蠍山羊♀

 豪奢な調度品や家具が置かれているわけでも、絵やら花やらで飾り立てられているわけでもない。それでも陽光をたっぷりと取り入れられるようになっているリビングはこの家の持ち主を真ん中に据えると、一枚の絵画のように美しく見えた。

「何をそんなところに突っ立っているんだ。入ってきて掛ければいいだろう」

「あ、ああ……」

 燦々と降り注ぐ日の光を全身に浴びたミロは、とんでもなく眩しくて美しい。普段は意識したこともなかった同胞の見目の麗しさに、突然気恥かしさに襲われてシュラはさりげなく視線を逸らした。

 その躊躇いを察せないほど鈍くはなかったのだろう。無理やりソファに引っ張っていくような真似はせず、蠍座の青年は素知らぬ顔でただ待っている。やがておずおずと歩み寄って隣に腰を下ろしたシュラの、野生動物のような気配に胸の内で密やかに笑う。

 少し人工的なシトラスの香りは合っているのかいないのかとにかく、大変に新鮮であることは間違いない。

 ミロの室内着は大きすぎたらしい。細い身体は布地の中で溺れそう。ざっくりと開いている襟ぐりのせいで艶めかしい肩がしばしば露わになってしまって、シュラはしきりにそれを気にしていた。下衣も諦め悪く無理に紐を締めて履いているのが丸わかりだった。

 湯を浴びた身体はほんのり赤く、白皙の肌の美しさを際立たせている。いつまでも無言のミロに焦れて、シュラがようやく視線を上げた。

「……ミロ、」

 何か言いかけて、そこでまた唇が閉じられる。戸惑いの眼差しの奥に僅かな不信を見て取って、ミロはこの年嵩の同胞がどうにも不憫になるのだった。

 男と情を交わさねば、元の身体には戻れない。

 随分な試練を課されたシュラもだけれど、周りの者たちの反応もまた凄まじかった。当人の意志を離れたところで議論がヒートアップする様に呆れてシュラを連れ出したが、聖域は今どうなっているのだろう。

もう、いいのではないか。

 苦しまなくても、戦わなくても。そう言ったのは誰だったか。シュラを女神の聖闘士に戻さなくてもいいなんて、ミロからしたら開いた口が塞がらないような主張をしたのは。

だったら何故、シュラだけがこんな……聖衣を纏うこともできぬ状態で甦ったのだ

 知るかそんなもの、とミロは思う。ただ一つ自信を持って言い切れることがあるとしたら。

「シュラ」

 こいつの本質は戦士であって、護られたり庇われたりすることなど耐え難かろうということだけ。

「俺には……あいつらの考えが全く理解できんというわけではないのだ」

 静かな声。視線に込められた不信が色濃くなるのを、ミロは間近で見つめている。片手で縊れそうな細い首筋と薄い肩。消えない傷を肌に乗せた、あまりに頼りない両の腕。

 今のミロは知っている。13年もの長きに渡りこの人が、この人たちが真実と矜持に唾吐き虚構を現実たらしめていたのは、自分たちを護るためだった。それ故にどれほど傷つき懊悩の日々を生きていたのか、本当の意味で知る日は絶対に来ないだろうけれど。

 結局彼の背には、年少の者たちの殆どが追いつくことはなかった。

 だが今ならば、腕の中に抱き込んで、小さな身体をあらゆる辛苦から隠してやれる。護るべき地上の中に、この人の分の席を増やしてやれる。

「それでも俺にとってのお前は、誇り高き山羊座の黄金聖闘士だ」

「ミロ……」

 瞳の中の昏い色が溶ける。何故だか急にこっぱずかしくなって、ミロは蜜色の髪をめちゃくちゃに掻き回して立ち上がった。普段は使わない隠れ家だが、酒の少々は常備してある。

 やがて数本を手に戻って来た蠍座を認めて、シュラの表情が少し緩んだ。

「カヴァか」

 故郷のワインで、シュラが最も好むもの。テーブルに置かれた細身のグラスも、きめ細かな泡が映えるもので趣味がいい。照れ隠しに最初の一杯を軽く干したミロに続いて、シュラも久しぶりに酒を口にした。

「うまい……」

「甦ってからは初めてだろう まだあるから好きなだけ飲め」

 促されるままに二杯、三杯と堪能する。ならばとシュラのために次の一本を開けようとした節くれ立った手を、しかし白く繊細な指先が止めた。訝る表情に至極真面目にシュラが答える。

「やめておこう。お前が使い物にならなくなったら困る」

「お前なぁ……

 この不信は先ほどよりもずっと心に刺さった。むすっと唇を尖らせて、ミロはこれ見よがしに二本目を呷った。この程度で無用の長物になるものなど、この蠍座のどこにもない。抗議しようとした唇に、自身のそれを重ねて黙らせる。

