消せない感傷

前提:よその町で任務中、直腸にザーメンを注がれないと解毒されない超強力な媚薬のような何かをエルシドが飲まされてしまった!! 這々の態で宿に帰ったエルシドは助けを拒み自身が借りた部屋に籠るが……

みんなが聖衣を賜った時期がよくわからないけど、エルシドはまだ十代。 

 

 

 貴方の手を煩わせる訳には。

 

 扉越しの声は存外しゃんとしていた。

「だが、」

「心配には、及ばない。夜風でも、浴びれば……いずれ、冷める」

 荒くなってしまう呼吸を咎められぬように。

 そんな思いから途切れ途切れになるエルシドの言葉こそが、むしろシジフォスの心配を煽る。

 がたんばたんと部屋の内が喧しいのは、立ち上がった彼があちらこちらにぶつかり、机上のものなどを薙ぎ倒しては窓辺へと向かっている音なのだろう。

 普段の立ち振る舞いからは考えないほど乱雑に、いっそ苛立たしげに窓の掛け金を外すのが聞こえる。

 エルシドの意思を尊重したい。

 そんな考えは室内に吹き込む夜の風に容易く散らされる。

 間違うはずもない。

 戸の隙間から広がったそれは確かに、

「エルシド

 血の臭いだった。

 

「シジ……フォス……

 簡単な造りとはいえ施錠してあったのを壊してまで抉じ開けられ、エルシドの視線が常以上に鋭くなる。

 そんな非難は言うまでもなく黙殺してシジフォスもほうこそ、エルシドの行動を咎めたかった遠慮なく室内に歩を進める。

 正気の代償としてあちこちが薄く深く斬られた腕を掴み上げ、流石にシジフォスもはっきりと眉を顰めた。

 身を震わせたエルシドが、鋭い視線に晒された腕を弱く引いても、その程度で自由が取り戻せるわけがなく。

「な、何を、」

「決まっているだろう。まずは傷の手当だ」

 そんなもの、と拒みかけたところでその発言も射落とされる。

「今お前の意見は聞いていない」

 厳しい面差し。冴えた声音は有無を言わさぬもの。

 カフスボタンを外され、切り傷だらけの腕を露わにされて、山羊座の彼は諦念に顔を背けた。

 

 頬の内側に歯を突き立てる。

 傷に軟膏を塗り込めていく手つきにさえ官能を煽られて堪らないなんて、誰より尊敬するこの男に知られるくらいならば舌を噛み切ったほうがましだった。

「ンっ、うくうぅ…… ん、むぅっ、」

「エルシド」

 そんな独りよがりを、目の前の人が許してくれないことなどわかっているのだけれど。

「猿轡でも噛ませなければならないのか」

「っ、や……ひッ

 射手座の首元を離れたクラバットが頬に触れる。

 冷たい声で警告などしたくせに、口の端から溢れた血を拭う手つきは痛いほどに優しかった。

「シ、シジフォス、」

 怒りよりもなお堪えるのは、こんな労わりの視線や表情なのに、シジフォスはそれを理解してくれない。

 或いはもしかしたら、エルシドが決してそれを拒めないと知ってやっているのだろうか。

 

 唇に、掠めるだけのキスが落とされる。

「気に病むな」

「シジ、」

「治療だ」

「ッひ、あぁ

 シャツ越しに胸の頂きを摘まれただけで、腰に電流が駆け抜ける。

 あまりの刺激に呆然としているうちに逞しい手に上体を剥かれてしまって、今度はそこに直接刺激が与えられた。

「や、やめっ、え……っン

 突き飛ばしてでも逃れたいと思ったのは確かなのだろう。

 シジフォスの両肩にかかった腕はしかし、すんでのところで躊躇ってしまった。

 その逡巡を見逃してもらえるはずもない。

 先程のクラバットで両手首を縛められてしまったエルシドは、愕然と己の上にのしかかる男を見上げた。

 聖闘士の力であれば、こんな布を引き千切るのなど造作もない。

 ましてや小宇宙をほんの僅かにでも燃やしてやれば、瞬きの間もなく細切れすることだってエルシドには容易い。

 それでもエルシドがそんな真似をするはずもないと、やはりシジフォスはわかってやっているのだった。

 

「や……待っ、て…… ンぅっ、ああッ!!

