聲 後編

 

 時計がないのは幸せか、不幸せか。それすらもよくわからない。

 

「うくっ……ふあぁ……んっ、んぅ、」

 

 いやらしく尻を振って寝台に擦り付けても、秘所の疼きは治まらない。いくら必死に手足を引こうとも傷が増えるだけで縛めが解ける筈もない。塞がれたとば口の僅かな隙間から漏れる粘液に肌を擽られるだけで、呆気なく身体は小さな絶頂にひとつまみの理性を熔かした。

 

「ひぁ、んっ! あ、あ、あぁ……!」

 

 無我夢中で戦慄く腰を持ち上げて、叩きつけるように落とす。勃起がほんの少しばかり跳ね上がっては腹にぶつかるささやかな刺激だけが、今のカインに齎される全てだった。尿道と後孔に塗りたくられた薬は、効果を失うことなく全身を苛み続ける。

 

「あ、やぁ……イク……んっ、イキたい……イキたい……!」

 

 精液を吐き散らしたい……解放を妨げる一枚羽根を抜き去ってほしい……。けれどそれだけでは物足りない。好き勝手に拡げられた窄まりが疼いてひくひくと蠢いて仕方がなかった。熱く太いものでここを刺し貫かれたらどんなに気持ちがいいだろう。どれほど深く官能の真髄を極めることができるだろう。

 

「セシル……お、ねが……イカせて……セシルっ……!」

 

 叶わぬ夢想に打ちのめされながら、カインは淫熱に浮かされては己の支配者の名を繰り返し唇に乗せるしかなかった。

 

 

 

 いつまでそうしていただろう。数えきれないほどの些末な絶頂の果てに、ついにカインはぐったりと寝台に身を預けた。しなやかな筋肉に守られた脚は完全に萎え、腰を浮かすという仕事を完全に放棄してしまっている。

 

 もうどれほど努力しても身体を捩らせることすらままならないだろう。汗を吸った敷布がぺったりと肌に貼りつくのがどうにも不快で、カインはきつく眉根を寄せた。

 

「もう動くのは止めたんだ?」

 

 不意に聞こえたのは涼やかな声で、カインは驚きに目を見開いた。ぼやけた視界には、確かにあれほど焦がれた男が立っている。いくら懇願しても決して外してくれなかった鉄の枷を、セシルは何も言わず外していく。羞恥も憎しみも、哀しみすらもなかった。血塗れの手首に労わりと慈しみを込めて舌を這わされて、幼子のようにカインは泣きじゃくってセシルにむしゃぶりついた。

 

「セシ……セシルっ……セシル、」

 

 寝台の上、力強い腕に半身を抱き起こされる。親友の白磁の面にカインは媚びるように、繰り返し慈悲を乞う口づけを捧げた。浅ましく揺れる腰が絹の上衣に擦り付けられそうになって、セシルは笑いながら身を引いた。

 

「セシルっ……!」

 

 後を追うように寝台を降りて跪いたカインが、着衣の上から無我夢中でセシルの雄に唇を押し付ける。自分で慰めることなど思いつくこともできなかった。ただ目の前に立つ親友――セシルだけがこの正気を叩き壊さんばかりの衝動を御することができるのだと盲信させられていたから。

 

「セシル、たすけて……たのむっ……! セシルっ!」

 

 力の殆どを失った腕がもどかしげに下肢を弄ろうとするのを制して、セシルの手が下衣を寛げた。だらりと萎えたままの象徴を、カインはうっとりと口内に迎え入れる。軟口蓋の終端に切っ先を思い切り押し当てて、嘔吐くのを堪えてやわやわと刺激する。舌を巻きつかせ、唇を窄めては一途に竿に奉仕すると、徐々に肉が成長していく。己を貫く槍欲しさに無心になって口淫を続けるカインを見下ろして、セシルはすみれ色の目を悦びに眇めた。汗を吸い常の艶やかさを失くした金糸に指を絡めると、くすんと鼻を鳴らしたカインが一層懇ろにセシルのペニスをもてなした。

 

「んっ……カイン……!」

 

「ふむぅ、んぶっ……う、んふぅ……」

 

 頭を前後に揺すっては喉奥や舌先で亀頭を愛撫しているカインが、口内で重みを増したセシル自身に柳眉を顰める。塩味のある先走りを啜り飲み下すと、逐情を誘われる動きにセシルの腰がひくりと跳ねた。

 