「ミ、ロ……っ、あ ふぁ、っ……ん……

 半開きになっていたところに、液体を流し込むのなど造作もないこと。不意打ちに驚いて侵入者を追い出そうと蠢いたシュラの舌を絡め取れば、それは随分と甘い気がした。

 自分でも適当に味を楽しみ、半分はシュラへ。繋がった場所で分かち合う葡萄酒の芳香はたまらなく馨しく、二人を否応もなく昂ぶらせていった。

「は、ぁ……はーっ、は、っは……」

 二本目がすっかり空になる頃には、シュラはミロに縋りつくばかりになる。

 体内を巡る酒精の中に、ひた隠しにしていた強張りや怯えが溶けてうっとりと溜め息。普段ならばこの程度で酔いが回るはずがないのだが、この身だと勝手が違うらしい。不意に視界がぼやけて見えて、シュラは幾度も瞬いた。熱い胸板に凭れ少しだけ早く聞こえる心音に耳を澄ませると、勝手に安堵し始めた身体が眠気を主張し始める。

「ぁ、ん……」

「お前の方こそ眠ってしまいそうではないか」

 呆れ笑いは優しい。おとがいに指を滑らせて上向かせて、濡れた唇にミロはもう一度キスを落した。熱い口内に舌を挿し入れ、美しい歯列を舌先で辿る。そのまま上顎を擽られるとこそばゆさと気持ちよさとが同時に与えられるようで、シュラは悩ましく身をくねらせた。

「っん、ふぅ……むっ、んぁッ……

 肩口の衣服を掴んだ指先が震えている。出来得る限り奥まで舌を突っ込んで奥歯や頬の内側を擦ると、飲み下せなくなった唾液が口の端から零れていく。その道筋を固い指の腹でなぞられると、熱い何かがシュラの下腹にずくりと溜まった。気持ちがいい、けれどもどかしい。思わず膝や腿を擦り合わせるような動きを感じて、口づけたままミロは笑った。

「あ……っは、ぁ……」

 酩酊した瞳。銀糸が二人を繋ぎ、思いの外ゆっくりと切れていく。太陽の光で明るい室内は見た目通りに暖かく、身の護りを脱ぎ捨てたところで僅かな寒さも感じない。すっかり産まれたままの姿にされて、シュラは一瞬だけ恥じらうように眉根を寄せた。

 すべらかな額にキスを落とし、鼻先が触れ合うほどの距離でミロはシュラに向き合った。

「シュラ」

 緊張しているのはこちらも同じ。だが思っているよりは落ち着いた声が出せて、蠍座の青年は内心ちょっと安堵する。潤んだ目を縁取る睫毛は色濃く長く、シュラの頬に影を落としていた。

「……抱くぞ」

「っあ……ああ、」

 よろしく頼む、と。聞き覚えのない高い声が律義に答えた。

 痩躯はソファへ。横たわったシュラの胸、ごく控えめな丘陵に手を伸ばし、たゆんとそこを揉み上げる。まだ柔らかい頂にすぐさま唇を寄せられて、思いがけない刺激にシュラは知らず息を呑んだ。艶めかしく蠢く舌は存外器用に肌を舐り、情交に疎い身体に快感を練り込んでいく。

 先端が膨れ始めた乳輪を辿る。意地の悪い舌は最も感度の高いところにはなかなか触れようとせず、こそばゆい感覚がシュラを小さく呻かせた。

「っ、ミロ……ふぁ、ん……

 思わず身悶えしてしまって後悔。一糸纏わぬ身体に落ちかかるきんきらきんのもふもふは見た目以上に繊細で、ほんの僅かにでも身動ぎする度そんなものに全身を擽られるのだから堪らない。鎖骨周りから腋窩や臍に脇腹、まだぴたりと閉じ合わせている内腿にまで柔らかな毛先が落ちて、意志のないものの残酷さで手加減なしに襲いかかってくる。

「ちょっ、と……まてっ、や、あッ、」

 思えばこんな風に繊細な手つきで触れられたのはいつぶりだろう。訓練にしろ戦いにしろシュラに向けられるのは全身全霊を込めた一撃だった。昂揚や鬱屈を散らすために行きずりの女に相手をさせたことはあったけれど、この身に触れることなど一度たりとて赦さなかった。

 幾つも重い錠をかけて閉ざしていた心と身体が、ミロの手によって開かれていく。鍵はとうに捨て或いは壊し、自分さえ開け方を忘れていたのに、この年下の青年には関係がないようだった。

