蟹山羊♀

 薄暗い路地裏にこいつは似合わない。掴んだ手首が随分と細くて、デスマスクはひっそりと息を呑んだ。シュラは振り払おうと奮闘しているのだろう、その力は嗤えてしまうほどに弱々しいけれど。

「デスマスク、離せ

「なに、お前こんなところで男漁りしてんのか」

「……お前には関係ないだろう

 夜目は利く質だから、白い肌に朱が上ったのがよくわかる。よく見知った相手とことに及ぶくらいなら行きずりの相手との方がいくらかマシ。13年間とは短いようで長かったらしい。この馬鹿の考えなど手に取るように想像できて、やはりここで張っていて正解だった。

「なあ、」

「う、わッ……!?

 色気もクソもない声。そのまま抱き寄せて耳元に揶揄を吹き込めば、俺は男だなんて抗議の言葉が返ってくる。今のシュラが市街のど真ん中でそう主張したって、気狂い女に対する哀れみの視線があちこちから投げかけられるだけだろう。何しろこいつの身体は今、完全に孕む性に作り変えられているのだから。

「俺にしとけよ」

 そして雄の精を身の内に干さぬ限り、忌々しい呪いからは逃れられない。

 デスマスクの言葉にシュラはぎくりと身を強張らせ、精一杯男の身体を突っぱねた。いやに決まっている。兄弟のように——なんて微笑ましく語れる間柄ではないのだが——近しく育ってきた男の一物を咥えこみ醜態を晒すなどシュラにはとてもではないが耐えられない。

 だからこそ誰にも見つからぬよう細心の注意を払い、どうにかアテネの歓楽街まで足を運んできたというのに。

「っ、断る

「つれないな。13年も一緒にやってきたじゃねぇか」

 偽りの教皇に傅く共犯者を。囁く声は低く甘く、シュラの喉を絞めつける。

 他の誰よりも、この男に抱かれるのが嫌だった。

「ふざけるな 誰がお前などと、ッ、んぅ、ン……!?

 唇を塞がれれば、抗議一つ碌にできない。薄汚れた壁に背中を押し付けられ、手首は後ろ手に纏めて拘束され、身悶えすることさえままならなくなる。

「んぁ、む、ぅ……やぁ、んっ、んんうっぅ……

 嫌だった恐ろしかった。

 この友人の一言が、指が容易く、己の虚勢を引き剥がしていくのが。

 歯を突き立ててやろうと思っていたのに、デスマスクはすぐには侵入してこなかった。繰り返し角度を変えて唇を食み、舌先で前歯をそっと撫でる。自由に這い回る左腕が脇腹や胸の下を掠めてシュラをもどかしく呻かせる。

「ぷはっ、あ んっ、うぅっ、むぅう……

 息苦しさに喘いだ瞬間、それはのたくり込んできた。厚ぼったい舌を反射的に押し返そうとして、反対に絡め取られる。そのままデスマスクの口内に引き込まれた舌に甘く歯を立てられて、シュラは全身を震わせた。

 舌先が痺れる。その痺れが全身に広がって、形ばかりの抵抗さえもできなくなる。がくりと足から力が抜けて、シュラは慌てて目の前の男に拘束が外れていることにも気づかずに縋りついた。

 男の手がいやらしく身体を撫で上げ、そのまま女の両耳を塞ぐ。口の端からだらだら唾液を零れるのを感じつつ、それを拭う余裕さえ今のシュラのどこにもなかった。

「ん、ン…… む、ぅ、う……んむっ、うぅーッ……

 苦しさのあまり涙が勝手に零れて紅潮した頬を滑り落ちていく。

 デスマスクはわざとやっているのに違いなかった。破裂しそうな心臓の鼓動がうるさくて堪らない。口内を我が物顔で暴れる舌が溢れる唾液をぴちゃぴちゃと掻き回すせいで、はしたない水音までもが脳内に響き渡って精神を乱していく。何より理性を傷つけるのは聞くに堪えない自分の嬌声で、それが頭蓋に反響して少しずつシュラを毀していった。

