幾つもの傷跡、戦いに身を置く者に刻まれていく足跡。数え切れない火傷や凍傷の跡や、人ならざるものに抉られた爪跡こそあれ、刀傷と思しきものはない。武人としてのカインの強さや高潔さが垣間見えて、そんな高名な騎士をいいように甚振る興奮に改めてジェクトの喉がなる。ずん、と中で重みを増したものに、カインが歯をぎりぎりと食いしばった。それもすぐに解ける。

 

「く……んぐぅっ、あぁあっ! あ、や……も……いやぁ……いやだぁあああぁっ!」

 

 獣、それこそ先程ジェクトが嘲笑った雌犬のように後ろから繋がれ、金糸を振り乱してカインは叫んだ。方々に張り付いた髪が仄かな光を放つ。内側でしこった悦楽の釦にはこの向きでは存分に触れてはもらえない。それ以上に、ジェクトはわざとそこを避けているきらいすらあった。決定的な刺激を貰えない内部は、無我夢中で闖入者に縋りつく。ただ中を擦られているだけでは達せない。それを分かっていながら素知らぬ顔で腰を動かす背後の男に、最早カインは殺意すら覚えた。鈴口から肉茎を伝う雫すらもどかしくて辛い。

 

「あふっ……ふ、あぁ……や、お……ねがっ……たすけ……いあああぁっ!」

 

 腰をもじつかせる拙い強請りにジェクトが妥協したのかのように見えた。とば口を摘まみ上げられて寄り合わされると、望んだ刺激に悦びの喘ぎが漏れる。

 

 だが、カインは一つ思い違いをしていた。

 

「そこ、っそ……ちがぁ、」

 

 恥を忍んで懇願しても、決して右手は先端以外を弄ってはくれない。箍が外れたようにいやらしい蜜を滴らせる泉ばかりを執拗にくじられ、喉が引き攣る。肉厚の掌の真ん中で亀頭だけを捏ね繰りまわされると、びしょ濡れの身体を更に汗が濡らした。快感は下腹を渦巻いて双珠を急かすのに、敏感で繊細なところにばかり触れられて不自由な身体が方々に跳ねまわるのに、肝心の射精ができなくて、身を駆け巡る熱にカインはうろたえて泣きじゃくった。

 

「殆ど気違いみてぇになっても出せねぇんだな」

 

「ふうぅ、え、えっく……も、もっ……やらぁ……!」

 

 出したい、イきたいと舌っ足らずにねだる眼下の青年には、ジェクトもこれ以上我慢できそうになかった。組み敷いた身体は震えを通り越して細やかに痙攣している。あまり責めてはカインも壊れてしまうかもしれない。

 

 乱れ髪を掻きあげて、形のいい耳に囁きを吹き込んだ。

 

「どっちがいい」

 

 扱かれて出すのと、ナカ突かれて出すの。

 

 低音に耳を愛撫され、おまけとばかりに舌で耳孔を舐めこそがれる。最後の藁の重みに、背中がへし折れる音がカインには聞こえた。

 

「なかあぁっ!! ナカ、いっぱい……ついてくださっ……っひ、ひゃぁああああんっ!!」

 

 初めて聞く敬語だった。その哀願の啼き声に、ジェクトの背筋に悪寒が走る。野蛮すぎる破壊衝動に身を委ね、カインの身体をぐるりと反転させた。

 

「っは……こりゃ、とんでもねえ婀娜花だ……」

 

 改めて見下ろした若き竜騎士は、酷い有様だった。長らく放置されていた乳首は色付いたまま寂しげに震え、昂りから絶えず吐き出されるカウパーで薄い腹はどろどろに汚され続けている。怜悧な美貌は見る影もなく蕩け、涙に鼻水に汗に涎にびっしょりと濡れていた。胸元にこびり付いていた精液を指に取り、呆け顔に擦り付ける。そのままカインの言葉も待たずに律動を再開した。

 

「ん、あっあっ、あ……! おくっ、きもち、いっ……ふあっあ……!」

 

 最早焦点も合っていないカインの双眸が満足気に眇められる。慄く唇が緩く孤を描いて、彼の悦びを具に語っていた。

 

