サガ……?
愕然と呟いて震え出したシュラに、カノンはまず名乗るところから始めねばならなかった。
黄泉還りが遅れているのだと、そう聞かされていた山羊座の聖闘士と思しき人間を歓楽街で見かけたのは本当に偶然だった。雑踏の中にちらりと見えた横顔を咄嗟に追いかけて捕まえて後悔。似合わぬ扇情的な衣服に身を包んだ痩身がびくりと強張る。
それからシュラは血の気の引いた唇で兄の名を紡いだのだった。
互いに人目を引く容貌であることは十分に理解しているので、手近な宿に痩身を引き込む。弱いなりに必死に抗おうとするシュラの奮闘は、当然のように黙殺した。
「漠然とだが事情は察した」
寝台に掛けた身体は細く薄く頼りない。僅かな胸の膨らみがなければ、少年と言っても通用しそう。売春宿のどぎつい赤の壁に青ざめた肌は似合わなく、何だか見る者の心に憐みの感情を引き起こさせる。
こいつはシュラであってシュラではなくて、ネオンが眩く輝く時間帯に柄でもない場所をはしたない格好でうろついているのもおそらくそれ故。
「性行為をしなくては男に戻れないと、そう解釈したがそれでいいのか」
「……っ!?」
どうやら嫌な予想は当たっていたらしい。いよいよ蝋のような顔色のシュラにまじまじと見つめられて思わず苦笑。
むすっと生真面目そうな外見通りの中身——聖域にいた奴らは知らないだろうけれど、海闘士を束ねるものとしてカノンは幾度も敵情調査を行っていたから、女神に仕える者達の中でも最高位たる黄金聖闘士についてはつい最近のことまでそれなりに知っていた——からは予想ができぬほど、思い切ったことをする。割り切って一晩の相手を頼める人間はあそこにはいないとでもいうのだろうか。
「おい、シュラ」
「……なんだ」
応える声は固い。続く言葉を聞いて、シュラは戸惑ったように声を荒げた。
「知ってしまった以上このまま帰すことはできん」
「貴方には関係ないだろう!」
「ないとは言わせん」
寝台に軽く乗り上げる。驚いて逃げを打つシュラがますます小さく見えて、カノンは壁にぴたりとくっついた女を追い詰めはしなかった。おもむろに立ち上がり窓へと近付き、薄汚れたガラス越しに盛り場の夜を眺める。
「俺はお前のことなど大して知りはしない。お前だってそうだろう」
嘘だ。シュラのことは存外よく調べてある。出身地や修行地といった基本的なデータを始めとして、僭主となった兄を信じた結果最も尊敬する同胞を殺したことも、失意のどん底で一時は自暴自棄になって危険な任務で何度も死にかけたことも。年下の連中に聖域に満ちた虚構を悟らせないため、デスマスクやアフロディーテと共に幾つも粛清任務をこなしたことも。一度だけ反逆者を手にかけた後、夜の海で一人、波に呑まれようとしたことさえ知っている。
だがそんなことはおくびにも出さずに言い放てば、シュラは静かに頭を上下させた。こいつからしたら自分は、聖戦の最中に一度だけ顔を見たサガのスペアだ。
「あ、ああ……」
「だからだ。くだらん感傷も好悪も、何らお前には持ち合わせておらん。だが全く知らぬ間柄でもないだろう。俺もお前も、ともに女神に仕える聖闘士だ」
力強い声に、シュラの警戒が僅かに緩む。もう一度、今度は隣に腰を下ろし、カノンは静かに続けた。
「見たところ小宇宙を燃やすこともままならんようだな。見ず知らずの男に身を委ねるよりはリスクが少なく、よく見知った人間に頼むよりは後腐れがない。悪くはないだろう」
