それは全く、侮蔑の言葉などではなかったけれど。
初夜の寝台の上、生まれたままの姿をまじまじ観察された上に最初の感想がそれでは、萎える。
「生娘のようだな」
「っおい、シュラ!」
薄闇に浮かぶ白い手が小麦色の肌を撫で回し、そこを無遠慮に摘み上げる。
擽ったさに首を竦め叫んだのを声を上げて笑われて、結局その晩、眠れる獅子は吼えなかった。
*
一週間でいい。
その言葉から一週間は始まった。
「何も言わずこれを塗らせろ」
「……は?」
夜が明けて獅子座の青年が肩を落として磨羯宮を去った、そのさらに明くる朝のことだった。
見知らぬ膏薬を持って押しかけた恋人に叩き起こされて、シュラは寝惚け眼を瞬かせた。
何だそれは。尋ねる視線を受けたアイオリアの答えには溜息を吐かずにはいられない。
「馬鹿馬鹿しい」
何が悲しくて乳首をピンク色にするクリームなど。
成人男性として至極当たり前のシュラの感想に、しかしアイオリアは噛み付いた。
「馬鹿馬鹿しくない!」
「そんなに気にするものか?」
もしかしてこの初心な男は恋人の乳首――たとえそれが己より年嵩の男のそれであったとしても――というものに夢を見ていたのだろうか?
日に焼けた東洋人の肌のような、つまらぬ色をした乳頭や乳輪に幻滅したとでも?
申し訳なさというよりは童貞に対する揶揄を多分に孕んだ問いかけに、アイオリアは強く頭を降る。
「そうじゃない、これは俺の沽券にかかわる問題なんだ!」
「訳がわからん」
柳眉を寄せて呆れを示せど、結局シュラは拒まなかった。
「……好きにしろ」
薄手のTシャツを手繰り上げさせ――アイオリアとしてはこれだけでかなりそそられる――両胸を晒させる。
ぽっちりと浮かぶそれは淡いペールオレンジの控え目なもの。
乳白色のとろみを掬った指を押し付けると、鍛え上げられた身体が僅かに強張った。
必要以上に捏ねくり回したりしない。
ただ、控え目な乳輪やささやかな乳頭をすっかり覆い隠すほどに膏薬をたっぷり乗せて、それからアイオリアはそこに大判のガーゼを貼り付けた。
「また、晩に替えに来る」
「風呂でも外してはいけないのか」
だから防水の消毒綿なんだ。
そうきっぱりと言い切ったアイオリアは、肩で風を切って磨羯宮を後にした。
*
ガーゼを剥がし、塗り薬を完全に拭い清拭し、それからまた同じものを塗り込む。
一連の流れは全てアイオリア手ずから行っており、そこにシュラが入る余地は――シュラの乳首の話なのに――ない。
「今日はまた、随分と早くに来たものだ」
「日曜はお前、起き抜けにシャワーを浴びるだろう」
皮肉げな言いようを物ともせずに、真っ向から返されて鼻を鳴らす。
決してアイオリアに悟られたくなどないのだけれど、ようやく一週間が終わると、シュラは内心安堵していた。
薄い綿布に覆われた場所が疼く。
得体の知れぬ何かが這い回るような感覚は日に日に強まって、いよいよ昨日などは眠りさえ浅くなる始末。
とっととアイオリアを満足させて、こんなこと終わりにしてしまいたい。
薄手のシャツを勢いよく脱ぎ捨てれば、面白がっているような声が返ってくる。
「そら」
「思い切りがいいな」
「いちいち恥ずかしがったり興奮したりするほうがおかしい」
それがシュラ自身にも言い聞かせた言葉であると、年下の恋人は気がついただろうか。
苦笑を深めたアイオリアは、もう何も言わなかった。
己の両の手と比べ、シュラの肌は、抜けるように白く見えた。
「ん、くっ……ふぅっ、」
まずガーゼで膏薬を軽く拭って、それから濡らした柔らかい布で丁寧に、けれどもどかしいほどに優しく残りを拭き取っていく。