「ふぁ、はっ……っ、むぅ、ッん……

 男の身体とは勝手が違う。だからこれはあれじゃない。そう内心で否定する声が、徐々に頼りなくなってくる。下着など元より一夜の相手を探してさっさと終わらせる心算だったから身に着けていない。経験が少ないとはいえ内股を垂れていくものに思い当たらないほどに初心ではなくて、シュラは困惑に眉根を寄せて小ぶりな尻をもじつかせた。

 目の前の男にだけは悟られたくない。そう必死なのはシュラだけで、寧ろ当人よりも早くそれに気づいていたデスマスクは、素知らぬ顔でシュラの懊悩を観察しているのだった。

「んうッ!? ん、んっ……むっ、うぅーっ……

 そうして唐突に、太腿で秘所を押し上げる。怒りと拒絶の混じり合った目でデスマスクを睨んだくせ、女の性は哀れなほどに快楽に従順だった。ほんの二、三回足を揺すってやっただけで、シュラは無意識のうちにおずおず腰を揺すり始めていた。

 無垢な少女のそれのように、貝殻はぴたりと口を閉ざしている。ただ熱い蜜だけがとろとろとひっきりなしに溢れ出して、布地を濡らしデスマスクの肌にまでシュラの悦びようを伝えていた。

「はぁ、ン……っふ、ッ……

 息が苦しい。瘧にかかったように全身が痙攣して、どうにも止めることができない。

 根元が痛くなるほどに、舌を思い切り吸い上げられて。

「ん、ひィ……あッ、あぁああぁっ!!

 口枷を奪われたせいで、蕩けた嬌声がそこら中に響き渡る。

とぷん、と一際多くの愛液を吹き零しながら絶頂に堕とされ、シュラはそのまま意識を手放していた。

 

「ッ、う……ぁ、」

 寒い。

 寒くて堪らない。

 骨の髄から凍り付きそうな、まるで身体のあちこちから血が流れ落ちているような、そんな寒さに忘我の海から引き摺り上げられ、シュラは重い瞼を持ち上げた。

 煤けた壁も、至極真面目にこちらを見返してくる男の顔も、できれば見たくはないものだった。

「デ、スマスクっ……

 一発ぶん殴ってやろうとして、愕然と瞬く。壁に緩く凭れているような姿勢の痩身は、指一本シュラの意志では動かなかった。

 声は出る。眼球も動かせるし、目の前の男の顔もよく見える。盛り場の裏路地の饐えた臭いも、窓から漏れ聞こえる遊女の露骨な喘ぎも、内股を伝うものの不快な感触も全てわかる。だがシュラの身にほとんど自由はない。

「な、にを……した……

 そして消えない悪寒。それはこの僅かな時間でますます強くなり、シュラの身体を弱らせる。絞り出された途切れ途切れの声に、口の端を吊り上げてデスマスクは嗤うのだった。

「あ、そっか。お前見えないヒトだっけ

「なに、言って……」

 無論使役する方にはしっかりと見えている。シュラに纏わりつく枯れ木のような腕。眼球の零れ落ちた目で今日の贄をうっそりと睨む、悍ましい死霊や亡者どもの姿が。

 細い頤を持ち上げて、デスマスクは間近で黒い瞳を覗いた。

「お前に理由をやろうと思って」

「は……

「俺なんざとはやりたくねぇんだろ

「あ、たりまえだ……

 背筋が震えるのはシュラから生気を奪い続ける魍魎どもの所為だけではない。長い付き合いが望むと望まざるとに関わらずあった男の心の内が全く理解できなくて、シュラは弱くかぶりを振った。短い黒髪がぱさぱさと揺れて、安っぽい香料の匂いを撒き散らす。

「だから、理由をやるんだよ」

「……ッ

 自分たちがとうに失くし、永遠に手に入らないもの。生きている人間の生気に焦がれそれに吸い付く異形たちは今、シュラの生命力を少しずつ少しずつ浪費している。蟹座の聖闘士がその気にならねば、こいつらは決して生贄から離れないだろう。

「そういうこと」

 指先がホルターネックの紐を断つ。扇情的と下品の中間、と形容できるようなドレスはそれだけであっさりと足元に落ち、シュラは一糸纏わぬ姿になってしまった。いくら歓楽街の裏路地とは言え、少し歩けば普通に人々が行き交っている。蒼褪めたシュラに睨み上げられて、心配すんなよ、なんてデスマスクは肩を竦めた。