 胸への愛撫もそこそこに、シジフォスの手が下肢へと伸びる。

 驚くほどの手際の良さで素裸にされてしまって、エルシドは青ざめて両足を虚しくばたつかせた。

 晒された場所は恥ずかしいほどに昂ぶっていて、先走りで黒い下生えまでもが濡れそぼっている。

 どれだけの間耐えていたというのだろう。

 同じ男としてその辛さがわからぬわけがない。

 まずは少しでも煩悶から解放してやろうと、シジフォスはそこを躊躇いなく握り込んだ。

「いッ!? やぁっ、めっ……シジフォスっ、やめてくれっ、あっあ、ひぃ、ッん

 堅くそそり勃ち脈打つ肉茎を、自身がやっているように擦り上げる。

 己のやりようとは違うそれに、改めて別の人間それも、他でもない、シジフォスに奉仕をさせているのだと意識させられて、エルシドはいよいよ黒檀のごとき瞳に快楽からでない涙を浮かべた。

 太腿が、腹筋が、絶頂を堪えるあまり痛々しく痙攣している。

「も、う……もうダメだっ ダメだからぁっ……

 後生だから、頼むから離してくれと、必死の哀願も黙殺された。

 黄金の弓を引き絞る硬い掌が、興奮しきった勃起を扱き上げ、敏感な切っ先を捏ね回す。

 先走りを垂れ流す先端をこそぐように強く弄られて、ついにエルシドはがくがくと腰を跳ね上げた。

「い、くっ、いく…… んやぁっ、あぁああぁっ!!

 触れられるよりも前からずっと、吐精を堪えて堪えて堪えていた場所からは、思いもよらぬ量の白濁が吐き出されて、少しカサついて荒れた掌を散々に濡らす。

「ひぃあ、あぁ、は……」

「やはり駄目か……」

 呆然と空を見つめる瞳。

 白いかんばせから消えぬ淫靡な影に、シジフォスは少しばかり眉根を寄せた。

 激しい快感を伴った逐情さえもその熱を払うことはできないらしい。

 やはり雄の精を後穴に注がぬ限りは。

 

 女と一夜を共にした経験がないわけではない。

 聖域は女性が極端に少ない地であるから、男性同士での交わいは珍しくない。知識はある。

 だがそれでも、実際に同性を抱こうとなるとやはり勝手がわからなくて、シジフォスはおずおずと白濁に塗れた指の腹を窄まりにあてがった。

「あ、んッ

 おそらく普通ならばこうはいかないのだろう。

 だが淫らな熱に狂わされた身体は陵辱者さえも心待ちにしていて、嬉しげにひくついて節くれだった男の指を呑み込んでいく。

 そこは女の熟れた肉壺のように熱く、質量のある存在を歓待する。

「ッあ、いや、あ、入って……!?

 内壁を犯す侵入者に、エルシドが目を見開いて身をくねらせた。

 幸か不幸か、痛みがあるようには見えなかった。

 エルシドの意思に反し、後孔ははしたなくシジフォスの指にむしゃぶりついたけれど、流石に纏わついた精だけでは中を緩めてやるには足りない。

 シジフォスは振り返り、ソファに放り出していたジャケットを一瞥した。

 

「はぁっ、あ、あぁ、」

 中を遠慮がちに検分していた指が抜けていく。

 愛撫というにはあまりにも素っ気ない動きにさえ性感を激しく煽られて、離れていくものを物欲しげに喰い締めてしまう。

 もっと、などと無様極まりない要求を紡いでしまいそうになるのを必死で堪えて、エルシドは身を起こしたシジフォスを言葉なく見上げた。

 いつの間に上着を脱いでいたのだろう、などと考えていられたのは一瞬だった。

 ジャケットを探り、シジフォスが何かを探している。

 こちらに向き直った彼が握っていたのは意匠の美しい小瓶で、それを認めたエルシドは全身を引き攣らせた。

「そ、それは、」

「ただの香油だ。このまま進めては傷になってしまう」

「そうじゃない!!