俯いていた顔が上がる。シュラの眼差しは鋭く、けれど隠し切れぬ恐怖と不信で昏い。黒髪を揺らしかぶりを振って、立ち上がるシュラの声はすっかり諦めた人のそれだった。
「……いずれにせよ、今の俺に貴方から逃げることは不可能だ」
首の後ろに回された手が勢いよく紐を解く。ドレスを脱ぎ落したシュラはすっかり産まれたままの姿になって、カノンの前に黙して立っていた。
そういうことは、好き合った相手とするものだろう。
カノンの口づけをやんわり拒んで、痩せた身体が寝台に横たわる。どこを触れられても極度の緊張のあまりほとんど快楽など感じないようで、それでもシュラは早くとカノンに縋るのだった。
「は、やくっ……いれ、ッ……!」
歯を食い縛って、汗ばんだ顔を枕に埋める。潤滑油をありったけ垂らし、出来る限り緩めてやった秘所にカノンは自身を押し当てた。痛みはないはず。だがここまで快感を得られないのでは望まぬ情交は辛かろう。出来る限り早く終わらせてやりたいが、いらぬ負担を強いるのも本意ではない。
ゆっくりと剛直を突き立てる間、苦しげに喘ぐシュラはずっと目を瞑っていた。宥めるように硬質な黒髪をカノンが撫でると、潤んだ瞳が男を見上げた。戸惑いと怯えに濡れた眼差しがあまりに無垢で、双子座の青年を怯ませる。これまでそれなりに遊んできたけれどこんな生娘を相手にしたことなどなくて、どうしたらいいかわからなくなる。
「お前、女と寝たこともないのか」
「……っ、」
沈黙は肯定の証。揶揄されたのではないと分かってはいるがどう返答したものか考えあぐね、シュラは黙ったまま顔を逸らす。
この分じゃ、当然抱かれたことなんてあるはずがない。思ったことがうっかり口をついて出てしまって、カノンは慌てて口を噤んだ。いい加減怒られるかと思って白皙を見下ろしたけれど、眉根を寄せているシュラは何も言わなかった。
奇妙な沈黙が一瞬落ちる。先に声を出したのは意外にも山羊座の方だった。
「……ない、」
「は?」
呟きは煤けた壁に吸い込まれ今にも消え入りそう。辛うじて聞き取れた部分だけを元にそりゃそうだろう、なんてカノンが返そうとしたところで、シュラはもう一度口を開いた。
「ない、訳じゃ……ない、」
「はぁ?」
「ひ、一人だけだ!」
嘘だろ、と喉まで出かかった言葉をどうにかこうにか引っ込める。眼下の身体はカノンが扱いに困る程度にはガチガチに強張っていて酷く初心。だからすっかり経験がないものと思い込んでいた。
これ以上くだらない質問を投げかけられてはたまらないと思ったのだろう。ついにシュラが声を荒げた。
「もうっ……いいだろう! さっさと……終わ、ら……て……!」
男の太い腕に爪を立てる仕草はやはり幼い。
強く誇り高い山羊座の聖闘士のシュラ。孕む性へと作りかえられ、雄に狭い膣内をいっぱいに占められて処女のように震えているシュラ。その二つさえいまだに脳内でうまく繋がらないのに、今抱いているこの生娘は男を知らぬ身ではないという。
どうにもミスマッチで何か心にひっかかる。同時にそのちぐはぐさに煽り立てられているのも事実で、カノンは前髪を掻き上げて薄く笑った。
シュラが目を見開いて息を呑む。
「ぁ、っ……ンぅっ!?」
ずん、といきなり最奥まで雄を突っ込まれ、女の身体が強く撓った。そのまま抽送を激しくしても、シュラに痛みはないようだった。
寧ろ。
「あ、ッあぁ、やあぁ……! やめ、っえ……ひあぁっ!」