「カイン……もう……!」伏目がちのカインが頷いて雄をできる限り咥え込む。たっぷりとした双球を柔く揉まれ、小さく呻いたセシルは全てを吐き出した。喉奥に叩きつけられた青臭い白濁を、カインは苦心して飲み下していく。

 

「ふぅ、っん……」

 

 苦しげな、それでいてどこか恍惚とした蕩け顔。セシルが促すよりも早く、零れた先走りに濡れそぼる場所をカインの舌が清め始めた。ん、くと小さく声が漏れ、長身の割にどこか頼りなく細い喉が僅かに上下する。

 

「……セシルっ、セシル……!」

 

 これほどまで追い詰められて寄る辺のない親友の声を、今まで一度だって聞いたことがないかもしれない。力なくへたり込んでいるカインは、もう立ち上がることすらままならない。萎えたものに再び奉仕しかねないのを苦笑して押しとどめ、セシルはその傍に屈み込んだ。

 

「……なっ?」ぐるりと首を囲む、冷えた皮の感触。「セシル……?」

 

「これでいい。これでお前はどこにも行けない……ずっと僕のそばにいるんだ……」

 

 黒革の首輪の鎖を引きながら、セシルは勢いよく立ち上がった。後を追うことの叶わないカインの苦悶の表情を見下ろして僅かに手綱を緩めてやる。騎士としてどころか人としての尊厳を限りなく奪われた挙句、犬畜生のように首に所有の輪まで嵌められて……それでもカインはもう、セシルに逆らうことができなかった。

 

――さぁ、お別れしに行こう。

 

「え……?」

 

 瞬きの度、潤んだ蒼穹が隠れては現れる。青玉に映る困惑をセシルは一切省みることはなかった。

 

「ひぐっ……!」もう一度思い切り鎖を引く。首輪を掴んでいたカインの手が、引かれる力に負けて絨毯についた。いくら前に進むよう促されても、カインの身体はそれに従えそうにない。「無理っ……だ、立てない……いやだっ!」

 

「なら、這ってでも行けばいい」

 

「ぐぅっ……!」

 

「ああ、それとも……」

 

 このままもう一晩、一人でここにいたいのか、と。尋ねられた言葉の残酷さに、カインの身体がガクガクと震えた。

 

「いやだっ! もっ……それだけは……いやだ……!」

 

「じゃあ進むんだ」

 

「っく、うぅ……!」

 

 改めて鎖を強く引かれ、惨めに泣き濡れながらもカインは這い進むより他になかった。立って歩くことも、この場に留まることもできない。ぐすぐすと鼻水さえ垂らしながら、四つん這いのまま前進する。

 

 一枚目の扉の向こうは、つい先日セシルと杯を交わした部屋だった。それがあまりにも遠い過去のように思えて、去来する様々な感情に胸が締め付けられる。けれどそれも一瞬のことで、すぐさま辿り着いてしまった二枚目の扉の前で、流石にカインは躊躇した。

 

 この扉を開けて、悍ましい秘密の部屋から抜け出たとして……そこに待っているのはこれまで以上の恥辱でしかない。今が何時かもわからない以上、戸が開いた瞬間に兵士や宮仕えの侍女と鉢合わせする恐れさえあるのだから。

 

 もじもじと尻込みするカインに、セシルは慰めにもならない言葉を吐いた。

 

「大丈夫。今は深夜だ……騒がしくしなければ誰にも見られやしないよ。……それとも寝台に戻るか?」

 

「っい、やだ……!」

 

「じゃあ、行こうか」

 

 セシルによって重い扉が完全に開け放たれるのを、カインは深い諦念の中で眺めていた。元より陽光の差さない地下の玉座の周りは薄暗く冷んやりとしている。壁の燭台の灯りが届く範囲には人がいない。周囲に怯えた視線を走らせながらも、抗えぬ逐情への希求に自ら室外へ歩み出たカインが、セシルにはおかしくて仕方がなかった。

 

 先導するセシルの靴音と、鎖同士が擦れる硬質な音。普段ならば気にも留めないような些細な物音が酷く耳について恐ろしい。思い通りにならない熱っぽくて重たい身体を引き摺りのたのたとカインが前に進むのを、肩越しにセシルは眺めていた。

 

「興奮するんだ、こんなことで」

 

「ちがっ……!」

 

 いくらか進んだところでそう揶揄されて、反論に思わず荒げた声が存外響いて口を噤む。小首を傾げ、唇に人差し指を押し当てる。幼馴染のその仕草は昔と変わらないものなのに、何故かカインの背筋には怖気が走った。