 それはほんの数時間前、こんなことになる前にシジフォスが購入していたものだった。

アテナ様が、御髪のための香油を探していらっしゃると聞いたのでな。

 楽しげに、けれど実に真剣にあれこれと吟味して選んだ一品は、本来ならば女神の滑らかな髪に捧げられるべきもの。

 それで己の不浄な窄まりを解すなど。

 あまりのことに一瞬我を忘れたエルシドは、けれど腹部に垂らされたとろみにすぐさま思考を取り戻した。

 先だっての血と精の臭いを掻き消す、甘やかな花の香が広がる。

 羞恥以上に、身を引き千切りそうな罪悪感に苛まれて、エルシドは勢いよく身をよじらせた。

 それすらも、シジフォスに片手で抑え込まれる。

 たっぷりと蜜を掬った指が、再び後孔に押し込まれた。

 

 男を受け入れるには不十分な、窄まったままの入り口を柔く揉み解す。

 まずは人差し指を一本、ゆっくり根元まで挿し込む。

 すぐに物足りなさそうにそれをしゃぶる内壁を宥め、すぐに二本目を挿れてやって。

 うねる肉を拡げるべく、中で指をぐるりと回す。

「あっ、あ、ひィ、ん……んうぅうっ…… やぁっ、ひぁん、あ、」

 努めて義務的で単調な動きであるように、シジフォスはしているつもりだった。

 だがそれでも、エルシドは感じて堪らないというように唾液さえ唇から溢れさせて、常の見る影なくひいひい善がっては勃起から精液とも先走りともわからぬものを垂れ流している。

 この苦しみよう、感じようを見て、確かに憐憫の情を覚えているはずなのに。

「いい、か……

 仲間のこのような姿を目の当たりにして、浅ましいことにシジフォス自身も酷く興奮していたから。

 纏っていたものを脱ぎ捨て、僅かに震えるエルシドの背に腕を回す。

 そそり勃つものをひくつく窄まりに呑み込ませようとしたとき、しかしエルシドは震える唇を開いたのだった。

 

「やッ…… や……はり……だめ、だ、こんな……

「エルシド……」

 あまりの頑なさに溜息が漏れる。

 迷惑を掛けたくないとか、みっともないところを見せたくないとか。

 若さや幼さ故の強情さが理解できないシジフォスではないけれど、流石に少しばかり語気が荒くなる。

「気持ちはわかるが、これ以上意地を張ってどうする

「ちがっ……俺、は……

 続いた言葉にシジフォスは暫し惚けた顔を晒していただろう。

「貴方を……汚したくなどないんだ……

「……は

 それはあまりにも奇妙な言い分だった。

 寧ろこの贄のほうこそ、男に身体を拓かれて、その精を干さなければならないというのに。

「エルシド

 彼の言葉はいつだって不十分だ。

 それが意味するところをすぐ汲んでやれなくてもどかしい思いをすることも多い。

今だってそうだ。

 悲痛に顔を歪めたエルシドは、ついにはシジフォスから目を逸らし、遠慮がちに身を縮こませている。

「ああ……」

 ふと思い出したのは、年若い聖闘士たちのある日の会話だった。

 エルシドの他に、マニゴルド、カルディア、デジェルが集っていたかと思えば、思い出話に花を咲かせていたときのこと。

 尤も、話していたのは概ねカルディア、時折デジェルといった感じだったけれど。

 幼きうちに才能を見出され、永き命を抱え世界を見つめてきた水瓶座の聖闘士に師事してきたデジェルの話も、療養所での生活から一転、聖闘士としての道を駆け始めたカルディアの話も、シジフォスは興味深く聞いていた。

悪ぃ、俺お師匠に何か頼まれてた気がしてきたわ……じゃあな。

なんだ、マニゴルドの奴 付き合い悪ぃなあ。

やめておけ、カルディア。

 珍しくほとんど口を開かなかったうえ、そんな取って付けたような言い訳で会話を切り上げてその場を離れたマニゴルドの背に、カルディアが小さく呟くのを、隣のデジェルが嗜める。