蜜壺を掻き回し奥を抉れば抉るほど、とろみが後から後から溢れてきて止まらない。先ほどまでの男を萎縮させかねない呻きのような声はどこへ行ったのやら。シュラの声はすぐさま甘ったるく追い詰められて、狭く薄暗い室内いっぱいに満ちていく。
やがて秘所が痙攣し始める。必死に黒髪を乱して快感を逃そうとしていたシュラの抵抗は不規則な緊張と弛緩に代わり、曲がりなりにもカノンを視界に捉えていた黒い瞳もここではないどこかを眺めているだけとなった。
「い、やぁ……いやっ、いやだ……! ぬい、てぇ……!」
「……はっ、」
しっかりと感じて乱れに乱れている女が、絶頂を間近に自分を拒む。身も心も感じ入っているくせに快感から逃れようとしてしまう弱い抗いや怯えを見下ろすのがカノンは嫌いではなかった——こういった女こそ、箍を外したときがおもしろいのだ。
すっかり生意気に勃ち上がった乳首を気まぐれに捏ねては捻り苛めつけながら、打ち付ける動きを速めていく。長い睫毛から涙がきらきらと宙を舞って場違いなほどに美しかった。
「やぁっ、あ! あぁあぁぁーっ!」
潤んだ肉の襞が勃起に絡み付く。めちゃくちゃに締め上げられつつも吐精を意地で堪えて、カノンは更に勢いよく奥を穿った。みっともなく唾液を垂れ零したシュラの唇が、破れかぶれに慈悲を乞う。
「だめっ、だ……やぁッ、あんぅ……いまっ、イって……んうぅーッ!」
天国を這いずり回るとでもいうべき筆舌に尽くしがたい激感。標本の蝶のように一本の楔に貫かれたまま絶頂に留め置かれ、何も考えられなくなる。
自分が自分でなくなっていく、指先から溶けて消えていきそうな恐怖の中で、ほとんど譫言のようにシュラは口走っていた。
「いやぁっ、いやだッ……ゆる、し……サガっ……!」
「……ッ、」
当人にまともな思考回路など残ってはいまい。だが冷や水を掛けられたように心が凍り、カノンの動きはぴたりと止まる。それにすら気付かずにシュラは目の前の男に続けるのだった。
「サガ……サガぁッ……! ごめん、なさ……も……ゆるし、」
嫌だ無理だとほろほろ泣いて、厚い胸板を弱く押すシュラはそれで抗っているつもりなのだろうか。聖闘士などではない普通の男だってこれで止まれる訳がないが、シュラの言葉が脳裏に焼き付いて消えなくて、ひとまずカノンは眼下の泣き悶える身体を見下ろした。
「いぁッ、う……ううぅーっ! う、くぅ……」
カノンの方はこれっぽっちも動いてはいないけれど、一度昇り詰めてしまった身体は制御が効かないようだった。シュラの意志を完全に離れたところで、蜜を吐き出す秘所はうねり、雄の精をねだるように蠢いている。
凌辱者を押し退けることはもちろん、這いずって逃げることも救いを呼ぶことも叶わない。絶望と快感の大波に交互に意識を浚われかけ、ここにいない兄の慈悲を乞うシュラが哀れでならなくて、カノンは深く息を吐いた。
額に張り付いた前髪を軽く払って。
「……シュラ」
「うぁッ!? あ、あぁ……っあ、」
一点を指して軽く小宇宙をぶつけるだけで痩躯は棒を呑んだように固まる。
瘧に罹ったようにシュラが痙攣していたのは一瞬。だらしなく筋肉が弛緩し仰け反っていた背が再び寝台に下りたとき、苦悶に喘いでいたはずの顔には何ともみだらがましい笑みが浮かんでいた。
恐怖も絶望もそこにはない。伸ばされた腕は男の首にゆるりと絡み、逞しい背や肩にいとけなくじゃれつく。
「ふっ、あぁ……ぁ、」
艶めいた吐息がカノンの肌を擽る。媚びる視線を頬で受け、男は抽挿を再開した。
