刻めない

 子供の手だった。

「……ッ、」

 

 硬い腹を恐る恐る撫でる掌には少年の繊細さと柔らかさが残っている。美しい髪が薄布越しに太腿を擽って、シュラの心臓は小さく跳ねた。

 名も知らぬ鳥の囀り。熱い風が二人を舐り木々を揺らす。熱に浮かされた少年からも瞳を灼く陽光からも顔を逸らせば、背を預けた老木をのそのそと蟻が歩いている。

 

「シュラ、」

「あっ、ん……っく、」

 

 青年の意識が他所へ向けられたと知り、少年が不満げに鼻を鳴らす。鍛え上げられた腹筋に触れていた手はするりと上へ。期待にか緊張にかはしたなくも芯を持った頂きを指先が掠めて、シュラから溢れ落ちた甘ったるい声が二人共を困惑させた。

 胸当ても、衣服の一枚さえも。遮るものもないままにそこに手を押し当てる紫龍には、無論心の臓の昂りが伝わっている。拒絶しないのは優しさ故か、或いは他の——この14の少年を自惚れさせる類の——感情故か、測りかねたままに右手は静かにそこを這った。

 

 形のいい喉仏がひくりと震える。そこに引きつけられた視線は流れる汗と共に落ちて、結局は今、紫龍が触れている場所へと帰ってくる。

 いやらしく膨れた場所が雫に艶めき、気づけば唇を寄せていた。

 

「ひッ!? っ、くぅ……ッ、っふ……

 

 落ちてくる殺しきれない声が聴覚から紫龍を追い立てる。

ほんの少し乱れた呼吸がシュラの戸惑いと興奮を如実にしていて、彼の感情の乱れこそが紫龍をぞくぞくと痺れさせるのだった。

 じっとりと汗ばみ粟立つ肌膚と吐息が、シュラの表情さえ教えてくれる。

 

「……し、紫龍、」

 

 そこを撫で摩る舌を止めたのは、たった一言、呟かれた少年の名であった。

 左手は少年の細い肩に触れようとしたまま踠いている。

抱き寄せることも、引き剥がすことさえままならず右腕は乾いた土を無為に掻き、武骨なりに整えられた爪先が汚れていく。彼の魂がそうやって土に塗れてしまうのが心苦しくて、紫龍はその手をそっと取った。

 

「……シュラ」

 

 はっきりと雄の劣情を孕んだ声。絡められた手の幼さはその欲とひどく不釣り合いで、シュラの心にじくりと刺さった。

 この身体の中に、少年の望む答えはない。

 神話の時代より受け継がれし聖衣も、女神と地上の平和を護るという使命も、命を懸けて鍛え上げてきた聖剣さえも、あの日彼に預けたのだから。

 

 女神の慈悲を賜り蘇ったこの身体は、そうして全てを託した男が燃え尽きた、さらにその残滓にすぎない。

 

 意味のない音を紡ぎかけた唇を閉ざし、シュラは左手を静かに下ろした。

 指先に纏わりつく黒髪はしなやかで手触りが良い。絹の流れに逆らって再び腕を持ち上げて、見上げる少年の頭を撫でる。

 万感の思いを込めた手つきに、しかし理解が及ぶほどに少年は成熟していない。

 もどかしく、いっそ不快げに顔を歪めて、左腕だけで紫龍は目の前の身体を抱き込んだ。

 

「何故、そんな顔をする……

「……は

 

 ようやく変声期を終えたばかりの声が不自然に掠れて消える。

 両の手でもってやっと数えられるほどに年が離れた青年は、腕の中にすっぽり収まってなどくれなくて。鋼の如き強靱な肉体を前に、己のなんと見劣りすることだろう。兄弟たちと比べても薄く細い身体が口惜しくて腹立たしい。

 

 まるで馴染みのない言葉でも聞いたかのように瞬いたシュラの、存外若い表情にさえ苛立って少年は歯噛みしているというのに、その懊悩は世界で一番近い人には決して届かない。

 鋭さと同じだけ澄んだ紫紺の瞳に、紫龍はあの日の黄昏を見た。

 

「……っ んッ、ふ……

 

 繋ぎ合っていた右手を解き、その夕凪に覆いを掛ける。

 反射的に背筋を駆け抜けた怯えを掻き消さんと、今ここに確かにいる人に、紫龍は唇を押し付けた。

 

 唇を押し当てるだけの児戯が、ふとした拍子に大人の口付けに取って代わる。

 呑み下す唾液は甘露だった。絡み合う舌から広がる痺れと疼きが腰を打って、髪の一筋から足先まで蕩けるような快感に浸されていく。

 

 目の前の人も同じ快さを感じてくれているらしい。鼻に抜ける微かな喘ぎが木の葉の擦れ合う音に消える。掌の下では瞼が不規則にひくひく動き、睫毛がからかうように皮膚を擽る。首筋を撫でる蕩みに、抱き込んでいる身体が強張る。

 やがて唇を離せば銀の糸が二人を繋ぎ、そして音もなく切れた。呼吸を取り戻した鼻腔と喉に青臭い土が香る。濡れた口元を駆ける風が冷やしていって、何かに促されるように紫龍は口を開いた。

 

「シュラ。俺は、」

「……紫龍」

 

それは違う。

 言い切る声は落ち着き払った、憎たらしいほどに年長者のそれ。

 

「錯覚だ」

「シュラ!!

