乙女山羊♀

 男の精を身の奥で干さねば、生まれ持った性には戻れない。

 優秀な戦士というのが、上官の命令を即座に呑んで実行することができる者のことを指すのだとしたら、山羊座の右に立つ者もなかなかあるまい。意味不明の呪いを受けたことについて、シュラはあちこち考えなかった。

 宮内で長く仕えてくれた従者を捕まえ、その日のうちに女の純潔を捨てる。それでも問題が解決されぬと見て、すぐさま女神に直談判。第七感に目覚めていない者では駄目なのやもという御言葉を得て、その足で巨蟹宮に向かう。ちょうどよく朝勃ちした粗末なブツを晒しながら惰眠を貪っている旧友に乗っかっても、シュラの身体は戻らなかった。

 三度女神に拝謁を願えば、思案顔の戦女神は何故だか頬を赤らめた。追って教皇アイオロスから通達があって、どうやら女を知らぬ者でないと駄目らしいと知ったときは、流石にシュラも一瞬たじろいだものだけれど。

 腐れ縁の二人は即座に除外。当人達は気付かれていないつもりだろうけれど女物の香水の移り香を長い髪に纏わせていたことが何度もあるミロとカミュに頼むのも無駄足だろう。老子と前教皇シオンが色々な意味で論外なのは言うまでもないとして、年端も行かぬ青銅の子らに頼むほど分別のない人間ではない。

 体裁だとかプライドだとかいうケツ拭く役にも立たない諸々を即座に破り捨て、結局シュラは、十二宮を下から童貞と寝るという哀しすぎる目的で制覇していくことを決意したのだった。

 あっさりと見つけられるだろうと思った無垢な青年探しに存外手こずるということを、そのときのシュラはまだ知らなかった。

 白羊宮で師匠と弟子と共に優雅なティータイムを楽しんでいた牡羊座には、既に経験があるという。若草色の髪をふよふよ揺らして、かわいい愛弟子の初体験に興味を隠せないシオンを前に、シュラは可及的速やかに第一の宮を後にした。

 続く金牛宮の主もやはり女を知っているとあって、シュラは少しばかり驚いた。二回り以上小さくなった身体で見上げるアルデバランは凄まじくでかい山のようで、そんな彼が首から耳からどこもかしこも真っ赤にして縮こまってしまったものだから、何だかこちらまで恥ずかしくなる。

 続く二つの宮は足早にスル13年間辛酸を舐めさせてきた男に無理を言うのは気が引けなくもないのだけれど、背に腹は代えられない。ここで終わらせてしまうつもりで獅子座の守護宮に足を踏み入れて、しかしシュラは打ちのめされた。

「……お前の期待には答えられん」

「は

 呆けた顔を晒していたかもしれない。どこにそんなタイミングがあったのかと、ある意味自分が女になったとき以上に愕然として、シュラはアイオリアをまじまじ見上げた。マジかよ、と蓮っ葉な呟きが零れ落ちて、白亜の壁に染みて消える。

詮索の視線から逃れるように顔を逸らし、もごもごとアイオリアが口を開いた。

「お、俺のことはどうでもいいだろう とにかくシャカのところへ行け

「っ、シャカ……か、」

 パンドラの箱の底には、一つだけ希望が残っている。だがそれがあのシャカとあっては、シュラも手放しで喜ぶことはできなかった。

 獅子宮を後にして、次の宮への道すがら。

「おい、シュラ

「……なんだ、お前か」

「随分な挨拶だな」

 だってもう10年も前に童貞を捨てた男には用などないのだ。肩を叩いてきた腐れ縁の男に一瞥もくれることはなく、シュラは珍しくちんたらと歩いている。つれない態度など気にも留めず、細っこい身体を抱き込むようにして、デスマスクは大きな籠を押し付けてきた。

「水臭いじゃねぇか、この俺に一言の相談もねぇなんて」

 非難というには酷く大げさに楽しげに言ってのけて、蟹座の青年がシュラの背をぐいぐいと押して来る。

 話半分に聞くにこの籠は、所謂ソデノシタというものらしい。これだけの騒ぎになれば、シャカにだって話は届いているに違いない。先手必勝。まずはこれを差し出して相手の機嫌を取れと、デスマスクはこういった趣旨のことを語っている。

「そら、行ってこい

「ッ、おい!!