「あ、あぁっ、ン……んうぅぅッ

「……存外、敏感なのだな」

「っ、あ……え……

 散々焦らされた頂を唐突に捻られた瞬間、わけもわからぬうちに腰が跳ねて。額に滲んだ汗を拭うミロの手が優しい。苦笑交じりの一言にようやく絶頂を悟って、視線がおろおろと定まらなくなる。

 吐き出す息には酒精と快感が入り混じり、陽光の下に悩ましげに溶けていく。青年の呟きは揶揄ではなかったけれど、それでも頬に勢いよく血が昇って、シュラは赤く染まった顔を逸らした。

 晒された項に、熱い唇が落される。甘い痛みに咄嗟に目線を戻せば、悪戯が成功した子供のようにミロは笑っているのだった。

 おそらくそこには、男による所有の証がくっきりと刻まれているのだろう。これまで一夜を共にした女にだって決してそんなことはさせなかったし、もし今閨を共にしているのがこいつ以外であったとしたら、大抵の相手のことは怒鳴りつけていたに違いない。

 だのに地中海の海原の色をした瞳と太陽に愛された金糸が美しい男に別にミロの美しさに絆された訳ではないのだが、双子座の兄や魚座と違いこの蠍座の青年の美には後ろ暗いところが何一つなく、そういう存在にシュラは滅法弱かった真正面から見据えられると、何やら文句を言ったり抵抗したりする気概が削がれてしまう。

「ふッ……は、ぁ、」

 口づけの雨は止まなかった。鎖骨の脇と二の腕に一つずつ。それから心臓の真上に、右の乳房の下に、臍の真横に。そして腿の内側に二つ。熱烈なキスの間にも蜜色の髪は相変わらずの奔放さで肌を擽るものだから、まるでダナエにでもなった心持ちで、シュラは蕩けた吐息を手の甲に隠した。

 やがて薄い陰りの奥に、節くれ立った指の一本が辿り着く。既に綻んで蜜を滴らせた場所に指先がつぷりと入り込んで、潤みを確認するように小さく動いた。ゆっくり突き立てられていく一本は、痛みも圧迫感も齎さない。

 未知の、拓かれていく感覚だけが、腹の奥から腰を痺れさせ、背筋を這い上って脳に染みる。眩しさに目を焼かれながらも、シュラは挑むように目の前の青年に視線を投げた。眦を下げて応えたミロが、おもむろに中を暴く指を増やす。

「ン、ぅ……

 ぷちゅ、ぐちゅん、と。何とも愛らしくはしたない水音が、押し殺した声を彩る。自分が雌として感じ入っている証左に聴覚を犯されて、シュラは居た堪れない気持ちになった。ミロは茶化したりあげつらって辱めたりなどしない。ただ真剣な顔でこちらに苦痛がないのか検分されるのも、それはそれで辛かった。

 どうにも自分らしくない。このまま男の腕に優しく抱かれてしまっては、元の自分には戻れないような、そんな気にさえなってくる。

「ふぁ、あ……ッ

 眼下の人の懊悩には気づかずに、ミロが濡れそぼった指を引き抜く。

「……挿れるぞ」

 問い掛けではない。確かな宣言に目を見開いたシュラは、男に両足を絡みつかせて。

「ッ……

 気づけばミロの世界は勢いよく反転していた。視界の真ん中、紅を乗せた頬も荒い息も変わらず、けれどシュラはしてやったりと口の端を吊り上げている。

 やられた。外見に騙されてすっかり失念していたが、確かにこいつは近接格闘の達人だった。こんな形で思い出させられてはミロのほうも笑うしかない。

「気が、変わった……俺、が上……に、なる」

 やはり好戦的で挑発的な笑い方が、この黒山羊にはよく似合う。

 細い指先が秘所を開く。いきり立った雄を身の内に収めようとするシュラの動きに躊躇いはなかったけれど、身体は未だ男を知らぬ初心なもので。

 最も張り出した部分を飲み込んだところで、痩躯が震えて二進も三進もいかなくなる。

「は、ぁ……はーっ、はぁ、あ、っは、」

「……おい、」

「いい……からっ、」

 手出しするな、とばかりに涙目で睨まれては仕方がない。身を起こしかけた状態で動きを止め、ミロはこの人を見守ってやることにした。首筋を伝った汗が控えめな胸の谷間を滑り落ち、縦長の臍の窪みに溜まる。

「っあ で、でかく……するなっ……

「……すまん」

 不可抗力だと思ったが、胸三寸に納めて詫びる。戦慄く唇からか細く息を吐き、何度も何度も身悶えては呼吸を止め、男にもかなりの忍耐を強いながらシュラの奮闘は続いている。煩悶の度、肉の襞は白濁を搾り取ろうと悩ましく蠢く。ようやく全てが収まったときには、ミロのほうまで汗だくですっかり疲れ果てている有様だった。