これまでの6日間より意地の悪い触りように、感度を磨かれた場所どころかあらぬところが疼いてしまって、シュラは唇を噛み締めて顔を逸らす。
そうしてアイオリアからも自身の胸からも視線を外してしまったから、一週間の“成果”にも、それを見つめるアイオリアの瞳の色にも、シュラが気づくことはなかったのだった。
この一週間、膏薬を塗り付ける以外には触れていなかった場所をシュラだって勿論弄くり回したりなどしていなかったろう。
アイオリアの手つきははっきりと愛撫に変化していた。
「っん、う……!」
引き締まった胸筋から、随分と愛らしい色に変えられてしまった乳輪へ。
そこを執拗に、磨き上げるように拭いてやって、時折布の先で乳首を掠める。
最も敏感な場所には求めた刺激が訪れず、散々に焦らされたシュラの腰がじれったくもじつきはじめてようやく。
あえて乱雑に無遠慮に、ぴんと膨れた乳首を拭うべく押し倒した。
そのときだった。
「っやめろ!!」
肩を強く押され突き飛ばされて、アイオリアの上体が大きく揺らぐ。
非難はしない。突き飛ばしたシュラのほうこそがむしろ、驚いたように目を見開いて己の手を見つめていた。
「シュラ、」
熱い声に名を紡がれ、勝手に肩が跳ね上がる。
それが呼び水となって、シュラはようやく気付いたのだった。
腰の重く甘い疼きが、最早無視できないものになっていることにも。
これ以上弄られては、滾りを隠せなくなってしまうことにも。
「……っ、もう、いいだろう!」
立ち上がりアイオリアに背を向ける。
後ろから投げかけられた問いかけに、シュラは半ば怒鳴り声で返した。
「シュラ、どこへ?」
「もう一度湯を浴びるだけだ!」
べたべたしてかなわん、と呟くのがいやに言い訳がましい。
とにかくシュラはアイオリアから離れようとして――後ろから堅牢な腕の檻に閉じ込められた。
「っな、」
「シュラ……しよう」
「嫌だ」
尻に熱く滾るものが押し当てられても、答えはすげない。
こんな日も高いうちから睦み合うなど受け入れられるはずもなかった。
ましてや今のアイオリアとなど。
「俺はしたい」
「俺はしたくない」
胸に這い登る手を叩き落として、身体に回された腕を引き剥がそうとして。
「だから、離せと……ひィうっ!?」
さりげなさを装いつつの抵抗は、不意打ちでそこを捻られて霧消した。
足の力が萎えた身体をソファに押し倒すのは容易い。
また面倒な反抗が始まるより前に、軽々シュラをひっくり返し、目の前の尖りにアイオリアはむしゃぶりついた。
「やぁっ、あ……! やめッ、」
僅かに残る軟膏の苦味が舌を痺れさせる。
自然溢れ出した唾液を啜るようにして強く吸い上げれば、腕の中の身体が強く撓った。
「……シュラ」
「な……ん、ッひぁ!」
なんて魅惑的な贄だろう。
濡れて艶めいた頂きを摘み上げ、黄金の獅子は薄く笑った。
続ける一言は言うまでもなく、
***
「ンっ、ひ……! ひぁん、あッ、あ!」
柔くつまみ上げ、指先を擦り合わせて捻り潰す。
胸筋が持ち上がるほど、強い力で引き上げる。
膨れた乳輪に捻じ込むように、ピンとはしたなく勃ち上がった先端を押し潰す。
爪の先端で突起をかりかりと引っ掻き回し、敏感になった場所を時折爪で弾く。
両胸の頂きばかりを執拗に弄られて、すっかり頭を擡げた性器には触れもしない。
認めがたい快感ともどかしさに怒りが募り、シュラは柔らかい蜜色の髪を鷲掴みにした。
「いい、加減に……しろっ!」
「うぁっ!?」
ぶちぶちと毛が抜け、引き千切れる嫌な音がする。
いかに黄金聖闘士といえども、毛根を苛め付けられればとても――特に心が――痛む。
