愛だけで優しく縊る

 

「っく……ん、」

 

 手の甲を唇に押し当てて喘ぎを殺す。それでもなお衝動が抑えきれず、カインは親指の付け根に食らいついた。利き手の肉にぎりぎりと歯を立てると、妄執的なまでに後孔を解し舐めまわしていた男がすぐさま見咎めてこちらを見上げた。あっさりと片手で口枷を絡め取られ、再びの嬌声が口をついて出てしまう。

 

「あ、ひッ! セ、オ……あ、いあぁっ!」

 

 固くしこった胸の頂を吸い上げられ、相手の名前を呼ぶことすら覚束ない。セオドアの肩を押し返そうとした右手がいつの間にかそこに縋り付いていた。間もなく成人の儀を執り行う青年の身体は、筋肉すら絞って飛竜に乗るカインよりも今や逞しい。捩らせることすら叶わない痩身が駆け巡る快楽に震え、掌に残る歯形を舌で擽られるだけで肌が粟立つ。

 

「噛んだらだめですよって、いつも言ってるじゃないですか」

 

「う……る、さっ」

 

 自分を組み敷いて眉根を寄せる恋人を、カインは竜騎士の全力で蹴り飛ばしてやりたくなる。年下の男――それも自身の部下で、親友の息子で、おまけにこの国の未来の王だ――に女のように抱かれた挙句聞くに堪えない声を上げているなんて、いっそ舌を噛み切りたくなるほどの屈辱だと言うのに。

 

 見下ろす菫色の瞳――白銀の癖っ毛と併せて、腹立たしいほどに親友と“あの男”に似ている――から視線を逸らして、もう一度左手で口元に運ぶ。決して無様な声が出ないよう、今度は掌で唇を覆った。頑ななカインの態度に、セオドアが聞えよがしに溜め息を吐く。その吐息に肌を擽られれば、それだけで焦らされた身体が理性の箍にひびを入れる。

 

 今度は中指に齧りつこうとして、素早く腕を取られた。

 

「あっ、はな……ん、んぅ……!」

 

 拒絶の言葉すら言いきらぬうちに、痛いほどに舌を吸い上げられてカインは身悶えた。圧し掛かられてぴたりと合わさった胸はやはりセオドアの方が厚く、悔しさと息苦しさに眩暈さえ覚える。生意気にも押し入ってきた厚ぼったい舌に上顎を執拗に舐めさすられると、甘い声が鼻から抜けて媚びを売り始めた。意思を裏切る身体をどうにか御そうとカインは呼吸すら抑えようとする。

 

「ん、んぅ……んぁ、」

 

 健気な理性が追い詰められて、はらはらと眦から雫が零れた。ようやく身を起こしたセオドアを睨みつけ、唾液やら涙やらに濡れた顔を拭おうとしてカインは愕然とした――頭上に纏め上げられた腕が動かない。両手首に絡んだ柔らかく細い布が、寝台の端にキツく結び付けられていた。

 

「っえ、あ……?」

 

 いきなりのことに理解が追いつかず、強く腕を引いてみるもやはり動かせない。もう一度、今度は身体を横に揺すろうとして、やんわりとセオドアに止められた。

 

「いくら上等な絹だからって、そんなに引っ張ったら傷がついちゃいますよ」

 

「な……おま、え……!」

 

 今更のようにカインは、やたらと広い寝台の端に放り出したままだった己のナイトガウンに気が付いた。シルクのベルトがどこにも見当たらない。想い人との夜伽でのあまりの仕打ちに、流石に抗議の声が上擦った。

 

「っ正気かセオドア!? さっさとこれを解け!」

 

「カインさんが悪いんですよ、こんなに血が滲むまで噛んだりするから……」

 

 明日なんて言い訳するつもりだったんですか、と歯を立てた跡の消えない手を示され、カインは苛々と歯噛みする。

 

「お前には関係ないだろう! いいか、ら……あっ、あ」

 

 無防備な腋に吸いつかれ言葉はそこで途絶えた。焦れていた身体は愛撫を貪欲に受け取り、細やかな快楽の火で理性を炙る。元よりそこに触れられるのは好きではない。鎧か軍服か、それでなくてもきちりと手首まで覆うシャツをカインは好むから、いつも布に隠されたところが晒されているというだけでなんとなく落ち着かない。それを女の秘所か乳かといった具合で丹念に愛されては、居た堪れなさに体中に朱が走った。

