コンポを直す弟の話

 こんぽがしーでぃーをよみこまないのだ。

 

 たどたどしい言葉に解きかけのクロスワードを中断して、カノンは兄に視線をやった。
 窓側に立つな眩しいから。豪奢な金糸は陽光を浴びて凄まじい勢いで光を乱反射させて室内を照らし、カノンの網膜をぢりぢりさせる。東洋の最高級の白磁が恥じらって砕け散るほどの魅惑の美しい肌も、地中海の青空を一雫垂らしたような瞳もいつもと変わらぬ兄だけれど、今日は柳眉を悲しげに寄せていた。

 ほんのりと紅く柔らかそうな唇が、丸切り同じ言葉をもう一度紡ぐ。見ればその手の内には小さなCDケースが一つ、ひっそりと存在を主張しているのだった。
『よく眠れるオルゴール』
 あまりきれいでない字ででかでか記してあるのがタイトルだろう。その下で跳ねているこれまた下手な赤くて小さい人面魚は、カノンも街角で見かけたことがある。せっかく星矢がくれたのだが……という呟きはひどく寂しげで、カノンは兄のそう言った声に、昔からどうにも弱いのだった。

「……貸してみろ」

 再生ボタンを押す。うんともすんとも言わない。CDを出してコンポを軽く分解する。清掃を済ませてまた組み立てる。反応がない。もう一度バラす。どう見ても新品同然の部品を念のため交換してみる。そして元のように組み直す。やはりダメ。
電源は入るのに目当てのものが読み込まれないものだから嫌になる。匙を投げてしまいたいのに、弟にだけは厳しいサガはそれを許してはくれないのだった。

「さっさと新しいの買いに行け」
「今日は聖域待機の日だ」
「じゃあ買いに行かせるか借りるかしろ!」
「私用で他の人間には迷惑をかけたくないのだ」

 ああもう!と苛立ちまぎれに金糸をぐちゃぐちゃと掻き乱し、心の中で悪態を吐く。この兄のええかっこしいで完璧主義者なところがどうしようもなく鼻につくのに、それでもサガに頼られるとほいほい何でもやってしまうのだから救われない。
放置されたクロスワードは恨めしげにページの端を揺らしている。俺だってお前に構ってやりたいよとそれに秋波を送りつつ、カノンはうんざりとディスクに視線を投げかけた。

「……ん?」
「カノン、どうした?」

 開けられたケースに収められて輝くそれは鏡のよう。手に取ってひっくり返してもそれは同じ。わざわざコピーして作ったもののようだけれど……。

「これ、DVDなんじゃないか?」
「は?」

 でぃーぶいでぃー、と復唱する言い方はどこか幼い。
大方関係のない映像ディスクを間違って入れて来たのだ。買ったばかりで電源も入るコンポが使えないと考えるより、余程その方があり得るというもの。
  一時間の奮闘が虚しくなって、カノンは兄の胸にそれを押し付けて息を吐いた。

「パソコンかDVDプレーヤーがあれば見られるだろ、巨蟹宮に行け」

 ないものはどうしようもない。突き放したように言えばようやく諦めがついたようで。デスマスクには比較的頼り慣れているのも幸いしたのかもしれなかった。
 ディスクを胸にいそいそと出て行くのを視線で追いやってもう一度溜め息。
 放置されていたクロスワードをようやく手に取ったところで、直線距離一万キロの彼方から念話が飛び込んできた。

——カノン!!
——っ、なんだ、やかましい。

 音量調整が下手なのかよほど焦っているのか、耳元でがなられたように頭が痛む。こめかみを抑え舌打ち一つ、必死の呼びかけに応じるカノンは酷く素っ気ないが、そんなことに怯むような星矢ではなかった。

——なぁ、サガにCD貸したんだけど中身間違えてたみたいで……“見て”ないよな?
「は?」

 出す必要もない声が出る。
 早急に取り返してほしい、なんて頼み込む少年の口振りは切実で悲壮感さえ漂っていた。
 聞くまでもないことを念の為に聞いてみる。

——ほう。何と取り違えたんだ。
何、って……そりゃ、その……察しろよ! 男だろう!?
——兄も大人の男だが。
——サガはそういうのじゃねーじゃん! とにかく頼むから、
——遅かったな。
——……え?

 兄はともかくデスマスクには謝れよ、と一言告げて会話を強制終了させる。空そのものが崩れ落ちてきそうな轟音。
 窓の外で景気良く吹っ飛ぶ巨蟹宮を見上げながら、十三年もの断絶さえ感じさせない兄の潔癖を弟はしみじみと感じていた。

初出:2016/01/09(Privetter)