「聞こえてんだろ あっちもこっちもお盛んで。全くギリシャって国は平和だな」

「デスマスク……

「……ああ、紙みてぇに真っ白になってんの、見られるのが怖ぇからだけじゃねえのか」

 すべらかな肌は粟立っている。悪名高き己の通り名を呼ぶ声のあまりのか細さに思い至って、デスマスクは一人得心して頷いた。本来黄金聖闘士ならば手を出さずとも闘気をぶつけるだけで振り払えてしまえるものを、今のシュラはどうにもできないでいるらしい。

 これでは体裁をかなぐり捨てて理由に縋るより前に、シュラが殺されてしまいそうだ。

「ま……死にてぇなら止めないけどよ。精々女神サマにもらった御命を、こんなつまらんところで無駄にしてくれ」

「ふ、ざ……け……っ

 ふざけるな。その一言の罵倒さえも言い切れず、痩躯ががくがくと頽れていく。汚れた地面に膝をついて、シュラは霞み始めた視界の真ん中にデスマスクを捉えた。

 頬に触れられるだけで全身を歓喜が巡る。生きているものの熱量に焦がれ、シュラは必死になって掌に擦り寄ろうとした。一瞬温もりに触れてしまった身体はさっきよりも尚寒く、熱を求め暴走し始める。

「あ、ッあ……

 どこよりも熱く、生の奔流を感じられるところ。

 きっちりと衣服を着こんだデスマスクの、雄の部分に懸命な視線を捧げていることに、シュラは気付けてはいないだろう。

 ほしい、と。声を出さずに呟いた相手の望みを、デスマスクはあっさりと叶えてやった。

「ッ、んむっ、う、ん……

 前を寛げて近寄るだけで、小さな唇が飛びついてくる。先端を舐り回す舌先がやがて零れた先走りを躊躇いなく吸い上げるのに失笑。小宇宙と生の力に満ちたものを体内に取り込んでいるから、シュラのかんばせには徐々に赤味が戻り始めた。

 大きすぎる雄を全て口内に含むことはできない。それでもほぼ唯一自由に動かせる頭をどうにか動かして、鎌首を擡げつつある雄をできるかぎり奥へ飲み込む。どうにかそこで滾りを吐き出してほしくて、シュラは無我夢中だった。

「んぅ、ふ、むぅう……ッ、」

 不器用な口淫だが、奉仕に勤しむのがシュラだと思えば悪くない。気まぐれに黒髪に指を指し入れ、愛撫を褒めるように軽く撫でる。優しい手つきに安堵した身体が僅かに気を緩めたところで、思い切り喉奥めがけて突き上げた。

「っ、ぎ……!?

 固い上顎を擦り上げ、柔らかくうねる場所へ。吐き出そうと嘔吐くわななきが切っ先に与える刺激は悪くなかった。そのままその痙攣を堪能し、唐突に白濁をぶちまける。

「んッ、ぐうぅうっ……!? ひ、ぐっ……は、あぁ……

 酷く噎せて吐くだろう。そんな予想に反して、シュラは全てを飲み下した。最低限の体温を取り戻した身体は相変わらずなまっちろいが、多少は色を取り戻している。

 荒く苦しげな吐息に、一滴の甘さが溶けている。これを繰り返すうちに女たちはデスマスクを求めずにはいられなくなるのだと、経験上よく知っていた。

「は、まだどこにも触っちゃいねぇってのにな……」

「ひァ、やっ……

 ここまで垂れてやがる、なんてご丁寧に説明をつけて辿っていく無骨な指が、膝の裏でぴたりと止まった。

 今度はかさついた掌全体が、震える肌を撫で上げて。十分すぎるほど潤んだ蜜壺に、浅く指先が入り込む。とろみを掻き出すように弄られるだけで、うらぶれた娼館の壁に星が見えた。