好きも嫌いも話すも話さないも、人の感情や行いには理由というものがある。

デジェル、

……俺も、そろそろ失礼する。

なんだよ、エルシドまで

 それに続くように足早に去っていくエルシドに不満げに口を尖らせたカルディアが、呆れ顔のデジェルに宥められていて。

 常と違うマニゴルドの様子ばかりが頭に残っていたシジフォスだったが、確かにあの日のエルシドもまた、普段の彼とはどこか違った。

 そして気づく。

 自分は、聖域に来るまでのエルシドを何も知らない。

 言葉なく見下ろすシジフォスを再び見上げて、エルシドは整わぬ息で再び懇願するのだった。

「たのむ、から……シジフォス、」

 やめてくれ、こんなことで貴方を汚したくない、と。

 そうしてシジフォスの手を拒絶して、それからどうすると言うのだろう。

 消えぬ淫毒に狂わされぬよう、またも痛みで気を紛らすつもりなのか。

 汚れた身にシジフォスを受け入れずに済んでよかったと、勝手に一人満足しながら

 独りよがりもいいところだ。

「……馬鹿だな、お前は」

 その愚かさが堪らなく哀しくて愛おしかった。

 言葉に出さぬ労わりを込めて、シジフォスは一つ、エルシドの額に口付けを落とした。

 

 ゆっくりと腰を進めていく。

 絡みつく肉の柔らかさと熱さはこれまでの情交では経験したことがないもので、シジフォスの腰にも甘い疼きが駆け抜ける。

「あッ、あ、ひぃ……

 ただ普通に抽送しているだけでも、張り出した場所がエルシドの勘所を抉り、最奥をこちゅんと小突く。

 その度ぎゅうぎゅうと肉壁が雄を締め上げるのは、エルシドの意思によるものではないだろうが。

「くっ……」

 あまりの快感に我を忘れて突き上げそうになって 、どうにかそれを抑え込む。

 けれど思わず漏れた舌打ちだけはエルシドに聞こえてしまっていたらしい。

「す、まな……シジフォスっ…… 俺の、せいでっ……こんな、ひぁっ やあぁああッ!?

 限界だった。駆け抜ける快感を抑え込むことがではなく、いっそ腹が立つほどに己を卑下するエルシドを見ているのが。

 もう何も聞きたくない、と激しく腰を打ち付ける。

 急に激しさを増した責めと襲い来る感覚に、エルシドは半ば瞼を睨み上げたまま喘ぐばかりで。

「まっ、ま、っえ…… ひぃ、っひん、あぁッ や、めぇっ……!!

 知らない激感に、身体も心も全くついていけない。

 感じてなど、悦んでなどいけないと戒める理性が残っているほどに、背徳感と快感に心が引き裂かれる。

「やぁ、ら……らめぇ……いいのっ…… なん、れ、きもちい、の……!?

 とうとう限界を超え溢れ出した涙が、止めどもなくすべらかな白い頬を濡らす。

 最早わけもわからぬまま、エルシドは自分でも知らぬ間に口走っていた。

「ひぃぅっ、あ、やっ……んああぁっ!! ご、めん……なさ、ごめ…… なさい、」

「……な、」

 幼い詫びに一瞬動きが止まってしまったのはシジフォスだけで、エルシドはなおも壊れたように言葉を紡ぎ続けている。

「ごめん、なさいっ……シジフォ……ス…… あッ、あ……ごめんなさいッ、ひぅ、ンッ……きもちいいっ……!!