 

 脇腹から腋窩までちろちろと舌先でからかわれたかと思えば、上腕の筋肉を甘く食まれる。隙あらば縛めを解こうとするカインを抑えるためにセオドアの右腕はヘッドボードに伸ばされていて、快感に滲んだ蒼穹がそれをぼんやり捉えた。惜しげもなく厚い筋肉に覆われていて太い――月に帰った男を思い出させるほどに。どくどくと血を巡らせる動脈を唾液塗れの舌に辿られて、涙がちの嬌声が零れた。

 

「ふぁッ、あ……! も、もう、」

 

「もう……?」

 

 知らず哀願が飛びだしそうになっていたことを知らされ、カインは固く目を閉じた。ちがう。ゆるゆると首を振って記憶を振り払うと、再びセオドアを睨み上げる。

 

「挿れ、る、なら……さっさと、いれろ……!」

 

「え、でもいきなりじゃカインさん……」

 

 眉根を寄せた年若い恋人の言葉にやり場のない怒りが湧く。顎から伝って首筋を這う唾液も、鎖骨の窪みに溜まった汗も、こんなにもカインを追い詰めているのにセオドアはそれに気づきもしない。本気で言っているのでなければ左胸を思い切り蹴りつけてやるのに。気遣わしげな表情が演技でないから余計に質が悪いし腹が立つ。

 

 いずれにせよ、もう脚に力など込められたものではないのだけれど。しっとり汗ばんだ両腿を愛おしげに抱え上げられ、カインはぎくりと身を強張らせた。竜騎士の資本ともいえるしなやかなハムストリングスを揉み込まれ、双丘に隠された場所に唇が寄せられていく。また、あんな場所を舌で解されるのだ。恥辱と目も眩むほどの被虐の悦び――本人は決して認めないだろうが――に、昂ったものからたらたらと先走りが零れた。

 

「やっ、やめっ……そこ、」

 

「だめです、ちゃんと拡げないと。まだ入りませんよ」

 

 僕、カインさんに痛い思いだけはしてほしくないんです。冷静さを失わないセオドアの声が憎たらしくて、うわ言をカインは口走った。

 

「い……やだっ! も、はい、る……はいる、からっ……はやくっ、ああぁッ!」

 

 懇願を無視したセオドアの唇が窄まりに恭しく口づけた。カインの震えを抑え込み、舌が秘部を犯し始める。刺激に弱い入口を舌先で抉られ、唾液を塗り込められていく。尻たぶの筋肉をねっとりと揉みしだかれると、下半身が蕩けて自分と世界の境目さえもわからなくなる。拘束された身体では声を抑えられないばかりか快感を逃す手段も講じられず、僅かな身動ぎと共にあられもない声を披露することとなった。

 

「は、ひぃッ……あ! あ、やあっ、ひあああぁ……!」

 

 色欲に狂った腸壁がうねり、剛直を乱暴に突き立てられるのを切望しているというのに、ゆっくりとそこに入っていったのはセオドアの指だった。遠慮がちに一本だけ挿し入れられたかと思うと、ひたすらに丁寧に根元から回される。もどかしさに双球が張りつめ、足先が痙攣し始めてやっともう一本。

 

「っふ……ふぁ、あっ……!」

 

いつの間に用意したのか、香油を秘所に垂らされ奥に流し込まれる。冷たさに身震いしたのは一瞬で、すぐさま熱でとろみを増したそれが柔壁の疼きを耐えがたいものにしていく。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音が体内から響いて、カインは繰り返し頭を振った。甘ったるい、それでいてしつこくない香りが鼻腔を擽る。そこらの遊び女や売女では目にすることすら難しいだろうこの一級品を、幾度も褥で使ったことがある――言うまでもなく、“抱き”“愛でて”“啼かせる”側として。

 

呆け顔に涙さえ浮かべ、だらしなく舌を垂らしては己に縋ってきた女たち。その痴態を思い浮かべ、自分に当てはめると羞恥のあまり死にたくなる。まだ繋がってすらいないのに忘我の境地に堕ちそうになっては、カインは懸命に瀕死の理性に縋った。その寄る辺を打ち毀すように、不埒な指先が柔肉を捏ねまわす。

 

「もうっ、もっ……ひあっ! あ、あんっ、うぁっ、」

 

