Campanella

 

 土曜日の穏やかな昼下がり。イヴと手を繋いで歩くひとときがアタシの宝物だ。繋いだ右手から子供の体温がじんわり広がって、アタシに幸せを伝えていく。

 

 喜びに手を大きく揺らすと、イヴも負けじと振り返す。ぶんぶん回される手に二人で笑う。……イヴは案外お茶目で悪戯っ子で、ついでに構われたがりだ。少なくともアタシの前ではそう。自惚れなんかじゃない。

 

 今日はどこで何をしよう。決めていない、考えてもいないまっさらな予定が、ますますアタシたちを楽しくする。内緒話のように頭を寄せ合って、イヴと二人で白紙のページを埋めていきたい。

 

 

 

 安らぎの中に突然、教会の鐘が鳴り響いた。あの日とは違う、太陽の下で高らかに鳴り響くそれは幸福の象徴と言えるのに。さぁっと全身の血が引いていく。

 

 人々の声が遠い。鐘の音が止まない。青い空に吸い込まれそうになる。青い、あおい、人形のようにアオイ……。

 

 

 

「ギャリー!」

 

 

 

 よろめくほどに腕を強く引かれ、思わずそちらに向き直る。泣きそうな瞳で、イヴがこちらを睨みあげていた。

 

 その紅い目が、アタシをこっちに引きもどす。あいつらとは違う、どこまでも澄んだ宝石。いつの間にか力を込めて握りしめていた右手を一旦解いてイヴを撫でる。

 

「ごめんねイヴ。ちょっと考え事しちゃってたわ」

 

 声の震えはともかく、手のぎこちなさは隠せない。頭上の右手を両手で押さえ、イヴはアタシを見上げた。

 

「こわい?」

 

 怖いかと聞かれたら、多分そう。けれど理由まではわからない。こんなこと、あの日まではなかった。

 

「どうしてかしらね……ただ、嫌なものを思い出してしまいそうで……」

 

 まだ止まない。ここにはイヴがいるのに、冷えた手は微かに震える。アタシの右手を胸の前に下ろして、イヴはにこりと笑った。

 

 聞こえてきたのはささやかなハミング。カンパネラに乗せた澄んだ歌声。その響きと調和して、二つ溶け合って一つになる。

 

 やがて空間を震わせて消える余韻とともに、優しい歌も終わった。跪いて、イヴを強く抱きしめる。手はちっとも震えていなかった。血とともに愛しさが全身を廻り、指先まで温かい。

 

「もうこわくない?」

 

「もちろんよ。ありがとう、アタシのちっちゃな歌姫さん」

 

 その身体の柔らかな温みが、いつだってアタシを引きとめる。大丈夫、ここにいる。

 

 どこかで鐘が鳴る限り、アタシはイヴを……イヴだけを思い出す。

 

 

 

 教会の鐘が響く地に、天使の讃美歌は届くのだ。アタシの天使は、ここにいた。

 

 

 

初出:2012/06/25(pixiv)