 感じすぎた身体では呼吸さえままならなくて、時折噎せ返っては唾液を垂れ零す。

 情交も快楽も、何もかもが罪だとでも言うように、わななく唇は舌ったらずな謝罪を繰り返すばかりだった。

 それが、痛くて堪らない。

「詫びてくれるな……

「ごめ、んッ、ぐ……んむぅ、」

 先程のやり取りなど頭からすっかり抜け落ちているのだろう。

 ただシジフォスの言葉を受けて、反射的に縛められたままの両手を口元にやり、躊躇いなく歯を立てたエルシドに苦い溜息一つ。

 傷だらけの手をそっと取る。

 もう咎め立てするつもりはない。

 ただあらゆる面で加減というものを知らぬ彼が、己の手の肌を食い破るのが見ていられなくて、手を出さずにはいられなかった。

 拘束を外し背に回させてやった手が、与えられた寄る辺に懸命に縋り付く。

「ん、ひィっ、あ、あっあ、あンっ、ああぁあッ

 再び詫びを繰り返すかと思った唇からは、意味のある言葉は紡がれなかった。

 寡黙であるが故に雄弁に意思を語る黒曜石の瞳は今や涙に薄く曇り、ぼんやりと蹂躙者を見上げている。

 しなやかな身体の震えが強くなる。

 遠慮をなくした手に強く掻き抱かれ、背に爪を立てられて、シジフォスは僅かに顔を顰めた。

「エル、シドっ……

「やっあぁ、シ、シジ、フォ……スぅっ……

 その名がまるで、淫獄の業火に灼かれる身への、唯一の救いであるとでも言うように。

 縋る響きで名を呼んで、そして。

「好き、好きぃっ……

 穢れなき幼子の、或いは淫蕩な遊び女の声音と表情で、エルシドは確かにそう言った。

 その告白はすぐさま、悦楽を叫ぶ嬌声に流されてしまったけれど。

「あぁーっ んぁんっ、あ、ひ、ぃ……やああぁっああぁ!!

 背にしがみつく手のそれと変わらぬ必死さで肉筒に懇ろにむしゃぶりつかれて、覚えのある震えが腰を打ち据える。

「う、くぅっ……

「ひ、!!

 それまで気が触れたように喚いていたエルシドは、もう何も言わなかった。

 ひ、と小さく息を呑んだ形の唇が、碌に呼吸もできぬままにはくはくと無為に開いては閉じられる。

 最奥を強く突き上げ、熱い滾りを注ぎ込んだ瞬間。

 触れられもせずにいたエルシド自身もびゅくびゅくと精を撒き散らしたのを、シジフォスは肌で感じていた。

「うぁ、あ……」

「……エルシド

 そこで限界が訪れたらしい。

 ぱたりと軽い音を立ててエルシドの腕が寝台に落ちる。

 完全に意識を飛ばしてしまった身体は存外軽くて頼りなくて、シジフォスはできる限り優しくその身を横たえてやった。

 瞼を下ろした顔を覗き込めば、先程までの淫らがましい熱はすっかりと消え去っている。

「これで……」

 もう大丈夫なはずだ。

 とりあえず、ひとまずは。

 

 立ち上がり、盥に湯を張って戻ってくる。

 浴室に置いてあったタオルを泳がせて固く絞り、まずは泣き濡れたかんばせをそっと拭う。

 それから汗ばんだ身体。腕の傷には軟膏も塗り直す。

 逡巡の後に、香油と己の精とで濡れている後孔にも手を伸ばして。

「あ、ん……」

 僅かに呻きとも喘ぎともつかぬ声を漏らした他は、エルシドは身動ぎ一つしない。

 全身を隈なく清めてようやく、シジフォスは深く息を吐いた。

「……エルシド、」

 無防備な裸体はどうにも目に毒で、薄い上掛けを掛けてやる。

 その手でつい、汗ばむ硬質な髪を撫ぜていた。

 無造作に立てられている黒髪はぐちゃぐちゃになっていて、額にかかる前髪が普段と違った印象をエルシドに与えている。

 意思の強い理知的な瞳がすっかり隠れると、彼がまだ少年と形容しても差し支えない年齢であると思い出させられ、シジフォスは額に手をやり天井を仰ぐ。

 赤く腫れた目尻や腫れぼったい瞼、涙の跡が痛々しく残る白皙もまた、この山羊座の聖闘士を酷く幼く見せるのだった。

 

 細い、けれど落ち着いたエルシドの寝息だけが、静まり返った部屋で微かに聞こえる。

 夜の静寂はいまだ、朝の喧騒には取って代わられぬと傲岸だった。

 自室には戻らず、念のため今晩は様子を見てやったほうがいいだろう。

 ソファに深く身を沈め、シジフォスも軽く目を閉じた。

 脳裏に浮かぶエルシドの嬌態を追い払おうと頭を振って、それから苛立たしげに舌打ち。

「忘れてしまえ……

 訓練中や任務中、手傷を負ったことなど数え切れないくらいある。

 それを仲間に助けてもらったことも、反対に自分が負傷者の手当てにあたったことも。

 そもそも治療だ、とそう言ったのはシジフォスのほうで。

 覚えているべきではない。

 それがエルシドの、いや、互いのためなのだ。

 そういくら自身に言い聞かせても。

好き、好きぃっ……

 たどたどしく愛を紡ぐ言葉も、瞼の裏に焼きついた媚態も。

 そしてこの胸に生まれてしまった感傷も、どうにも消えてくれそうにはなかった。

 

初出:2016/01/12(pixiv)