万聖節に寄せた四つの小さなはなし

 

 数瞬、不意に日が翳った。

 

 いくら青き星広しと言えど、宮仕えに竜を使うのは上官一人くらいだろう。吹く風も随分と厳しさを増す朝、中庭で剣を振っていたセオドアは勢いよく空を見上げた。案の定空には目に痛いほど晴れ渡っていて、尖塔の影に銀の尾が消えていくところだった。うっすら額に浮いた汗を拭い、竜舎に向け走り出す。

 

 四季折々にその美しさを持つバロンだが、セオドアは取り分け秋が好きだ。肌をカリカリに焼きそうな太陽の高慢さが鳴りを顰め、聞き分けの良い穏やかさを持つのが好ましい。東の海からの潮っぽい風に代わり北部の山脈から冷えた風が吹き下ろす頃には、城下町は秋の花の香でいっぱいになる。冬に向け肉やら魚やらを燻す煙がまっすぐと立ち上っていく空は抜けるように晴れているのだ。

 

 見渡す限り雲のない青空に竜の一鳴きが響くと、それはどこまでもどこまでも伝わっていくような気さえする。そんなときセオドアの三倍も四倍も長く生きている竜が見せる、何とも得意げなしたり顔が堪らない。あるときそう上官に告げると、軽く笑われて頭を撫でられた。竜騎士は秋が好きものなんだ、と微笑まれ頬が熱くなったのを覚えている。

 

 それからセオドアは秋がもっと好きになった。今秋は上官と過ごす二度目の秋だ。去年言えなかったことを伝える気でいた。息が切れるのは駆けているからではなく、どうしようもない緊張からだ。あと一つ、角を曲がれば目的の場所に着く。

 

「カインさんっ!」

 

「ああ、おはようセオドア」

 

 会いたかった人は丁度竜舎から出てきたところで。微笑む上官――想い人に、耳まで赤くしたセオドアは声を張り上げた。

 

「トッ……トリックオアトリート!!」

 

 叫んでしまってから、恥ずかしさに踵を返して逃げたくなる。上官の足で十歩分、近いようで遠いこの距離が居たたまれない。

 

 早くそばに来てほしい。上官は甘いものを好かないし、こんな子ども騙しのイベントには疎いほうだろう。セオドアの一言で今日が何の日か思い出した彼はとりあえず軍服のポケットを一通り漁って、それから困った顔で笑いかけてくれる筈なのだ。すまんがセオドア、俺には渡せる菓子などないぞ?と――

 

「ハッピーハロウィン」

 

「……へっ?」

 

 いつの間に距離を詰められたのか、耳元に直接囁かれた低音にセオドアは反射的に仰け反りかけた。その後頭部を節くれだった大人の掌が押さえ、柔らかく白い頬に唇が一つ、落とされた。長い金糸が悪戯っぽくセオドアの細い首筋を擽る。

 

 セオドアがしょうきにもどったとき既に上官の姿は見えず、ただ頬の火照りだけが消えずに残っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 ハロウィンとか言うこのイベントがバロンにしっかりと定着したのはここ十年でのことで、だから親友はこのお祭り騒ぎにいまいち馴染みがない。祖国に帰還したばかりの去年など、あまりの城下の変わり様に唖然としていたのをセシルは一人思い出す。目を潤ませた女官や白魔道士に囲まれてあれやこれやと山ほど菓子を押し付けられていたのなど今でも笑えるから困る。本当は甘味など口にしやしないのに、「祭りの趣旨をはき違えていないか?」などとぼやきながらも彼は律儀にもらい物を平らげたのだった。

 

 スープマグに入れたエスプレッソ片手に菓子をつまむくらいの、生まれながらに左利きの親友はこの時期お馴染みのかぼちゃだってそれほど好かない。ふんわりと甘いシチューとかパイなんか皆うっちゃって、南方の苦瓜とスパイスで炒めたやつばかり去年のパーティーではつまんでいた。今晩はもう少し食べられるものが増えるよう、細君があれこれとレシピ本を広げていたのをセシルは知っている。あんまり楽しみなものだからついつい仕事の手が止まる。

 

 ノックもそこそこに親友が入ってきたのはその時だった。

 

「やあ、カイン」 一先ず万年筆を置いて立ち上がったセシルにも彼はそっけない。ずかずか大股で執務机に歩み寄り非公式の書類をぶちまけた。ごく一部のものしか知らない国王陛下の私室だから態度も口調も遠慮がない。

 

「過日の調査結果が出たぞ。これは私見をまとめた報告だ」

 

 それだけ言ってすぐさま背中を見せたのには流石のセシルも驚いた。紅茶の缶を片手に金糸を引っ掴んで引き留める。

 

「もう行くのか!? せめて茶の一杯くらい」

 

「付き合わん。誰かさんが一般参賀と年始の御幸の予定を変更したおかげで俺は忙しいんだ」

 