 

「ならどうして萎えないんだ?」

 

 鼻で笑いながら指し示された事実を否定することだけはできなくて、カインは唇を噛み締める。反り返った勃起は石造りの城の冷気にも、この死にたくなるほどの屈辱にも負けずにそそり立って淫らな涙を流し続けているのだった。時折滴り落ちたそれが絨毯をところどころ色濃くしているのが、僅かな灯りのもとでさえ目視できた。

 

「っふ……うくっ……」

 

 俯いて泣いているカインの顎を、セシルの足の甲が恭しく持ち上げる。

 

「どうする? 戻るか?」

 

「いや……だ……」

 

 そうとしか言えないとわかっていて、わざわざ問いかけては答えさせる。この行為はカイン自身の意志で行われているものなのだと、そう錯覚させるために。

 

 少しの振動にも、尿道に収められた羽根はさわさわと揺れて性感を徒に刺激する。反射的に尻穴が窄められればその中のとろみも揺蕩って無視できない快感を齎した。食い縛っても食い縛っても、悦楽にだらしなく口元はゆるんで唾液が端から垂れそうになる。懸命にそれを啜り上げ、カインはいやらしく尻を振りながら雌犬のようにセシルに付き従い進んでいく。

 

 

 

 一つ扉を開ける度に、階段を上り詰める度に、カインの身体は哀れなほどに跳ねた。素早く周囲に巡らされる怯え切った視線がその都度束の間の安堵に潤むのを、セシルは具に観察している――人払いを済ませてあることを伝える気は微塵もなかった。

 

 上質な敷布が敷いてあるとは言え、その下は堅牢な樫の床板が張られているのだ。這いつくばって進むカインの膝や掌は徐々に擦れて赤らんで来ていた。ここからの道は更に過酷だろう。

 

「さあ、カイン」

 

 示された扉の先にもう絨毯などはない。冷え切った夜の外気に肌が包まれても、しかしカインは粛々と指示に従った。荒い呼吸。俯き気味で前方をぼんやりと見つめる目はどこか虚ろだ。仕立てのいい夜着に身を包まれたセシルすら底冷えに肩を竦めたというのに、火照った身体はうっすらと汗ばんでいる。もう限界が近いのかもしれなかった。

 

「くぅ……はぁっ……!」

 

 犬のように舌を出して。半ば引き摺りながら進むせいで膝下の皮膚は傷つき血が滲んでいた。

 

 それを心の底から気の毒に思って、「……はっ…………」セシルは自身を嘲笑う。気高い空の覇者をここまで無惨な有様に貶めたのは他でもない己なのに。清廉として美しさを捨て去り、肉欲と渇望に支配されたカインがどうしようもなく可哀想で愛おしく、そして気も遠くなるほどに憎たらしい。

 

「そっちじゃない」

 

 いつの間にか足が止まっていたらしい。ふらふらとセシルの自室のある尖塔の方へと進み始めていたカインを、衝動のままに鎖を掴んで引き戻す。喉を潰されたカインが蛙か何かのような無様な鳴き声を上げたのにも、今度は憐憫の情は湧かなかった。

 

「“お別れ”をするんだって言ったじゃないか」

 

 咳き込みながら無我夢中で呼吸している身体を更に引き摺って再び歩み始める。重い木戸を開けて狭い階段を上り切った先は、いつもならば歩哨が立っている見晴らしがいい場所だった――今晩ばかりは誰もいないけれど。

 

「顔を上げて」肌の温みが移っていた鎖の端を冷たい床に落とす。呼びかけに答えたカインが無防備な身体を媚びを売るように摺り寄せた。仕立てのよい下衣越しにも窺い知れるのは、じっとりと熟れて解放を待ち望む肉体の熱だ。「……僕を見るんだ」

 

 これまでもずっとそうだったように、この命令もどこか哀願の響きを持っていた。煌々と照り付ける双月と城壁で燃え盛る篝火のせいで、カインからセシルの表情は見えない。セシルの眼下のカインはそのすべらかな頬を灯火と劣情で赤く染め、ぼんやりと顔を上げていた。

 

「カイン」その絹のような髪に指を絡め、軽く引く。意味を正確に捉えたカインが、親友の身体を寄る辺にして必死に立ち上がる。そうしてよろめきながら立った痩身を、セシルは強く抱きすくめた。

 