 前立腺を押し上げながら、一番深いところに熱を叩きつける。合間に胸の尖りを磨り潰してやると、嬉しさのあまりカインは身悶えて啜り泣いた。二人の間で、逐情の瀬戸際に立たされた雄が腹筋に揉まれている。

 

 不意にジェクトの肩に白い腕が回された。背中と寝台に擦れて戒めが解けたのだろう、力の入らない腕をカインが懸命に伸ばしていた。かりかりと、幼けない仕草で肩口を引っ掻く。悦楽の声と幸福に満ちた頬笑み、開き切った肢体。一握の拒絶もそこにはない。

 

 二度目の口づけはカインからだった。いっそ気味が悪いくらい従順に、嬌声を吸い上げられながら嬉々として舌を絡ませ、喉を鳴らし唾液を飲み干していく。本当に限界が近いのだろう、唇を離しても赤い舌が口の端から零れたままだ。

 

「っそろそろ……イクぞっ……!」

 

 下生えが後孔の入り口に当たるまで剛直を突き立てると、引き締まった太腿ががっちりとジェクトを捉えた。錯乱したカインが破れかぶれに大声を出している。

 

「おねがっ、しま……ふぁっ、なかあっ……!! ――さま、の、あひゅいっ……せ……っき、のま、せ……くだっ、あ、やぁああぁあっ!!」

 

「っ……!」

 

 直腸に白濁を叩きつけると、喉を枯らして叫んだカインはぐたりと気を失った。腹の間がぬるつくことを考えれば、気をやったことなど見ずともわかった。それにしても。

 

「なんて顔してんだ、おめぇは」

 

 四・五種類の体液で汚らしく濡れているというのに、自分を犯した男の腕で安らかに眠りに落ちるなんて。呆れと遅すぎる罪悪感から蜂蜜色の髪を軽く梳いて整えてやると、広い胸に身を委ねたカインはむずかるように頬を擦り寄せた。起こしたかと身構えるジェクトの前で、呂律の回らぬ舌で何事か呟く。幸か不幸かただ一言しか聞き取れなかった。

 

「ゴル、べーザ……さま……」

 

 硬直したジェクトにしっかりと抱きつき直し、ついでに筋骨隆々の胸板に愛しげにキスまで落として。頬ずりするカインの要領を得ない喃語は、聞いたことのない幸福に溢れた声で紡がれていた。

 

「マジかよ……」

 

 明日は謝るか、言い訳するか開き直るか、いっそしらばっくれようか。そう考えていたところに知りたくもない衝撃事実が滑りこんできては、流石のジェクトも呆然とするしかなかった。

 

――元はといえば俺が悪ぃ……けどよ……。

 

 呟きは届かなかったのだろう、腕の中のカインは、微笑んだままくぅくぅ寝息を立てていた。

 

 

 

***

 

 

 

 ずっと、温かい掌が頭や背中を撫でてくれていた。

 

 頬をぴたりとあてた左胸から、命の鼓動が伝わってくる。その音と震えを身体で聞きながら心地よいまどろみに身を委ねていたカインは、硬い髪に執拗に頬や首筋を擽られ渋々と目を覚ました。年下の女子供たち――とは言え彼らとて立派な戦士なのだが――の中では悪目立ちするとさえ言える長身が、眠る男の腕の中にすっぽりと包まれている。

 

「っな……!?」

 

 驚愕に眠気は全て吹き消され、跳ね起きたカインは褥を共有する男を呆然と見下ろした。思い切り腕を振り払ったというのに寝汚く惰眠を貪る彼が目覚める気配はない。カインの抜けた空間を埋めようと、寝ぼけた腕が枕を探し当てて引き寄せる。あるべき場所に落ち着けたそれを、男は優しく撫でさすって抱きしめた。

 

「ジェ、ク……ト?」

 

 おぼろげに昨日の記憶が蘇り、カインははくはくと唇を慄かせた。断片的に思い出されるのはいっそ死にたくなるような痴態ばかりで、思考が麻痺して何も考えられない。おろおろ彷徨った視線の先に煌めく愛槍を見つけて、錯乱して思わず手に取りそうになる。

 

――それだけおめぇにとって大切なもんだったんだろ。

 

