――納得できません……!
夜明けを待つ空の色をした目がじっとりと潤んでも、騎士としては頼りない腕に夜着を掴まれ縋られても。カインは折れる訳にはいかなかった。
なんというか、折れてはいけない気がした。
思い返せばきっかけを作ったのは、確かにあの夜のカインなのだ。
「ん……」
生温い風が肌をべたつかせる不快な晩だった。荷車の幌を吊っただけの粗末な寝床で、セオドアは小さく背中を丸めていた。ぼんやりと二つの月を眺めていた自分も確かに気もそぞろだったとカインは思う。それは確かに城での一件のせいで、でもだからこそ、セオドアの異変に早く気づいてやるべきだった。
血臭に満ちた城。どす黒く染まる絨毯、衝撃に抉れた壁。彼は親に会うことも叶わなかったのだ。
「とう、さん……」
赤い翼が墜ちた日から、一路バロンを目指して。セオドアにはまだ伝えていないが、ミストを抜ける旅もまた過酷なものになる筈だ。
「か……さんっ……!」
「……セオドア?」
それでもこの少年は、弱音を吐こうとはしないだろう。とうに眠りについたと思っていたセオドアを見下ろして、そこでようやくカインは気がついた。
酷く青ざめたセオドアが、脂汗を流して悶えていることに。
「セオドア!」
すぐさま抱え起こして揺すっても、悪夢に囚われたままのセオドアは呻くばかりだった。ふらふらと伸びた腕が寄る辺を求めてさまよう。その手を取って、指先が白くなるほどに握り締めたカインが、もう一度魘される少年に呼びかける。
「セオドア……!」
「う、んっ……」
おもむろに持ち上げられる瞼が瞬きを繰り返して。ぽろぽろと零れる涙が存外あどけなくてカインは胸が痛んだ。セオドアは強い――けれど、まだ子どもだ。忘れかけていた事実に打ちのめされて臍を噛む。
「あ……ぼくっ、」
荒い息を落ち着かせようとするセオドアが、腕の中で身を捩る。浅く繰り返される呼吸がどうにも弱々しくて、カインはまだ幼い身体を思い切り抱き寄せていた。
ささやかな温もりを逃さぬよう掻き抱く。左手で押さえた柔らかい癖っ毛は、彼の父のそれと同じ。驚きに硬直したセオドアに、カインは静かに声をかけた。
「吸おうと思うな、吐け。そうだ、ゆっくり……」
いつだか遠い昔親友にしてやったように。とん、とん……と薄い背を叩いてやれば、耳を寄せた心臓の音に耳を澄ませたセオドアの身体からは少しずつ強張りが解けていく。
ようやく穏やかな寝息を立て始めた小さな騎士は、それでもカインの平服に縋ったままだ。
「セオドア……」
自分が消えるその日まで、守ってやらねばと強くと思った。それがただ一つ、最期に与えられた使命だと。
とは言えそれとこれとは話が別だ。
「……人恋しいならセシルとローザのところに行けばいい。あいつらだって、お前に甘えられればさぞかし嬉しいだろうさ」
ようやくセオドアの父は光を取り戻したのだ。両親と三人、積もる話だってあるだろう。カインだって、今更親友の息子と同衾なんて気恥ずかしい。
「……ってない」
「は?」
よく聞こえない。屈み込んだカインの耳元に。
「カインさん、ぜんっぜんわかってないです!」
吹き込まれた涙まじりの喚き声の凄まじさにぎょっとして仰け反ったところに、駄目押しの叫びが飛び込んでくる。
――人肌の心地よさを教えてくれたのは貴方じゃないか!!
今日日恋に恋する小娘向けの歌劇でもやらないような(と思うカインは現代風俗に10数年のブランクを抱えているのだが)苛烈さでわっと泣きながら駆けていった背中を追うに追えず、カインはそこに立ち尽くすことしかできずにいた。
「誰に……似たんだ……」
どこの誰が出処なのか、あっという間に噂は豪奢な尾鰭つきで駆け巡ったらしい。甥っ子を手篭めにしたのか、と血相変えて駆けつけた彼の伯父――かつてカインに望まぬ関係を強いた男に聖竜騎士の渾身の一撃が見舞われたのは、それから二十四時間後のことだった。
初出:2013/10/09(旧サイト)