この攻撃には思わずアイオリアも手を止めざるを得なかった。
涙目でシュラを見つめる表情からは興奮と熱狂が幾分引いて見えて、シュラは僅かに安堵した。
「痛い! 俺がハゲたらどうするんだ!!」
「フン、ハゲろ、ハゲてしまえ!」
そこでやめておけばいいのに、つい口を滑らせていた。
「兄より先に薄毛になるのはさぞ惨めだろう、な、」
失言を悟って唇を閉じても、吐いた言葉が消えはしない。
高く澄んだ空の色をした目に剣呑な光が宿って思わず息を呑む。
アイオリアは兄のこととなると途端にムキになるところがあった。
こそこそと詰まらぬことで張り合っているのは端から見ても明らかなのだが、案外プライドが高いこの百獣の王がめんどくさいから、誰も面と向かって口にはしないだけで。
ついでに言えば、かつての仲睦まじい兄弟二人を思い出し、僅かな罪悪感とともに首を捻っているのはシュラばかり。
年下の兄に恋人を取られてはしまわぬだろうか。
そうアイオリアが怯えているというのは、最早十二宮の公然の秘密となっていて。
詰まるところ、あの頃アイオロスを誰よりも慕っていた幼い山羊座の、憧憬と淡い恋心に輝いていた笑顔をこの獅子は忘れられないでいるのだった。
「こんなときに他の男の名を出すのはマナー違反ではないのか?」
「ど、童貞が何を……くひィっ、ん!?」
仕置きとばかりに先端に爪を立てられ、そのまま捻り上げられてシュラの虚勢は霧消した。
痛みであれば、鼻で笑ってやれた。
だが瞬く間に広がり全身を打ち据えたのは紛れもない快楽で、シュラは愕然と己の胸を見下ろした。
「すまない、強すぎたか? 爪痕が残ってしまった」
じんじんと疼く場所を今度は労わるように撫でられるのは、剥き出しになった神経に触れられているようだった。
「い、あッ! さわる、なぁっ……!」
「なんだ、痛むわけではないんだな」
問いかけというには、あまりに確信めいた響き。
「普通これだけ強く抓られたら痛くて堪らないだろう。それでこんなに善がるなんて」
「ちがッ、あ、あ……やぁああーッ!」
今度は先ほどとは逆の方を。
否定すら最後までさせてはもらえずに喘がされて、唾液に濡れた唇で荒く息を吐く。
「何が違う? 女のように乳首を膨らませて、酷くされて痛がるどころか感じるとは商売女以下だな」
お前が女を語るな、この童貞!
酸素を貪るのに忙しすぎて、結局そんな罵倒を口にすることはなかったが。
睨み上げるシュラの目の反抗的な輝きに、アイオリアは嬉しげに口の端を吊り上げて見せる。
シュラ自身は気づいていないのだろうけれど、一際多くの先走りを吐き出したせいで、いよいよ着慣れた部屋着の一部分が色濃く変わってしまっている。
「なぁ、シュラ……」
「な、ん……」
ならば。
「両方同時にやってみたらどうなる?」
「ひぎッ!? ひいぁああぁッ!」
「そら、もう一度」
「もッ……やめろっ!!」
再び両胸に手をかけられて、とうとう本気の手が出ていた。
はずなのに。
「危ないな、シュラ」
「え、なん……で、」
危ないな、などと言いながらも危なげなく片手で右腕を止めたアイオリアに、シュラは愕然と瞬いた。
逃げられない。その絶望が滲んだ顔が、アイオリアを煽ってやまなかった。
燻る熱で綻びた鈍刀を止めるのなど造作もないのだけれど、それがシュラには理解できない。
ならばと伸し掛る獅子を力の限り蹴り飛ばそうとしても、今はそれすらもままならない――そもそも単純な力勝負で、シュラがアイオリアに勝利したことなどないのだった。
乱暴な両腕を片手で頭上に纏め上げ、それからアイオリアは薄く笑う。
「ああ、これじゃこちらが弄れないな」