「っ……!」

 

 穏やかな声が思い出され、激しく頭を振って否定する。あんなに激しく強引に身体を開かれておきながら、今更あんな声に絆されそうになるなんて。馬鹿げている。残滓が全て拭われた、けれどあちこちに内出血の痕や歯形が残る身体に引っかけるものを探すために、カインはベッドから降りようとした。

 

「……カイン……?」

 

「っあ……!」

 

 そのとき、無防備な背中に寝言で声をかけられて。力の抜けた身体が再び寝台にくず折れるのを堪えることができなかった。恐ろしいくらい鮮明な――そのくせその時その場所が泣きたくなるほどに遠く曖昧な――過去の記憶が脳裏を駆け抜ける。誰よりも残酷にカインの全てを暴き立てて愛しておきながら、最後には振り向くこともせず去っていった黒甲冑の男。

 

――カイン。

 

――お戯れがすぎます……ゴルべーザ様。

 

 行為のあと湯浴みに向かうカインの背に、薄く笑いながら呼びかける。腰や脚に絡みつく腕を軽くいなして、シーツを肩にかけて湯殿に向かう。遠い日の閨の睦言。思い出されること一つ一つが懐かしめないほどには未だ鋭く、カインの心に突き刺さった。

 

 涙が、後から後から頬を濡らす。

 

「くっ……う、ふぅっ……!」

 

 食いしばった歯の隙間から堪え切れない嗚咽が漏れた。唇を掌で覆い、必死になって押し殺すその手にも熱い雫が零れ落ちて腕に伝わっていく。

 

 荒れ狂う自身の感情と向き合うのに必死で、ジェクトが目覚めたことにも気がつかなかった。

 

「……カイン? ……カイン!?」

 

 背後からにじり寄ってきた男が落涙を見て狼狽しているが、それに意識をやることもカインにはできない。黙りこくってぼろぼろと泣いていると、脇から柔らかいタオルが差し出された。今更ジェクトとの間で礼儀も見栄もない。何も言わず奪い取って顔に押し付ける。目元を強く擦り続けていると、見かねたジェクトに布を取り上げられた。

 

「……その、悪かったよ。でもよ、あんまり擦ると赤くな、」

 

「うる、さい……!!」

 

 無性に腹が立って厚い胸板を殴りつけた。聞き分けのない幼子のように、握り拳で何度も何度も肩を打つ。

 

「誰がっ、おまえの……せい、で泣くか……自惚れ、るなっ……! た、だ……思い出っ、し……お、まえが、あ、あんな……あんなっ……!!」

 

「あ、あー……」

 

 昨晩思いがけず垣間見てしまったカインの過去。それを思うと、流石にジェクトも返す言葉が見つからない。ゴルべーザを不倶戴天の敵とするセシルと彼は必ずしも意を同じくしていたわけではなかったけれど、だからと言ってまさかあの魔道士が夜伽の相手とも思ってはいなかったろう。唐突に――それもジェクトのせいで――手繰り寄せてしまった記憶に混乱するカインを見ると、なんとかしてやらねばという焦りが生まれた。

 

 遥か昔に、泣き喚く小さな息子にしてやったように。ぐ、と肩を引き寄せて腕の中に収める。しゃくりあげる痩身をさすって宥めてやっても、カインは怒りも暴れもしなかった。とん、とん……と背中を優しく叩けば、振り上げた拳が戸惑いながら黒髪を払いのけ、そのままおずおずと縋りつく。それだけでは飽き足らず、嗚咽を堪え切れない唇が筋肉に守られた肩口に食らいついた。

 

「っ……」

 

 僅かに呻いて、けれど引き離しはしない。容赦なく立てられた歯に破られた皮膚から痛みを拾い上げ、ジェクトはこの青年の胸中を思った。

 

そうしてそっと、カーテンを片手で持ち上げる。月こそ地平線の彼方に消えたけれど、夜明けまではまだいくらかあるようだから。昂ったカインを腕の中で寝かしつけて、もう少しだけ眠ることにした。

 

 

 

初出:2013/02/06(pixiv 旧題:元はといえば俺が悪い)

加筆修正:2013/03/30