 昂りがびくびくと震えているのがわかる。息一つ乱していないどころか揃いのガウンを脱いですらいない恋人に、指先と唇だけでいいように喘がされて追い詰められて、カインは今まさに極めようとしている。逐情を抑えんと奮闘する腹筋が、哀れっぽくびくついていた。

 

「こんなっ、おれ……だ、けっ……! いやっ……だ、あ、あぁ……!」

 

 暴れまわる両足をあっさりと抑えて抱え直したセオドアが、小さな声で囁いた。

 

「大丈夫ですカインさん……たくさん、きもちよくなってください」

 

 戦慄く唇が制止の言葉を紡ぐ前に。節くれ立った三本の指が、充血して膨らむしこりを押し潰していた。

 

「ひいいッ! い、やぁあああーッ!!」

 

 すっかり意思と決別した腰が、勝手に浮き上がって跳ね上がる。ようやく吐き出すことが出来た白濁が、高いところから悦楽に染まった面に降り注いだ。己の顔面で精を受け止めさせられても、カインにはそれを拭うことすらできない。ぐったりと脱力した身体を寝台に下ろされ、どうにか体裁を整えようと不完全な深呼吸を試みる。吐精に合わせ指を締め付けていた後孔が緩やかに弛緩していくのを受け、セオドアがようやく指を引きぬいた。

 

 ちゅぷ、と僅かな水音にも、カインは咄嗟に反応できない。滾る肉棒が入口に押し当てられてようやく、襲い来る快楽の予感に身を強張らせた。まだ、絶頂の余韻に酔いしれているというのに、若く漲った怒張がこちらの都合などお構いなしに秘部を暴こうとしていた。狂わされる――期待と恐怖に歯の根も合わぬまま、カインは力の抜けた腰を揺する。結合から逃れようとするその行為は、セオドアから見てどれほどの媚態だっただろう。

 

「やっと……ひとつになれますね……」

 

「や、いやだっ! いま、は……まだっ……まっ――ッ!!」

 

 熱い吐息を一つ零して。下生えが入口に密着するまで一息に貫く。声も出せずに仰け反ったカインを、セオドアはしっかりと掻き抱いた。寝台から浮き上がった背中に手を回すと、汗ばんだ肌が手に吸い付く。蕩けた肉筒に散々にむしゃぶりつかれ引き込まれて、思わずセオドアも眉を顰めた。両親よりも年嵩の、眼下で泣き悶える男を改めて見下ろす。一瞥しただけで心を囚われてしまいそうな、空気さえ染め匂い立たせようとする淫らな姿に我を忘れて奥を突き立てたくなる。

 

「……カインさん?」

 

 辛うじて相手を気遣う余裕を取り戻して、不規則にしゃくりあげる男の名を呼ぶ。は、は、と犬のように息を吐くカインの瞳は今やどこにも焦点が合っていない。閉じることを忘れた唇からだらだら唾液が零れ落ちて赤い舌先がのぞいている。赤く染まった眦、止まらない涙に胸が痛んで、セオドアはそこに顔を寄せた。頬をべろりと舐め上げて目尻にキスを落とす。溢れる涙を直接吸い上げると、最奥を持ち上げるように穿たれたカインが声もなく啜り泣いた。

 

 口周りから顎、首筋まで濡らす唾液も丁寧に舐め取って、呆けた唇に舌を捻じ込む。歯列を舐め上げながら張りつめた乳首を脇から摘まんで擦り潰すとやっと反応が返ってきた。悦楽の悲鳴がセオドアの口内に響き渡る。

 

「んっ、むぅ……ん、んんぅっ!」

 

 金糸の一筋から足の爪先までいやらしい心地よさに浸かりきったカインが、辛うじて脚を持ち上げた。筋肉の張った腰に巻き付いて、弱々しく踵で解放をねだる。娼婦かなにかのような強請りに、知らずセオドアは笑っていた。両方の頂を捻り上げながら口づけから突き放すと、とてもいい――淫猥で、男を誘うような――声でカインは啼いた。

 

「あぁあああっ……! あ、は……ひぃッ、も……もう、ゆるし、て……おかしっ、くな……!!」

 