「あッ! っ、あ、んぅ……あっあ、あぁ、ひぁああっ!」
遊び女だってこうも高く甘く、雲雀のようには啼かないだろう。髪の一筋から爪先まですっかり快感に浸されて、歓喜の中で幾度もシュラは達している。
飲み下せない唾液に濡れた唇が、不意に意味のある言葉を紡いだ。
「ふぁッ、あ……す、き……すきぃっ……!」
当人でさえ自分のものと認識できなさそうな蕩け切った声。熱烈な愛の告白はこれだけでは終わらなかった。
「すき、だ……! ロスっ、アイ……オ、ロス、んぅ……ひぁっ、あ!」
「ッ、ぅ……!」
気持ちの上ではともかく、自身をこれほど懇ろに愛撫されては身体の方は限界が近かった。他の男の名を繰り返す女の奥にそのままぶちまけそうになって、カノンは歯を食い縛って衝動を殺す。
「ロス……あい……して、ロス、ろすっ、んッ!? ンぅ……!」
限界だった。もう何も聞きたくなくて唇で女のそれを塞げば、シュラは眦を緩ませて口づけを受け入れる。こいつの中では俺はこいつが惚れ抜いた男なのだ。自分で暗示をかけておきながらその事実が不愉快極まりなくてカノンは思いきり顔を顰めるけれど、それでもアイオロスの名を聞き続けるよりは余程マシだった。
呼吸が苦しいせいだろう。膣が一層きつく締まって勃起をしゃぶる。
「ん、むぅッ……ん、ふぁ、っン……んうぅうーっ!!」
「……っ、く、」
切っ先で子宮の入り口を抉るように掻き回し突き上げれば、シュラはより深い極まりに至ったらしい。痛いほどに絞り上げられ、カノンも最奥に白濁を放っていた。
「ん……」
すっかりきれいになった痩躯の上に、薄汚れたシーツの代わりに自分のシャツを掛けてやる。全身余すところなく清拭してやっている間も、深く眠るシュラは身動ぎ一つしなかった。
すべらかさを取り戻した頬を撫でるとかさついた掌に擦り寄ってくるのは無意識だろう。この手をカノンのものと認識しているのか、アイオロスのものと思っているのか、カノン自身にもよくわからない。いずれにせよ目覚めたときには、シュラは最中の醜態——だろう、少なくともこいつにとっては——を忘れている。
何もかも覚えているのはカノンだけ。夜が明ける前にここを去り、後は素知らぬ顔で過ごしてやるのがシュラにとって一番いい。そんなこと考えるまでもなく承知している。
わかっているからこそ、つい昏い妄想に囚われる。
今すぐ一糸纏わぬ痩身を抱きかかえ、聖域へ連れ帰ったとしたら?
皆はどんな顔をするだろうか、サガとアイオロスは。
彼らがシュラにどんな感情を抱いているかなどカノンが知り得るはずがない。だが殊こういった話題において、双子座の青年の直感が外れ知らずなのもまた事実。
「おもしろいだろうな……」
カノン——自分の名前。13年間それ以外何一つとして持たなかった、与えられてこなかった自分が、聖域の両雄からこの山羊を掠め取ってしまったとしたら。
兄はどうするだろうか。天使のような微笑みの裏に、妬みと嫉みを隠すのだろうか。あの日と丸きり同じように。アイオロスは全く予想がつかない。聖域が誇る英雄、誰もが認める次期教皇が執着と妬心を露わに自分を睨み据え、呪詛の言葉を投げつけてくることを想像するだけで、カノンの背には言いようもない興奮が駆け抜ける。
「なぁ、シュラ」
「……っ、」
お前はどう思う、なんて。鼻先が触れ合う距離で囁いても、寝台に沈む人はいまだ優しい夢の中を彷徨っている。
眠るシュラの白い額に、カノンは“カノンとして”キスを落とした。