「お前はずっと、僕の、そばに、」

 

――いるんだ、と。噛み含めた言葉は最後まで言い切ることができなかった。ガクガクと壊れたように頷いたカインに、唇を貪り食まれてしまったから。何もかも、矜恃も夢も自意識さえもかなぐり捨てて、色狂いの遊女もかくやといった様子で舌をのたくらせてくるその有様に、セシルは胸中で苦く笑った。

 

「んむぅ……んっ!」

 

 唾液を交換しあったまま右手を下に伸ばしていく。ぽってり火照って開かれた窄まりに指の腹をあてると、塞がれた声が歓喜に咽んだ。左腕でくずおれそうなカインを抱き留めて、うねる場所を貫いていく。官能の中心を爪先で刮げるように掻けば、むずかった身体が口枷を振り解いた。

 

「ひあっ、あああぁ……! セシル、頼むから……イカせてくれぇっ!」

 

 泣き濡れ、張り裂けんばかりのものを夜着に押し付けられる。それをセシルは咎めはしなかったけれど、だからと言って希求を叶えることもしない。無言のまま中を探る指を増やせば、カインの懇望はよりいっそう悲愴になった。

 

「もっ、いやぁ……精液っ、精液が出したい……!」

 

 頑是なく駄々を捏ねるカインを半ば抱きかかえたまま膝立ちになるまで腰を落として。落涙の絶えない、腫れた眦にセシルがそっと唇をのせる。その優しさがなんらこの身を助けはしないと知っているから、カインは怯えて目を閉じた。

 

 ちろりと舌先が涙を掬い、そうして頬骨を擽って耳殻に流れていく。唾液をまぶされた舌が狭い場所に潜り込めば、抗い難い快感にカインの首筋が強張った。

 

「あ、あっ、ん……くぅ、んん……!」

 

 聴覚を淫猥な水音に犯される。敏感な壁を弾力のあるもので舐め回される。肉厚な舌には窮屈な穴を無理やりに穿られる。明らかに行為を示唆するその動きに、カインの後孔の疼きが堪え難いものとなっていく。

 

「あ、あ……もう……挿れ、てっ……セシルっ! セシルで……俺を……埋め、て……ひッ! あぁあああああっ!」

 

 硬いオークに背中を強かに打ち付ける痛みすら感知できなかった。冷えた木床に押し倒されて最奥まで暴かれて、吐精なくカインは絶頂を極めさせられた。蠕動する肉の鞘に勃起を散々にしゃぶり尽くされ、流石にセシルも顔を顰める。秀麗な顔が歪み快感を逃そうとするのを、薄い水の膜越しにカインは見上げていた。首の後ろで鎖ががちゃがちゃと喚いている。

 

「ひぁ、あッ! ぐ、ううぅーっ!」

 

 前立腺を押し上げられながら終着を抉じ開けられる。過ぎた快楽に知らず顎が上がり、締め付けられた喉からは濁った悲鳴が溢れ出た。視界を虚ろに上ずらせて手負いの獣じみた唸り声を上げるカインの、ふっくり盛り上がった乳首を捻り潰せば、今度は子犬のように愛らしく鳴いた。

 

「きゃんっ! ひゃ、あ、くぅッ……」

 

「すごい。今、奥がきゅうって締まった……」

 

「ひあっ、ん……! やぁ、やめ……」

 

 小さいながらに立派に勃ち上がった胸の粒は、弄られる度にカインの全身に甘く苦しい痺れを送り込んでくる。特に乳頭の先端だけを爪先に弾かれると、もどかしさと気持ちよさの板挟みになった身体が勝手に跳ね上がってセシルの指を追いかけ始めるのだった。

 

「……カイン」だらしなく床に投げ出されたままの腕を取る。力の抜けた両手を頂きの上に置いてやれば、弾かれたようにカインはその指で二つの突起を弄くり回し始めた。

 

 誰に教えられたこともないのに、淫らに、いやらしく。官能の火に更なる悦楽をくべるように。

 

「はあ、んっ! あ、あぁ……気持ち、い……イクぅ、イッ……イキたい……!」

 

 無心で手淫に耽るカインを見下ろしながら、右手をゆっくりと下ろす。尿道を貫いたままの羽根をずちゅずちゅ引き抜いては押し込むと、千切り取らんばかりに両の乳首をくびり上げたままカインは絶叫した。青眼が零れ落ちそうな程目は見開かれ、眦は今にも裂けそうなのに、酷使されすぎた涙腺は機能することができなかった。涙を流すことすら叶わず、枯れ果てた喉に血を滲ませてカインは喚いた。その惨状にも頓着しないセシルが表情もなく尾羽を指で擦って回してやると、汗塗れの身体が一瞬がくりと弛緩した。