「でなければ気の迷いだ。詰まらんものに拘うな」

 

 若い肉欲ならばいい、やり場のない激情が間欠泉のごとく噴き上がっただけならば。

 だがそんな甘やかな思慕など、二人の間にあってはならない。もっと正確に言うならば、この少年から捧げられてしまってはならなかった。

 

 眇められた竜胆色の瞳は酷く凪いでいて、紫龍の目に見える世界が赤く染まる。

 投げ出された右手を引っ掴んで左胸に押さえつける。弾かれたようにシュラが手を引こうとするのを、しかし紫龍は許さなかった。

 

「ならば今一度ここを貫け……確かめてみればいい、俺のここに詰まる思いが何か」

「ッ、紫龍

「どうしてわからない

 

 或いはわからない振りをしているのか。

 失望にも似た怒りが脳髄を激しく揺さぶって、激情は雫となって瞳から零れた。

 強く掴んだ右腕の、白い肌膚には痕が残ったことだろう。

頑是なく首を振る仕草の幼さを自覚しながらも、涙も詰る言葉も止まらなかった。

 

「魂を俺に分け与えたと、聖剣を通じて俺を見守っていたというのは嘘だったのか

「……嘘な、ものか」

 

 先ほどとは反対に、今はシュラの右手が紫龍の胸の高鳴りを詳らかに感じ取っている。

 

 この熱、滾る血潮と不屈の精神をシュラは知っている。

 けれど脈打つ鼓動の直向きさを、シュラは知らない。

 

「シュラ、頼むから……」

 

 俺を——。

 震えた声は殆ど音になっていなかったが、辛うじてシュラの耳に届いた。

 

 拒むことなど。そんなことがあるはずもない。だってシュラが一度は何もかもを与えた人こそが紫龍で、つまりこの少年、その身の内にあるものはシュラという人間にとっての全てと言っても過言ではないのだから。

 青年の纏う空気がおずおずと温度を変える。それを肌で感じ取って、紫龍は再び顔を上げた。

 

 一対の紫水晶が、穏やかな朝の色をしていた。

 

「ッ、ふぅ……ん、」

 

 二度目の口付けはどこか優しい。

 相も変わらず拙いキスで想いを確かめ合う中で、紫龍の右手は太腿を撫で上げて昂りへと近づいていく。舌を擦り合わせ唾液を交換しながら、焦ったく雄を引き摺り出す。張り詰めたそこに手を触れても、少し腰をくねらせただけで青年は抗わなかった。

 

「……っ、ふ、」

「う、ぁっ……き、もち……い、」

 

 自分のものよりも立派なそれは、けれど自分のそれと同じく先走りの露に濡れていた。思わず率直な呟きを漏らしたのは紫龍だが、シュラにもそれを捉える余裕はない。

 

 遠雷が聞こえる。いつの間に小鳥は飛び去ったのか、愛くるしい囀りは今はない。先端を纏めて握り込まれぐちぐちと捏ねられて、シュラは咄嗟に左手で口元を覆った。思いがけぬ初心な反応に笑いが漏れて、紫龍の手が意地悪くなる。

 

「あっ くぅ、ん……っむぅ、ぁ、」

「シュラ、も……ここに、触れる、と、快いんだな」

「もっ……黙ってろ……ッひ、あぁっ

 

 結局を抗議の声を封じられたのはシュラの方だった。掌底で撫でくり回すように切っ先を愛撫されて、己のやりようとは違う手つきに恥ずかしい声が上がる。仰け反って見上げた空では真昼の太陽が苛烈に燃えていて、今更のようにシュラの理性を傷つけた。

 

 責める手つきは激しくなる。大きくなる水音と荒くなる呼吸が二人を耳から犯していって、先に根を上げたのは年若い紫龍の方だった。

 

「うっ、あぁ……もうっ……

「ふぁっ、ッん……くうぅっ

 

 熱い迸りを腹に浴びて、間も無くシュラも欲を吐き出す。

 

 色素の薄い肌膚にぶちまけられた白濁はなお白く目に痛い。二人分のそれをたっぷり指先に纏わせて、紫龍は再び手を伸ばした。

 萎えたものの先、受け入れることを知らない場所を弄られ、シュラが引き攣った声を上げた。

 

「っひ……!?