「あ、ン…… ふぁ、ッあ、やあぁッ

 質量のある存在を歓待して、肉の襞が蠢いている。いつの間にかにすっかり奥まで拡げられて、それから指を引き抜かれ、シュラはしゃくり上げるように息を吐いた。

 自分に落ちる影に、どうにか顔を持ち上げる。

 いつのまにかに身繕いを済ませ目の前に立っていた蟹座の青年は、今にも雑踏に消えてしまいそうに見えた。

「い、あぁ……デス、マスクっ……

「なんだよ」

 意地の悪い笑い声に腹を立てる余裕もない。自分が何を言っているのか殆ど自覚できないまま、シュラは知らず口走っていた。

「ほ……しい……

 その一言を口にしただけで、浅ましい欲望が暴走して止まらなくなる。

「いれ、て……かきまわして、なか、に……ッ

 既にその悦びを与えられているかのように蕩けた表情。本気で泣いて縋るまで焦らしたってよかったけれど、これはこれでいいかもしれない。

 何より自分の方だって、平静を装いつつもそろそろ限界。

 支配者の一睨みで亡者どもは姿を消した。後に残された女の腕を掴み、そのまま無理矢理立ち上がらせる。右膝を抱えられて秘所を晒した雌犬以下の姿勢にも、もうシュラは何も言わなかった。

 切っ先を入り口に宛がうだけで、シュラはその先を求めて腰をくねらせた。遊女の媚びを軽く笑って、態と期待外れの場所へ滑らす。どうにか雄を追おうとする動きが、ますます大胆ではしたないものに変わっていく。

「も……や、ぁッ はやくっ、は、や……

「っは……仰せの通りに」

「ひ、ぅ……!?

 ぐちゅんといきなり最奥まで突き挿れる。声も出せずに極みに至り、シュラの頭が大きく仰け反る。硬い壁に後頭部を打ち付けぬようそこに空いた手を回してやって、デスマスクは抽挿を開始した。

「っ、あ…… あッ、ひぃ、は、ひぁあ、あ……

 媚肉を抉り奥の奥まで一息に貫いたかと思えば、比較的浅いところにある勘所を幾度も繰り返し擦り上げる。耳を塞ぎたくなるようなみっともない水音に、肉と肉がぶつかる音。その両方を覆い隠すほどにシュラの嬌声は甲高く追い詰められていて、デスマスクもつい苦笑していた。

 しけたピーピング・トムにあれこれとケチをつけるほど野暮じゃない。だが今頃血眼になってシュラを探している奴らに万が一聞きつけられたら多少の面倒はあるだろう。

「んッ!? っむ、うむっ、ん……んぅッ……

 喘ぎを垂れ流す唇に、自分のそれで枷をする。快楽を少しは逃し酸素を得るための手段まで奪われたシュラは泣いて抗ったけれど、何の助けになるはずもない。

 視界が激しく明滅する。腹の奥から広がる凄まじい快感が全身を打ち据えて、正気を完全に打ち壊そうと襲い掛かってくる。

 繰り返し絶頂しているのではない。一度引き摺り上げられた極みから下ろしてもらえないままに新たに快楽を練り込まれているのに、どうしてシュラが耐えられるだろう。

 がくがくと痙攣した右足がまるで無為に宙を蹴って、激感から逃れるように指を丸めている。虚ろに上瞼を睨み上げ始めたシュラを一瞥して、デスマスクは一旦終わらせてやることにした。

「むぅう、んぅ……んっ、ふぁ、んうぅうーッ

「……ッ、」

 熱すぎる滾りに、女の器官を犯される。それが気が触れそうなほどに気持ちよくて、シュラはみだりがましい微笑みを泣き濡れたかんばせに浮かべていた。

「は、っ……はーっ、はぁ、」

 ようやく口枷から解放され雄を引き抜かれたところで、デスマスクの支えがなければ立っていることさえもままならない。

「は、ひぃ……デ、ス……っ、」

 もう無理、と、弱々しい涙声。急激に奪われ急激に与えられた身体はとうの昔に限界を超えていて、意識を保っていることさえも難しいのに。

「これで終わりなんて言ってくれるなよ、寂しいじゃねぇか」

 場所を変えるか。そんな呟きの意味が、シュラには理解できなかった。

 弛緩した女を横抱きに抱えた男が一人。路地裏から忽然と姿を消した。