 

「ひぃっ、あ、あぁあ……」

 

 いっそ意識を完全に落としてしまえたら楽になれるのに、不死鳥の尾からは耐えず生命の温みが伝わってきて、それすらできはしない。

 

「あ、はっ……は、」

 

 最早泣くことも嘆くことも何かを願うことも叶わず、ただ喘ぎだけを垂れ流しながらカインは快感を享受させられつづけた。虚ろな表情と裏腹に熱い肉を受け入れている場所は狂おしく滾ってうねり、受け取った快楽を送り返す。激しい歓待を受けたセシルが、蠢く肉壁についに耐えられなくなって舌打ちを漏らした。

 

「はひっ、いっ……やあぁあっ……!!」

 

「っふ……」

 

 最奥に白濁を注ぎ込まれて、カインの身体がびくびく跳ね回った。途中からは胸板に乗せられたまま動くことも忘れた手が、ふらりと持ち上げられてセシルの首に回される。

 

「セシル、セシル……たすけ、てぇ……」

 

 あえかな囁き。恋うる口づけ。

 

 交わる二つの肉が焔に照らされて、城壁に醜悪な魔の火影を落としていた。

 

 いよいよ木片の弾ける音も高らかに篝火は燃え狂う。そうして激しさを増していく火に舐め尽くされて、いずれこの肉塊は跡形もなく消えることだろう――二人、睦み合ったまま。

 

「ふ、ふふ……」叶わぬ幻想を胸に抱き、セシルは喉の奥を小さく鳴らした。口枷を解いて銀糸も断ち切る。

 

「ひぎッ!」ぐるりとカインを俯せにして、傷付いた背を抱き締めた。肛内を思い切り抉られたカインがまた目を剥いて仰け反るのを、セシルは胸板で受け止める。まぐわう二人の視界の中で、知らぬ間に二つの月は南中を過ぎて沈み始めていた。

 

「あっ、ぐ、う……うぅっ、」

 

 あの月で命を賭して戦った日々すら今のカインには恋しい。掛け替えのない仲間たち、彼らがこの星に生きて戻るためならば全てを捨てても構わないと思っていた。魔に絆され矜恃など何もかも儚くなった身で、それでも使命を持った友を支えられることが有難かった。

 

「は……」誰もが平和を享受する“いま”を否定して、あの戦乱の時に戻りたいなんて。苦痛と快楽に犯された頭で、それでも薄っすらとカインは笑った。伸ばされた左手は、永遠に月になど届かない。その震える腕すらセシルに掴まれて捻じり上げられる。

 

「ぐっ……!」

 

 右腕だけで支えかねた身体が汚れた床に叩きつけられても、セシルは気にも留めなかった。繋がれた場所にきゅうきゅうと締め上げられて、萎えた楔もすぐさま兆し始める。筋肉で張った腰だけを高く上げさせられて重みと熱を増していく肉を上から叩きつけられ、カインのより深いところが暴かれていく。咄嗟に握りしめずにはいられなかった鎖が、右掌の汗と血でぬるりと滑った。

 

 渇望すらも忘れた無我の中にただセシルの声だけが入り込んで、カインの世界を書き換え始めた。

 

――お前は僕のものだ。

 

――ずっと僕の傍にいるんだ。

 

――僕だけの傍に。

 

――カイン、愛してる。

 

 その言葉が、全てを奪われたカインの中に新たな価値を与える。カイン・ハイウインドの何もかもを否定したかつての親友によって、もう一人のカインが再構築されようとしていた。

 

「セシルぅ……セシルっ、セシル、セシっ、」

 

「あの月に」気が触れた触れたかのように己の名を繰り返す虜囚の言葉をセシルは不意に遮った。床にへばり付いた上体を起こしてやる。「お前は何を見る。何を求めるんだ」

 

 淡々とした問いかけに、夜の帳を劈く叫びでカインは答えた。

 

「知らなっ……セシル……! お前が、おまえ、が……いれば、もっ……!」

 

――お前以外いらない。

 

 慄く唇で懸命に紡がれた告解。

 

 それで十分だった。

 

「はっ、あひぃ……」

 