 お前絶対楽しんでるだろと心の中で絶叫。蹴り出される勢いのままに処女宮に突っ込みながら、シュラは腐れ縁の男を胸中で散々に罵った。

 

 その僅か一刻後のこと。

「あんっ、の……蟹野郎……

 ことが済んだら百回殺す、などと物騒な呪詛の言葉を吐き捨てて、白く細い手が浴室の壁を全力で殴る。力が落ちているとは言っても、それは聖闘士の常識から見てのこと。衝撃に耐えかねた鏡にびしびしと罅が入り、大きな欠片が床に落ちて砕け散る。

 傷ついた手の甲から流れる血を軽く払い、シュラは盛大に溜息を吐いた。

まずはうまいもんでも食わせてやって、警戒を解くんだよ。

 野良猫相手か、と思うようなアドバイスと共に渡された甘味の類いは確かに頬が蕩けて落ちそうなほど美味かった。アフロディーテが用意してくれたと思しき紅茶の甘い香りも相まって、シャカは危惧したよりもずっと大人しく洋菓子を食んでいた。

 持ちこんだ品もすっかり食べつくしてしまってから、乙女座の青年が湯を浴びて来るように促したものだから、シュラはいきなり当惑させられた。察しが悪い、なんて怒られても驚きが消えるわけじゃない。どうやらシャカはシャカなりに、聖域を駆け廻る噂を耳にして準備をしてくれていたようだった。

 気が変わらないうちにとさっさと風呂に飛び込んで、適当に身を清めて出ようとして。

「っ……!?

 身の奥から湧き上がる熱に気がついたのはそのとき。

咄嗟に壁に手をついて身体を支え、シュラは愕然と瞬いた。

 膝が笑う。触れられてもいない女の部分から蜜が溢れ、敏感になった内腿を伝っていく。どう考えても食べたばかりのゴージャスなケーキやシュークリームやタルトが原因としか思えなくて、髪を掻き毟って己の迂闊を怨んでも遅かった。

「はーッ、は……あぁ……

 吐く息を炎か何かのように感じてしまう。壁伝いにシャカの私室に戻ると、乙女座の青年は先ほどと寸分違わぬ場所に座してシュラを待っていた。

 白くすべらかな頬はつんと澄まして取りつく島がない。

「シャカ……お、前、なんとも……ないのか

「何がかね

「っ、なら……いいのだが……」

 拍子抜けしてそこにへたり込みそうになる。相手の平静の前で自分の醜態が猛烈に恥ずかしく思えてきて、シュラは激しく頭を振った。途端視界がぐんにゃり歪んで舌打ち。眉を吊り上げて窘めてくるシャカの言葉などあっさりと聞き流した。

「……今更行儀もクソもあるか

 力の萎えている足を無理やり動かす。宮内の構造はどこも大して変わらない。さっさとこいつを寝室に引き込んで始めよう。ぼさっと座っているシャカを引っ掴んで立たせようとして。

「……ひぁ、ん

「……う、わッ!? おい、シャカ

「あ……っ

 諾々と立ち上がったシャカにその場でいきなり押し倒されて、シュラは強かに後頭部を床に叩きつけた。思いがけない痛みに反射的に涙ぐむ。だがそれ以上に気になったのはあまりにもかわいらしい乙女座の声。自分にのしかかっているシャカの目を見るのは、そういえば聖戦のとき以来だった。

「シャカ、大丈夫……か……

 誰に物を言っている、と。そういう趣旨のことを呟いた割に、青年の身体はなかなかどかない。男の肌とは到底思えない魅惑の白磁が見る間に紅く染まっていって、シュラは複雑な気持ちで息を吐いた。効果が出て欲しいと思った訳ではないけれど、こいつも人の子と知って安堵する気持ちがどこかにある。

 シャカがようやくのろのろと起き上がる。同じ性だったときには随分と頼りなく見えた痩身の思いがけない精悍さに、シュラの喉が小さくなった。

 立ち上がろうとさり気なく奮闘している身体に、わざといやらしく指を這わす。

「ここで、いいだろう……

 どうせもう立つこともままならないのだ。無駄なことに時間も体力も浪費はしない。小言の一つでも言おうとしたシャカの唇を、シュラは自分のそれで塞いだ。

「あっ、んぅ……ッ、ん、」

「ふぁ、あ、ん……っむぅ……

 鼻にかかった声はどちらのものだろう。薄く眼を開けてシャカの様子を観察しながら、シュラは口づけを深めようとした。優しく歯列を撫でていた舌先を奥に進めたところで、思いきり突き離されてしまったけれど。

「は、ぁ……っふ……」

「シャカ、」

 ふい、と逸らされた顔。13年間交流に乏しかった最も神に近い男は存外人間臭いやつで、シュラは知らず苦笑していた。血が昇っている耳朶を柔く食んで、風呂上がりに申し訳程度に身に着けていた衣服を脱ぎ飛ばす。

 そのまま下衣を寛げてやるだけで、シャカは喉に喘ぎを押し込めた。抵抗はない。けれど困惑を殺すことはできないようで、初心すぎる反応がシュラの下腹を重ったるくする。

「いいな……

「元より……その、つもりで……来たのだろう、」

 今更慣らす必要もない。湯を浴びながら軽く緩めておいたそこは、催淫薬の効果も相まって雄を焦がれ疼いているほどだった。男の切っ先と女の場所がキスするだけで、ぬちぬちと淫猥な水音がする。焦らす余裕がないのはシュラとて同じで、そのまま一息に肉の楔を呑み込んだ。

