蒼に堕ちる

 

「ギャリー、この漢字……ギャリー?」

 

 

 

 アスファルトから立ち上る熱気が可視化しそうなほどの暑い日々が続いている。日曜日の午後はギャリーの家で、が最近の二人の合言葉だ。日に焼けたくないギャリーも、汗をかけない体質のイヴも、真夏日に外で遊ぶのは辛い。どちらが言い出すでもなく、猛暑を感じさせない快適な部屋で、のんびりと本を読んだり絵を描いたりするのが八月の過ごし方となった。

 

 いつものようにギャリーの迎えで彼の家を訪れたイヴは、一冊の本を携えていた。金曜日に学校の図書室で借りたばかりのものだという。他愛もない話をしながらマカロンに手を伸ばし、ギャリーが淹れてくれたアイスティーを飲む。そしてその合間合間に本を読み進めていく。読めない漢字について質問しようとして、テーブルを挟んで向かい側のソファーに腰掛けていたはずのギャリーがすっかり静かになっていることにイヴは気が付いた。

 

 

 

「寝ちゃった……?」

 

 

 

 だらしなく右手を床に垂らし、全身を柔らかいソファーに沈み込ませ、ギャリーは深く寝入っている。ローテーブルに本を伏せ、イヴはゆっくり彼に歩み寄った。クッションに預けられた顔を覗きこむと、目の下には薄い隈が見えている。仕事が忙しいだろうに、ギャリーはわざわざ自分と会う時間を作ってくれた。そのことにイヴは申し訳なさとありがたさを感じて、くたりと脱力した身体にブランケットを掛けてやる。抱きかかえてベッドルームに運ぶことが出来ればいいのだろうが、生憎イヴは九歳の少女だ。自分に出来ることをするしかなかった。

 

 眠りを妨げないよう静かに自席に戻ろうとしたイヴの目に、ふとあるものが飛び込んできた。ギャリーの足元の床に転がっているそれを、イヴは手に取ってまじまじと見た。そうして穴が開くほどに見つめながら、先程のギャリーとの会話を思い出していた。

 

 

 

――あー、気持ちいい……。

 

――ギャリー、それなあに?

 

――これ? マッサージ器よ。我ながらおっさん臭いと思うけど、肩が凝っちゃって凝っちゃって。

 

 

 

 一日中机に向かって作業をすることが多いギャリーの肩や背中が、いつも気の毒な程に張っていたのをイヴは思い出す。辛そうな顔を見て肩揉みを申し出ても、ギャリーはいつも笑ってはぐらかすのだった。

 

 その彼が、あんなに気持ちよさそうにしていたのだ。好奇心に突き動かされて、イヴは手にした棒状の機械の電源をそっと入れてみた。

 

 

 

「わ……!」

 

 

 

 途端手の中で震えだしたそれに驚き、手を離しそうになる。何とか落とさぬよう握り直して、椅子に座ってよくよく観察する。ギャリーが目覚める気配がないことを確認して、マイクのように握りしめた機械をそっと肩に押し付けた。

 

 イヴにとってギャリーはかっこよくてしっかりしていて優しい、有り体に言えば理想の大人だった。だからイヴの行為は、大好きな憧れのひとの物真似にすぎなかったのだ。

 

 

 

「う、ふ……」

 

 

 

 姿勢良く学び、程よく体を動かしている幼いイヴの体に不自然な凝りなどあるはずもない。奇妙な擽ったさにイヴは声を殺し身を捩らせた。気持ちがいいとは思わなかったが、ギャリーの真似をしているということは、こっそりイヴの心を弾ませた。一時間程前の彼の行動を思い出し、マッサージ器で首筋を擦ってみる。楽しさと擽ったさに笑みが零れた。

 

 そのまま鎖骨へ機械を下ろしていく途中、思いの外重量のあるそれがイヴの手の中で再び滑った。咄嗟に抱き締めるようにして掴み直す。未だ膨らみのない、それでも敏感な場所に震えるものが押しあてられた。