 

 快感に染まった声でも、痛みへの恐怖に上ずった声でもない。

 まさかそこまで求められるのか、と。驚愕の隠し切れぬ眼差しを受けたところで止められるはずもなく。下衣すら脱がさずにことに及ぼうとする少年の不慣れに溜息を吐いて、シュラは腰を上げてやった。それでやっと思い至って、紫龍の手が辿々しく下穿きを引き抜く。

 

 確かに少年はまだ、男も女も知らない。

 だが一度だけ、聖戦を控えたある晩に男たちの目合いを見てしまったことがあった。

 不浄の孔に、男の最も繊細で弱い部分を突っ込んで。押し殺した吐息。雄を受け入れた側の涙交じりの嬌声が夜の静寂を時折破って、睦み合う二人のみならず紫龍の心臓も跳ね上げさせた。

 

 あの時の二人の高まりが、今ならわかる。

 

「は、ぁ……ん……ッふ、」

 

 細い指の腹で窄まりを摩る。呑み込ませた指先にシュラの身の内の慄きが伝わって愛おしい。

 どうにか一本を含ませたところで紫龍はまじまじと青年を見た。

 

「……あ、見る……な、」

 

 白皙に朱が差す。伏せられた瞳、頬に影を落とす睫毛が思いの外長くて、紫龍の意識を引きつけた。

 

 宥めるように目尻にキスして、いまだに蹂躙者を歓待するには至らぬ肉の鞘を、少しずつ少しずつ緩めていく。本数を増やし内壁を抉るように回せば、長い膝下がびくりと跳ねる。後ろにみっともなく下がろうとした身体は巨木に阻まれて今も紫龍の眼前にあった。

 

 どうにか解れさせた後孔に、自身の雄を押し付ける。

 にゅぷんと切っ先が包まれて、目も眩む快楽に紫龍は呻いた。

 

「……シュラ、っ、」

「っふ、うぅ……

 

 上擦った声が我ながら情けない。じりじりと腰を進めていく間にも、紫龍の方こそみっともなく喘ぎそうになる。互いに唇を噛み締めて嬌声を殺す破れかぶれの意地に、しかし二人は気づかなかった。

 どうにか全てを呑み込んで、呑み込ませて、ようやく安堵に汗を拭う。

 

 大きく上下した胸に紫龍の視線は吸い寄せられて。

 

「くひィっ……!?

「ッ、ぁっ……っは、」

「やぁッ、めろ……そこ、は……んくうぅ

 

 子を孕まぬ身にはまるで意味のない場所を無遠慮に捻られて、その度に切羽詰まった声が上がる。

 ふつんと勃ち上がった乳首を苛めつけるのは確かに子供の手で、それがほんの僅かに残ったシュラの矜持を粉々に砕くのだった。

 

 頂きを弄る手は休めない。いやらしく蠢いて征服者をしゃぶり始めた内壁に息を詰まらせつつ、ずるずると勃起を抜いていく。舌足らずになった呼び声が耳を擽る。柳眉を寄せたシュラが頭を振って快感を逃そうとする様に、胸の奥の征服欲に火がついた。

 

「ひッ、や、あっ……しりゅ、しりゅうっ…… んあぁあッ

 

 今一度、最奥に欲を突き立てる。泥濘のようになった腹の奥を一際硬く張り出したものでぐちゃぐちゃに掻き回す。そこから肉体が融けて、混じり合ってしまえばいいのにと、それは詮無い夢とわかっているけれど。今だけは二人は一つだった。

 

「あッあ、あ……っは、ひィ、」

「うっ、くぅ……も……もう、」

 

 熱い息に、絹の如き髪に肌膚を嬲られる。自分を抱く少年のかんばせさえぼやけて見える。

 質量を増した剛直を引き抜こうとする動きに、初めてシュラの右手が動いた。

 

「い、いから……っ、あッ、ああぁっ……

「シュ……ラ、シュラ……ッ!!

 

 媚肉の奥に劣情を叩き付けられて。腹の奥に広がっていく熱を感じながらシュラは深く息を吐いた。

 新たな白濁が腹を濡らし、とろとろと肌膚を撫で下ろしていた。



***



「その……すまない」

「後悔したか」

「そうではない だが、」

 

 逞しい背には見るも痛々しい擦り傷が残されている。流石にバツが悪く俯向く少年に、シュラは目の端だけで笑いかけた。

 

「こんなもの傷のうちにも入らん」

「そう……だが、」

 

 鍛錬後の水浴びを済ませてからずっと放り捨ててあったシャツがようやく拾い上げられる。

 それをひっ被ってしまえば紫龍が残した傷跡など、もう存在を感じさせもしないのだった。

 

 詫びの言葉に偽りはない。

 それでも。

 

 何も刻み付けられないのが悔しいと、そう言ったらこの青年は笑うだろうか。

 

初出:2016/09/17(Privetter)