「……っ、ぁ

「ひぁ、ぅ……あぁッ

 息が苦しい。自分の身体が熱いのか、それとも縋りついた相手が熱いのか、シュラにもシャカにもわからなかった。必死に平静を取り繕おうとしているのはお互い様で、それがうまくいっていないのもお互い様。

 へたり込んだまま腰を持ち上げることさえできないので、シュラがみっともなく下肢をくねらせる。たったそれだけで熱が弾けた。

「ぅあ、あっ……ンうぅッ

「ひぅ……あ、つい……

 注がれた奔流の熱がシュラの身体を戸惑わせる。快感をどこまでも追い詰めていきたい気持ちと、そんなことをしたら壊れてしまうという恐れと。二つの間で板挟みになって悶えているのは、何もシュラだけではないようだった。

「はっ……あ、っ、あぁ、あ……」

 一度目の逐情に至ったとはいえ、この程度で収まる訳がない。揺れる青の瞳の中には、隠せぬ欲情が燃えていた。経験のない身にはあまりに酷な責め苦に怯えるシャカには、シュラが見知らぬいとけなさがある。

「……シャカ、」

 かわいい、と素直に思った。少なくとも自分が今女であることを心底惜しむくらいには。

 汗ばんで重くなった金糸をゆるく梳くと、不安が少しずつ溶けていった。仄かに色付いた魅惑の唇がシュラの名を音もなく紡ぐ。

「シャカ……まだ、終われん……だろう……

「っ、ぁ……」

 恥じらいに伏せた目が肯定の証。力の萎えた足を叱咤して、シュラは再び腰を動かし始めた。

 

 何回絶頂を極めただろう。四回目までは数えていたけれど、途中からはそんな余裕はとてもじゃないが消し飛んでいた。少なくとも乙女座の青年は自分の倍以上の回数イカされていて、最後の方は殆ど息も絶え絶えだった。

 それでもまだシュラの方は燻る熱に身を焼かれていて、ついさっきまで雄を咥え込んでいた秘所はいまだにずくずくと疼いていた。

―っ……ラ、シュ……ラ……シュラっ……

 あのシャカが今にも風に掻き消えそうなか細い声で名前を呼んで。殆ど涙声でもう無理だ、などというものだから、シュラは続ける気力を失くしてしまった。宝石などよりもよほど美しい目は熱に潤み今にも涙が零れ落ちそうで、流石に罪悪感で九割九分九厘蟹が悪いのだけれど、とんでもないものを食べさせたのはシュラだったのでちょっと怯んだ。

「っ、くそ……

 蟹を捌くには今の聖剣は鈍らすぎる。というか今の醜態をあいつに見られることを考えるだけで憤死できる。だから必然的に処女宮を出た後に足は自宮の方へと向かっていた。

 最後の意地で傍目には涼しい顔をして階段を上ってはいるけれど、自室に辿り着いた瞬間、盛りの着いた猿のように自慰を始めかねない自分をはっきりとシュラは自覚していた。

 早く、誰にも合わないうちに、早く磨羯宮へ……

 幸い三つの宮の守護者は不在。安堵で軽くよろめきながらようやく第十の宮へとたどり着いて、そこで顔を歪め舌打ち。

「行儀が悪いぞ、シュラ」

「な、んで……あなたが、ここっ、に……

「何故って、決まってるだろう。お前を待っていた」

 13年前ならば小躍りして喜んだだろう言葉だが今は全く嬉しくない。あんまりにも露骨に「迷惑だ」と表情で告げているものだから、磨羯宮で待っていた射手座の青年はむすっと頬を膨らませた。子供じみた仕草なのだが、この人がやるといやに似合ってかわいく見える。

「シュラは真っ先に俺のところに来ると思っていたんだが」

「……は

「人馬宮で待ってても、お前全然来ないじゃないか」

 ちょっと待て。額を手で押さえたシュラが呻いて、白亜の柱に寄りかかる。驚愕の理由がわからなくて、アイオロスは今度は小首を傾げて歩み寄ってきた。

「シュラ

「まさか、とは……思うが。経験、が、ない……のか……

「ある訳ないだろう 14で一度死んだのに」

「そ、そう言えば……

 サガが咽び泣きそうな発言をシュラは華麗に聞き流し、改めて目の前の男を見やる。ずるずると頽れそうになる身体を慌ててアイオロスが抱き留めた。

「ッ、あぁっ

「シュラ、大丈夫か

「だ……じょうぶ、」

「とてもそうは見えないな」

「ひぁッ!?

 いきなり軽々と抱き上げられて。逞しい肉体は無遠慮に寝室へと向かっていく。美しい筋肉に覆われた腕に絡み付きシュラはじたばたとそれに抗った。だがささやかな抵抗などものの数にも入らないまま、寝台に軽く放られる。

「それで 誰と寝てきたんだ

 優しい、けれど妬心を隠さない声が、敏感な肌をぞろりと舐めた。

 シュラの背筋を這い上るのは、恐怖か歓喜か、それともめくるめく快楽への予感だろうか。