唇から覗くのは、ほんの僅かに尖る犬歯。
いつもは素朴な愛らしささえ感じるそれが、今は獰猛な肉食獣の牙に見えた。
「やッ、よせ……やめろっ……!!」
痩身――というのはアイオリアから見て、の話だが――をじたばたと哀れにもがかせて、シュラが虚しく抗う。
だがそれが何らかの救いを齎してくれることなどあるはずがなく、少しカサついた唇があっさりと心の臓の上、いやらしい性感を引き出す場所に作り変えられてしまった乳首に触れた。
「いやっ、ほんとに……や、めて……くれ、」
カタカタと震える身体。みっともなくわななく声。
命令が哀願に変わったことに大いに満足して、アイオリアは口を開いた。
「ひゃんっ、ひ……」
怯える身体に不意打ちで熱い吐息を掛け、それから舌先で軽く突く。
思いがけない刺激に緊張が解けた瞬間を狙い澄まし、硬くしこった場所をぎりぎりと縊り上げ、或いは思い切り噛み締めた。
「い、ぎッ……やあぁあああぁッ!!」
陽光の差し込む磨羯宮の一室に、主の嬌声が響き渡る。
梓弓のようにしなる上体とは別に、下肢がびく、びくんと跳ね上がってソファに沈んだ。
「はは、これではもう、感じていないなどと言えないな」
はふはふと濡れた唇をぱくつかせ、懸命に呼吸するシュラの顔は汗と、何より情けなくも溢れた涙で濡れている。
可憐な桃色をしていた乳首は、今や淫媚な紅に色を変えていて、さらにそこにくっきりと残る歯型がどうしようもなくいやらしかった。
触れられもせずに精液を吐き出してしまった下肢に目をやれば、そこはもう言い訳がきかないほどにはっきりと色を変えているのだった。
「こんなところを濡らしてしまっていると、我慢の効かない子供みたいだ」
「う、くぅ……」
持ち込んでいた膏薬はどこに――ああ、ローテーブルの上だったか。
辱めの言葉に更に涙を浮かべたシュラに酷く満足して、アイオリアは迂闊にも身を起こした。
不注意極まりないことに、そのまま横たわる恋人に背を向ける。
テーブルの上の軟膏に手を伸ばしかけ、咄嗟に振り返れたのは長年の戦士としての勘のおかげで。
「なッ!?」
迫る白刃にアイオリアが仰け反れば、背後の大理石のテーブルがものの見事に両断された。
巻き込まれた前髪がいくらか切り落とされ、艶やかな金糸が宙に舞う。
その斬撃を回避できたのは僥倖だった。
「こ、殺す気かッ!?」
「ほう……そのくらいは理解できるのか……」
涙の跡の残る白皙も、晒された両胸、ぷっくりとはしたなく膨れた乳首も、一部だけぐっしょりと色を濃くしたズボンさえも。
文字通りの修羅と化したシュラの恐ろしさを和らげてはくれなかった。
「ぬおぉッ!?」
次の一閃はより無慈悲に首を狙ってくる。
続いて四肢に、心の臓に、そして滾る獅子の牙にまで凶刃は迫って、アイオリアはまさしく光の速さで恋人から距離を取った。
「逃げるのかアイオリアっ!!」
「当たり前だろうッ!!」
でなければ間違いなく殺される。
惜しげもなく自宮の調度品を粗大ゴミに変えていくシュラに、自身までコンポストへ入れる生ゴミに変えられる前に。
運良く獅子宮方面に続く出口へと逃げおおせ、そのまま日の元へまろび出る。
「失せろ! 当分貴様の顔など見たくもない!!」
“当分”なんだな、などとつまらぬ茶々を入れて寿命を縮めるほど命知らずでも考えなしでもない。
とても外へ出られる格好でないシュラによる、ヤケクソで放たれた聖なる剣戟に追い立てられ、アイオリアは兄の守護する宮へと一目散に駆けていった。
獅子の咆哮は、未だ。
初出:2015/12/26(Twitter)
加筆修正:2016/01/12(pixiv)