「これ、私に?」
「もちろんよ! 似合うと思って」
ごわごわとした紙袋に無造作に入れているのは、小さなブローチ。薔薇の刺繍を中心にレースをあしらっただけのささやかなもの。でもきっとイヴに良く似合う。
イヴのためにアクセサリーを作るのが習慣になってしまった、と自分でも思っている。仕事の合間にマカロンを齧るとき、パタンナーやクライアントが端切れや見本を寄こしたとき、ほんの少しデザインに行き詰ったとき、いつだって思い浮かべるのはイヴの顔だ。もちろん注文の品を作るときにはクライアントのことを考えているけれど、ふとした瞬間にイヴに対するイメージが吹き出すのも止められそうにない。
――ま、そのおかげで毎回早く仕事が進められてるのよね。
休憩がわりにイヴへのプレゼントを作っていると、不思議と煮詰まって焦げ付いていたアイデアが綺麗に纏まっていく。空っぽの頭から新しい発想が生まれる。不思議だけど、事実だから仕方がない。
――もともとデザインしてパターン引いて仕立ててついでに営業して事務して経理して……あれだけ一人でやってたのに今はデザインだけなんて落ち着かないのよ。
脳内でぶちぶち文句を言っても仕方のないことだし、事務所の規模が大きくなったのはもちろん好ましいことだけれど。
目の前のイヴを観察しながら、だらだらと取りとめもなく考えている。いつもなら瞳を輝かせて喜ぶはずなのに、なんだか表情が暗い。
具合でも悪いのかと声を掛けようとして、悲しげな声に先を越された。
「ごめん、ギャリー……!」
でも受け取れない。同時に、紙袋ごとブローチが付き返されて、言葉を失った。イヴのイメージにぴったりなそれを、気に入らないなんてことないと思うのだけれど。
「ギャリーのプレゼントはいつも素敵。でも、こんな高価なものばかり受け取れないよ……」
高価な物。貰いものの端切れやら糸やらレースやらで、自分が暇なときに簡単に仕上げただけのこれが、どうしてそうなるのだろう。自分の出費はゼロだ。無理して作っているわけでもない。
本気で意味がわからなくて、咄嗟に言葉が出ない。イヴは言葉をかえて言いなおした。
「赤だけでも絹糸が五色使われてる。刺繍の周りに使われてるのは本物のレース。やっぱりこんな高いもの、もらえないよ」
これだけじゃないよ。先月のチョーカーも、先々月の髪飾りも、その前のタイも、それから……次々例を挙げていくイヴに、ようやく理解する。同時に笑いがこみあげてくる。
――そうよねぇ、いいとこのお嬢さんだものねぇ。見る目が肥えてるはずだわ。
あの美術館の中では、できる限り冷静に気丈に振舞っていたけれど。こちらの世界では、大喜びでマカロンをほおばっているけれど。この子はいっぱしのレディーなのだ。また見えた新しい一面に思わず頬が緩む。
けれどどうしようか。イヴは際限なしに贈り物をもらって手放しで喜べるような子ではない。この子が気に病むのも忘れてつい色々と贈りたくなってしまうのだが。
「ねぇギャリー、私の話聞いてる?」
「ごめんごめん、聞いてたわよ。そうねぇ。今までにあげたやつは全部、アタシが作ってるってのは知ってるわよね?」
「そう、だったの?」
「初めにハンカチあげたとき、言わなかったかしら?」
「……覚えてない、かも」
イヴから借りたレースのハンカチを返す折、やはり薔薇の刺繍が施された小さなハンカチを一緒に贈った。傍目には綺麗に消えたように思われたけれど、それなりに高価なハンカチを血で汚してしまったことが申し訳なかったし。
一応自分の手作りの品だと説明したつもりだったけれど、あのときの喜びようを思い出すと、耳に入っていなかったこともうなずける。
「レースも生地も絹糸も一緒に仕事してる人にもらったものよ、だから……」
「それでもよくない!」
勢いよく遮られて苦笑が零れる。律義な子だから、そうだろうと思っていた。
「じゃあそれは、誕生日プレゼントだと思って?」
「え。でも今月は、」
「だってアンタが生まれたの、一二日じゃない。今日、五月一二日よね?」
イヴの“誕生日”は四カ月も前に祝われた。それはもちろん自分だって知っている。だがそんなことはどうだっていい。
「誕生日って生まれた日って意味でしょう? せっかく一年に一二回も一二日があるんだから一二回祝った方が楽しいわ」
そうでしょ、とにっこりほほ笑むと、目の前のイヴが目をぱちくりさせる。それからいやに大人びた仕草で肩をすくめ、あきれ顔で言った。
「あのねギャリー。そういうの“へりくつ”って言うんだよ」
だけどその声はもう困ったり、戸惑ったりしていない。こっちが贈りたいんだもの、屁理屈上等と笑ってイヴを促すと、まだ少し遠慮がちな手が、丁寧にブローチを襟に留める。思った通り、はじめからそこにあるのが当然といった顔で白いブラウスの上に収まった。こんなもの自分にしか作れないし、イヴにしか似合わない。
――やっぱり、アタシの見たては間違ってなかった。
こうやって彼女を贈りもので飾るのは、デザイナーとしての本能でだけじゃない。確かに感じるのは男としてのそれ。可愛らしいレースや瀟洒な刺繍、きらめくビーズで飾った、どうしようもない独占欲。見た目を取り繕ったって綺麗ではないその感情に戸惑いもあるけれど、自分色に染めたいという欲望には勝てそうもない。
つらつらと考えていると、渡してやった小さな手鏡で留められたブローチを返す返す見ていたはずのイヴが不意に顔を上げた。薔薇のつぼみが綻ぶような、愛くるしい頬笑みを浮かべている。
「似合ってるわ。気に入ってもらえ、」
顔を覗き込んで話しかけて、でも最後まで言わせてもらえなかった。
小さな両手で頭を押さえられて、しっかりと唇にキスをされた。
「お父さんもね、記念日じゃなくてもうちにお花を買ってくるの。そしたら、お母さんはいつもこうやってお礼するんだ」
ありがとう、ギャリー。そう言って赤いスカートの端を掴んでお辞儀をするイヴは、わかっているのかいないのか。
――染められているのは、アタシかもしれない。
初出:2012/05/16(pixiv)