「……水瓶座様の理知的な瞳はとろりと潤み、蠍座様を見つめる碧玉からはいよいよ涙さえ零れ落ちるのでございました。白磁のごときすべらかな頬に口づけを落とされ、輝石でないのが不思議なほどに澄んだ雫を一つ、蠍座様は優しく唇で受け止めていらっしゃいます」
「……カルディア、」
「“凍気を極めし雪と氷の魔術師の身の内に、これほどの熱が秘められていたとはな”囁く蠍座様の声もまた、熱く僅かに掠れて消えます。“或いは俺の中に燻る熱こそが、お前ほどの男を溶かしてしまったか”なぁ、デジェル? 問いかけは答えを求めず、ただ蠍座様の指先は濡れる頬、透けるような白皙の上を辿っていかれました。意地の悪い手つきについには幼子のように小さく愛らしく喉を鳴らして、聖域第十一宮を守護される私たちの主様は、」
「カルディア、やめろ、」
「ご親友にして恋人であられる蠍座様の唇に口づけの雨を降らせたのでございました」
「いい加減にしろ!」
「ははっ、すっげー文才! 知を司る水瓶座の召使だけあるじゃないか!」
流石に限界で怒鳴りつけたのが聞いたのか、或いは単純に一区切り読んで満足したのかは知らないが、ようやく朗読を止めたカルディアは寝台の上に丸くなって笑っている。枕に顔を埋める親友を横目に、デジェルは放り出された走り書きを拾い上げた。
確かにその筆跡は、宝瓶宮で彼に使える下女のものだった。
「こんなもの、どこで見つけてきた……」
「暖炉のそば。うっかり一枚燃やしそこねたんだろ」
笑いの引き切らないカルディアの答えを聞きながら、何度目かわからない溜息。どうやって返したものか、或いはこちらで処分しておくべきなのか。頭を抱える親友の姿に、カルディアはどうにも小さな嗜虐心が擽られた。
「お前、俺に気があるのか」
「はぁ……?」
「一番お前を近くで見ているのは、身の回りの世話をする下女たちだからな。お前がそういう素振りを見せたんじゃないか」
「言いがかりはよせ!」
言いがかり、ねぇ。そう呟いた声が聞こえたのか聞こえなかったのかはわからない。けれど不愉快そうに眉根を寄せて顔を逸らすデジェルの振る舞いの意味を、カルディアはよく知っていた。
隠し切れない当惑がますますカルディアを楽しくする。
急に黙りこくった親友を訝しんで、振り返ってしまったのがデジェルの間違いだった。
「じゃあ……お前んトコの従者はさ……」
「うっ、わ……!?」
見慣れた世界がぐるりと回る。寝台に背を付けて瞬けば、天井すら見えぬほどの距離でカルディアが囁いた。黄昏時の空のような、底知れぬ色をした瞳が光る。
鼻先が触れ合いそうな近さで、カルディアはデジェルを見下ろしている。
「稀代の大法螺吹きってことだ。アテナ様にお仕えする聖闘士の最高位、黄金聖闘士の従僕でありながら主人についてこんな嘘を書き散らかした」
「カルディア……!」
「仕える己が主でこんな妄想に耽ってるとは、随分と不敬なことをするじゃねぇか」
まさかカルディアがこんなくだらぬことを言いふらしたりする筈がない。そもそも彼にとってはこの状況全てがおもしろくて堪らないのだから。
わざとらしい慇懃な物言い。眇められた目は酷く楽しげで。
つまるところカルディアは、眼下の親友が戸惑ったり臍を曲げたりするのを見るのが好きなだけなのだった。
「ほら」
“既成事実が必要だろ?”と、言葉に出して促してやる必要はない。割り切りは下手だが知恵もあり頭の回転も速い彼の親友は、結局間もなく上体を起こした。
「……これで、いいだろう」
触れるだけの優しいキスを受け、カルディアの唇が弧を描いた。
「足りない」
「……は?」
いっぱいいっぱいの口づけを済ませ安堵に気を緩めたデジェルの、細い頤を持ち上げる。見開かれた目、美しい瞳が下女によって碧玉などと表現されていたのを思い出してカルディアは知らず笑っていた。
そんな、つまらぬ石などじゃ言葉が足りない。こいつの目はもっと烈しい――。
「“口づけの雨”だろ?」
「なっ、カルディ、あッ……ん、っん……!」
今更のように圧し掛かる身体をデジェルが慌てて跳ね退けようとしても何もかもが遅かった。名前を呼びかけて薄く開いた唇を貪るように奪われて。
あとはもう、熱に流されていくだけだった。
初出:2016/05/23(Privatter)