 堰き止められ続けた苦痛に、ようやく終止符が打たれようとしていた。セシルの指先がじっとりと濡れた尾羽に触れる。少しずつそれが引き抜かれていけば、尿道をせり上がる熱がカインを灼いた。

 

「あ、あッ……!」

 

 完全に自制の及ぶ域を離れた後孔が勝手にうねり、ヒクつき、猛りに猛った剛直をめちゃくちゃに愛撫して白濁を搾り取ろうとしている。淫乱、と。侮蔑でも揶揄でもなく、ただ事実を述べただけのセシルの言葉が、瘧にかかったように震えているカインの身に染みた。

 

 淫猥な痙攣に襲われた痩身が哀しい。焦がれに焦がれた逐情が今はもう恐ろしくて、それでも気も狂わんばかりにそこに行き着くことだけを求めずにはいられなくて、熱に浮かされてカインは繰り返した。

 

「い、や……こわい……こわいっ……!」

 

 夢ならば覚めればいい。夜ならば明かせばいい。けれどカインの前に広がっているのは果てしのない“現実”で、その茫洋とした闇には僅かの暁光も見られはしないのだった。

 

 皮肉なことに、あれほどにカインを責め苛んだ心棒こそが、その甘い苦痛でもってカインをカインたらしめていた。いやだ、こわい、たすけて……。血と唾液に濡れた唇から零れる怯えきった懇願を、セシルが黙殺したのは当然のことだった。

 

「カイン……」

 

 消え入りそうな声で名前を呼んで。その後セシルは何事か呟いていたけれど、カインにはもう何も聞こえなかった。ただ、強く掴まれた腰と、滾る雄を突き立てられた肛内とで、セシルの熱を感じていた。

 

 楔の届かない深奥に、徒に子種が広がっていく。カインがそれを実感するよりも早く、ついにセシルは尾羽を引き抜いた。

 

「っひ――」

 

 その瞬間カインは小さく息を飲んだだけだった。背骨が軋むほどに、セシルの逞しい肉体を弾き飛ばしかねないほどに、その背を仰け反らせるばかりで、何一つ言葉は出なかった。一足先に吐精を果たした楔を再び強く揉み上げられたセシルがむしろ、奉仕される快感に低く呻く。

 

「あ、あー……」

 

 熱い精液が腹を叩いたのは最初の数瞬で、それからカインの雄はダラダラと白いものをだらしなく垂れ溢していく。散々に押さえつけられた欲は直ぐには狭隘な道を抜けられないようだった。濁りに濡れた亀頭をゆっくり撫で回してやると、カインの身体は面白いように跳ね上がり、うねる肉壁がセシルのペニスを咥え込んだ。快楽に締めつけられた喉がひゅうひゅうと鳴ったかと思えば、自身の唾液やら鼻水やらに噎せて、カインは惨めに咳き込んだ。

 

「やッ、あ……ん、」

 

 吐き出すものを失くした雄がようやく弱々しく震えた。セシルの掌が萎えた茎を下から扱き上げても、少しの精液も漏れ出はしない。長い射精の快感から解き放たれて、カインは深く息を吐いた。弛緩した穴からセシルが楔を抜き去れば、寄る辺のない身体は力無く床に倒れ伏す。鎖がまた、嫌な音を立てた。

 

 極近い距離から硬いものにあたっては広がっていく、ささやかな水音が聞こえる。気味の悪い温みに下腹から犯されていっても、時折不意に引きつけを起こす以外にカインは身動ぎ一つできなかった。或いは自身が失禁していることすら理解できていないのかもしれない。緩みきった舌も、長槍を操り戦いに明け暮れた手も、カインを空の覇者たらしめた屈強な脚も、どこもかしこも本来持っていた役割を――それどころか役割が存在したことすら――忘れてしまったように、無力に投げ出されている。

 

 上擦って定かではない視線。何を写すこともない、どこまでも虚ろな瞳。カインは今や、とても美し“かった”人形でしかない。

 

 それなのに。

 

 それが何よりも貴なるものかのようにセシルは傍に跪いた。左手を恭しく手に取って、そっと口唇に押し当てる。

 

 その誓いだけは、最期まで清らかなのかもしれない。

 

 

 

 いつしか片割れをなくした月がひとつ、朝の光に溶けかけて。セシルは今日、この国の王となる。

 

「さよなら、兄さん……」

 

――聲は、聞こえなかった。

 

 

 

初出:2013/07/12(旧サイト)