「……ッ、ふ……ぅ、」

 シュラの額や顎から滴った汗が腹筋に落ちてくる。背中を丸めぎゅっと固く目を瞑り、中で暴れる存在に必死で慣れようとしている三つ年上の同胞は、何だか随分と幼く見えた。ソファについた握り拳が震えていて、見る者の同情や憐憫を煽る。

「シュラ」

 頑なな右手を開かせて、そっと指先を絡め合わせる。空いている手で乱れ髪を整えてやると、シュラが眼差しを僅かに緩めた。美しいエナメル質が唇を噛み、汗ばんで粟立った腰がゆるゆると動き始める。

「ン、んぅ、ッあ あ、はぁ、っあ、あぁ……

 始めは前後に揺すり立てるだけだったものが次第にあからさまなものに代わり、シュラの動きは大胆になる。当人にそのつもりはないのだろう。だが男に跨って淫猥に腰をくねらす姿は、傍から見れば色狂いのようでさえある。

「あ、あぁッ ん、くうぅ、っう、ふぅう……

 シュラの右手に籠る力が強くなる。勘所を無意識に恐れ避けているのか、或いは激しい快感を望もうともうまくそこに雄を導けないのか。嬌声は徐々に切羽詰まって、どこか苦しげに聞こえ始めた。

 もう、いいだろうか、と。ミロは小さく唇を舐める。主導権を握らせてと言うには、シュラはだいぶいっぱいいっぱいだけれどの行為も悪くない。だが自分とて雄なのだ。お預けを喰らったまま待っているだけというのも耐え難かった。

右手をゆるりと腰に回して。

「ひぁっ、あぅッ!?

 女が最も感じる場所の一つを軽く突いてやるだけで、シュラは甲高い声を上げて仰け反った。最奥をぬちぬちと捏ね回すと、肉の壁が歓喜に締まる。逃げを打つ腰を片手で押さえ、更に強く引き下ろす。

「み、ミロっ…… っや、あぁッ、ん

 激しい抽送は必要なかった。自重で奥の奥まで暴かれてしまう体勢を選んだのはシュラ自身で、それでここまで追い込まれているのだから世話はない。震える足にはもう碌に力が入らないのが見て取れる。シュラが責め苦から逃れる手立てなど最早なかった。

 ささやかな乳房が上下に揺れる。頑是ない子のように首を振るものだから黒髪から汗がきらきらと散る。上気した白皙に浮かぶのは、絶頂への不安と期待が混ざったような表情。

 孕む性での快感の強さが、完全にシュラを翻弄していた。

「……シュラ、」

「ひぅ、う、くうぅぅッ……ンうぅーっ

 果てへ追い立てられるのを意地で抑え込むような仕草。宥めるように腿や腰を摩ってやって、ミロは潤んだ瞳を静かに見上げた。

 ほんの一瞬、視線が絡んで、そして。

「や、やぁ、あ……!!

「ん、っく……

 下から思い切り突き上げられて、絶頂に放り投げられて身体が撓る。声を出すことさえ満足にできなくなった身体の奥の痙攣は凄まじく、低く呻いたミロもそこに滾りをぶちまけた。

「……ぁ、」

 気力も体力も使い果たし、急速に弛緩した痩身がミロの上に落ちてくる。名残惜しいが雄を引き抜き、蠍座の青年は軽い身体を抱き上げた。

 寝室はすぐ隣。汗塗れの肌を丁寧に拭い寝かせてやるより早く、疲労とアルコールと精神的緊張からの解放に引き摺られ、シュラは瞼を下ろしていた。

 硬質な黒髪を撫でようとして、止める。

 目覚めたときには彼はいつものシュラだろう。ミロのベッドで眠っているのは、誇り高き山羊座の聖闘士なのだ。こんな行為は面映ゆすぎる。

 踵を返そうとしたところで、文字通り後ろ髪を引かれて立ち止まる。

「ミ、ロ……み……ろぉ……」

 小さな手がふわふわの端っこを辛うじて弱々しく掴んでいる。呼ぶ声のあまりの必死さにミロは一瞬不安になって、寝台の人の顔を覗き込んだ。

「シュラ、どうした

「あ……りが、」

 言い切れぬまま、再び瞼が下ろされて安らかな寝息。

「……礼には及ばんさ」

 今だけの繋がりを引き剥がすのも気が咎めて、ベッドサイドに腰を下ろす。

 手持ち無沙汰な手をサイドボードに伸ばし、ミロは生温い水を呷った。