 

 

 

「んぁっ……!」

 

 

 

 触れたところにだけではない。脳天から足先まで駆け抜けた電流にイヴは小さく鳴いた。思わずマッサージ器を膝上に落とす。震えるそれが激しく身をくねらせて、イヴを妙な気持ちにさせる。イヴはまだ快楽も、肉欲も知らない。それでも何故だかはわからないが、こんなことをしてはいけないと思う。その警鐘を無視して、イヴはもう一度機械を手に取った。震えるものを、服の上から胸にあてがってみる。

 

 

 

「あっひ、ん、んん、」

 

 

 

 これまでと似ているようで異なっている、切なくも身体を熱くさせる感覚にイヴは翻弄された。手を放したい、もっと触れていたい。二つの相反する感情が加速度的に重みを増し、イヴを苦しめる。空調の効いた室内なのに、いつしか頬に赤みがさしていた。額の汗が顎まで流れ落ちる。

 

 

 

「うんぅ……んぁ、あ、」

 

 

 

 それまで押しあてていた左側から、右へと震動を移す。それを気もちよさと認識し始めたイヴは、始めての快楽に我を忘れた。徐々に手つきは大胆になり、ささやかな乳首をごりごりと擦る。少し厚手のキャミソールとブラウスを隔てた刺激は、痛みを与えることなくイヴを狂わせた。声を堪えることも忘れ、イヴはだらしなく喘ぐ。唾液がとろりと零れ汗に混じった。

 

 

 

「あっ、は……ふああ、あ、あっあ……」

 

 

 

 不思議なことに、背筋を這い上ってきていた熱は下腹部に溜められていた。その熱を解放したくて、けれどどこに触れたらいいかもわからずイヴはもじもじと膝を擦り合わせた。熱は高まる一方で、今は触れられていない左側の乳首も疼く。両手で持っていたマッサージ器を右手だけで支え、イヴは左手を服の中に滑り込ませた。思い切り摘まむと、いつもよりも固くしこっているのがわかる。

 

 いくら自分で胸を愛しても、もどかしさと苦しさが消えない。心身が追い詰められて涙が溢れた。

 

 

 

「んぁ、な、に……くるし、きもちい……」

 

 

 

 もはや感情も感覚もコントロールできず、イヴは無意識に助けを求めていた。

 

 

 

「たすけ、て……ぎゃり、」

 

「イヴがそう望むなら」

 

 

 

 聞き慣れたはずの低音が艶めいて響き、イヴは体を強張らせた。眠っているとばかり思っていたギャリーがテーブル越しにこちらを見つめていた。自分のはしたない姿を思い浮かべ、あまりの醜態を晒したことで思考停止するイヴに、ギャリーは素早く歩み寄った。色々なもので濡れた顔を掬い上げて、蒼い瞳でイヴを見据える。深海の色に、イヴは息が苦しくなる。

 

 

 

「……いけない子」

 

 

 

 低く零れた呟きの後、小さな子どもの唇にギャリーは食らい付く。乳歯が残る歯列を、荒れていない綺麗な舌を、その裏を、刺激に弱い上顎を、丹念に舌で愛撫する。交換した唾液は仄かに甘い。

 

 驚きや羞恥に抵抗も出来ないイヴの口内を満足するまで堪能し、ゆっくりと唇を離す。銀糸が二人を繋ぐのを、イヴは荒い息で呆然と見ていた。床に転がった機械を拾い上げたギャリーが、硝子細工の微笑みを浮かべた。

 

 

 

「辛いんでしょう、イヴ? 今、楽にしてしてあげるわ」

 

 

 

 その前にたあくさん、気持ち良すぎて辛いことがあるかもしれないけど、ね。

 

 爛々と耀く眼。イヴはその海に溺れていく。

 

 

 

初出:2012/08/13(pixiv)