 セオドアと比べるとやや見劣りするものの、鍛え上げられた筋肉に守られたカインの心臓が頂きを好き勝手に弄ぶ二本の指の下で激しく暴れている。胸筋に押し付けるようにそこを親指で根元から倒すと、竦み上がり仰け反った身体が指先に媚びを売った。ぱんぱんに張りつめたものの先端がセオドアの肌に先走りを拡げていく。とば口を意図せず捏ねられてしまった身体が、理性の箍を弾きとばした。

 

「あっ、あぁーッ! イク……イク、出した、いっ……!」

 

 夢中で腰――正確には逐情に餓える肉棒――を擦り寄せる。胸から腰だけが跳ねあがった不自然な体勢に、ようやくセオドアは戒めの存在を思い出した。結び目の一端を軽く引くだけで、先程までのカインの奮闘を嘲笑うかのようにあっさりとそれは解けた。どこにそんな力が残っていたのか、必死に身を起こしたカインがセオドアにむしゃぶりつく。自重でより深くまで熱く太い鼓動を受け入れて、縋り付いた背中に幾つも赤い爪跡を残し。もう何も考えられない、とただ欲望のままに腰を揺する。

 

「セオっ、なか……! なか、に出し……てくれっ……ふあ、あっ」

 

 カインが頭を振り、首を仰け反らせるたびに陽光の色をした髪が方々に跳ねまわる。淫媚な空気が満ちる王子殿下の寝室で、その金糸だけがどこか清廉とした美しさを残していた。

 

 一房手に取って、口づけて。抱え込んだ細腰を大きく揺さぶった。入口の浅瀬を揉み込み、しこりを怒張で抉り、最奥に先端をのめり込ませる。ぴんと突っ張ったカインの手足。見開いた目、金色の睫毛から涙の粒が散った。

 

「あ……ひぁ、あっ、あぁああああっ!」

 

 のたうつ腰を抱き寄せて、白濁を全て飲み込ませる。糸が切れたようにくず折れた身体を抱きとめ、絶頂に慄く肉壁をセオドアは堪能した。

 

 

 

***

 

 

 

 柔らかい温もりの中に揺蕩う感覚に、カインはゆっくりと瞼を持ち上げた。オフホワイトのひかりが眩しくて瞬きを繰り返す。斜め後ろから聞こえてきたのはセオドアの声だった。

 

「起きちゃいました?」

 

「セ、オド……?」

 

 喉がひりついて思う様に声が出ない。明るさに慣れてきた視界でカインは大理石の白さを認める――広い浴室、バスタブの中で後ろから支えられていた。僅かに驚きはしたものの、もう身体を起こす気力もない。まさかセオドアに浴槽に沈められることもあるまいと、カインは背後の男に改めて身を委ねた。猫のように後ろから擦りつかれると悪い気はしない。だが、一言だけは言っておきたかった。

 

「ああいうのはもう……勘弁してくれ……」

 

 掠れ声の懇願にセオドアが苦笑で返す。その余裕が腹立たしくて、気だるい腕を持ち上げ、後ろ手に短い癖っ毛を引っ張った。痛いです、と笑うのを無視してめちゃめちゃに掻き回す。

 

「だってカインさん経験豊富そうだし……痛くするのは論外ですけど、とにかく気持ち良くなってほしくて、いたっ!」

 

「……お前がどういう下世話な想像をしてるのかよくわかった」

 

 手の甲で額を小突いて溜め息を吐く。セオドアが目を丸くしたのを背中で感じて、今度はカインが苦く笑った。

 

「抱かれたのはお前が初めてだ……セオドア」

 

 本当ですか、と背後で喜色を露わにしたセオドアに向き直ってキスをする。紫紺の瞳から目を逸らして、敢えて居丈高に告げた。

 

「疲れた。さっさと寝たいから上がれ」

 

 当たり前のように泡を流させて身体を拭かせる。自分を軽々と抱き上げたセオドアの胸に何も言わずに顔を寄せた。心臓の上に唇を当てて、声には出さず心中を呟く。

 

――そうだ、お前が初めてだ。こんな風に俺を“抱いた”のは……。

 

 白銀の髪に紫紺の瞳、逞しい体躯。遅い変声期を済ませてしまえば声ももっと似てくるのだろうか。……けれどあれは暴力だった、そこには欠片ほどの愛もなかった。“あの男”の影を振り払いながら、寝台までの短い道のり、カインはセオドアにそっと縋った。

 

 

 

初出:2013/03/31(旧サイト)