 冷たく言われると立つ瀬がない。今年は戦禍の爪痕濃く見送られたから、やっぱり来年は盛大に――今さらそうごねたのは他でもないセシルだ。護衛計画の変更で奔走しているのは寧ろ親友をはじめとする軍上層部だった。

 

「そっか、そうだな……。あ、そうだカイン、トリックオアトリート!」

 

 落ち込んだのは一瞬、柔らかい髪を握りしめたまま言い放つセシルには親友も呆れたようだった。わざわざ大仰にため息を吐いて、右ポケットに手を突っ込んだ。そのままに後ろに軽く放る。

 

「じゃあ、後でな」

 

 咄嗟に親友を解放してキャッチしたのは、油紙に包まれたキャンディ一つ。慌てて顔を上げると彼はもう部屋を去るところだ。ひらひらと揺れる右手が憎たらしい。べっとりと表面が溶けた飴玉だけが、セシルの掌に残された。

 

 

 

***

 

 

 

 ロングボウで空飛ぶ魔物を射殺すことさえ容易い自分の何を誤解しているだろう。未だに王城暮らしでローザは困惑することがある。鉈も満足に振るえないと思われているのかもしれないが、一抱えのかぼちゃ一つ御せなくて国母を名乗るなど片腹痛い。心配げに纏わりつく新米の侍女を後目に、淡々と今日の食材に凶刃を振り下ろす。種と綿をあらかた取るころには年若い娘も消えていた。

 

「……あら、カイン?」

 

 シチューは大鍋でことことと煮込まれ、パイ生地が十分寝かされた頃、珍しい来客が調理場を訪れた。紙袋を携えた幼馴染が入口に立っている。決して立ち入ろうとしないのは料理中のローザの秘密主義をよく知っているからで、毎度のようにうっかり侵入しては怒られる夫とは対照的だ。結局ぷりぷり怒られながらもちゃっかり恩恵を受けるセシルの方で、幼馴染は生真面目にもローザの親切を優しく断るのだった。俺はいい、バスケットを開けるまでは絶対秘密……なんだろう?――そんな風に苦笑して。

 

 それほど律儀な彼が摘み食いになど来るはずもない。だとすれば何か切らしたものがあるのかもしれない。

 

「紅茶? いつものでいい?」

 

「ああ。忙しいのにすまん」

 

 ガラス戸棚の端から“いつもの”を取り出す。幼馴染から渡された缶に手際よく詰めてやっている最中にふと思いついたことがあった。調理台で冷ましているものを幾つか、重ねた紙ナプキンに包む。少し味気ない包装だがそのほうがそれらしいだろう。戸口の幼馴染に紅茶と共に差し出す。

 

「はい、どうぞ」

 

 案の定、訝しげな顔をする彼が口を開く前に続ける。

 

「こっちは摘み食い用。仕事の合間にでも食べてちょうだい? それからカイン、トリックオアトリート」

 

 立て板に水、鈴を転がすような声に流れるように告げられて幼馴染も吹き出した。紅茶缶を受け取りがてら引き換えに紙袋をローザに手渡す。平時でも並ばずには買えない、バロン城下指折りの名店のものだ。空いた手には引き換えに紙包みが乗せられる。

 

「かぼちゃを練りこんだプレッツェルなの。あなたも気に入ると思って」

 

「この年になって摘み食いができるとは思わなかったな……ありがとう」

 

 笑って礼を言う幼馴染を見送って、それから袋を覗いてみる。夫と息子にはロクなものをやっていないのはもう想像がついているけれど、この中には彼らの好物もちゃんとある。

 

 そういうところが昔から抜け目ないのだ。一番上に入っていた好物のダックワーズの小袋を、ローザはそっと手に取った。これだけは二人に残す気はない。

 

 

 

***

 

 

 

 御呼ばれから帰宅したのは日付を跨ぐ直前だった。乱雑に上着をソファに放れば、呆れ顔の良人が脱ぎ捨てたものをハンガーにかける。事前の根回しの甲斐あって甘味テロは免れたカインだったが、それでもなんとなく上着からは甘い香がする気がした。脱いだばかりの服に顔を寄せる情人を見て、痩身がその広い背にしな垂れかかる。

 

「変態」

 

「酷い言い様だな」

 

 竜騎士一人引き摺ったまま屈強な肉体がコート掛けにハンガーを引っかけて、そのまま寝室に向かおうとする。居間の大時計を見た身体が足を止め口を開いたのを、途中でカインは遮った。

 

「カイン、」

 

「アンタにやる菓子はない」

 

 切り捨てる言葉は情欲を孕んで熱っぽい。肩に回されていた手が釦を外すべく胸元を弄るのを、魔導士の手が絡み付いて止めさせる。落ち着きのあるバリトンが肩越しに告げれば、それだけで身体の芯が熱くなった。

 

「ならば、代わりのものを頂戴しようか」

 

「……ヘンタイ」

 

 それ以上の悪態は赦されなかった。甘く咎めるような口枷を享受して、カインはそっと目を閉じた。

 

 

 

(Happy Hallowe'en!)

 

初出:2013/10/31(旧サイト)