※将軍暗殺篇微ネタバレ
「みんな嫌いアル……もう顔も見たくないネ……」
隠れ家にやって来て、毛布を引っかぶって丸くなってしまった神楽の頭を桂はそっと撫でた。への字口でどかどかと上がりこんできたかと思えばいきなりこれなので、どうやら万事屋の面々と揉めたのかと思えば違うようだ。
――口を開けば“寺子屋にちゃんと通えー”“肉ばっかりじゃなくて野菜も食べなさいー”って。お小言ばっかで参っちゃうよ。
――“勉強したの?”って言った舌の根も乾かぬうちに“さっさと寝なさい!”だもんねえ。
声色を変えて誰かの発言を真似たかと思えば、我侭分からず屋大嫌いと呟く神楽の言葉を広い集める。今回の喧嘩の相手は遊び相手の少年少女ららしい。なるほど子どもの無邪気な発言は母のない子の心を抉るには十分だろう。それでも神楽も友達相手に酷いことを言った自覚があるらしく、唸ったり転がったり一人で懊悩している。
甘味も碌にない部屋で、桂は唯一の糖分に手を伸ばした。みかんを剥いてはコタツに並べていくと、立ち上る香気に毛布がぴくりと反応する。乱雑に二、三粒まとめて口に放り込んで、それから鷹揚に言葉を紡いだ。
「そうだなあ。俺もずるいと思ったものさ」
「別に、ずるいなんて……!」
「ほら、リーダー」
反射的に身を起こした神楽の鼻先に、筋を綺麗に取り除いたのをいくつか差し出して、さらに桂はみかんをほおばる。思わず受け取ったものを渋々といった体で食べはじめたのを横目に、語りかけるでもなく話を続けた。
「俺は……ずるいと思った。いや、思っていたんだと今なら言える。俺が持ち得なかった環境も、それを当たり前のように享受する奴のことも、心のどこかで妬んでいたよ」
そう口にする凪いだ声は、妬心なんて決して悟らせないもの。
「……ワタシは、ずるいって思ってもいいアルか」
「そう思うのは、それだけ母御を愛していたからだろう?」
とび色の瞳に正鵠を射られて、神楽は小さく息を呑んだ。ガラにもなくもっともらしい正論を嘯いて、友だちを詰って挙句の果てには喧嘩して。それは全て母への憧憬から来ていたこと。貧しくても父も兄もいなくなってしまっても、それでも母がいてくれたならいいと強く願い、それすらも裏切られた自分の身の上を周りにぶつけてしまっていたこと。
「みんなに会ってくるネ……!」
「そうするといい、あちらも会いたがっているやもしれんぞ」
慌しく駆け出していった背中を見送って、桂は薄っすらと微笑んだ。幼い自分の、小さな世界を思い出す。家督を継げる立派な侍にならなければ、幕府に仕え国に報いる強き武士にならなければ。義務感で塗り固められた生活の中で、たった一人、祖母だけが桂の幸福の象徴だった。お婆が笑えば嬉しかった、お婆が喜べば幸せだった。
「今では随分と、大切なものが増えたことだな……」
“あなたとなら幸せ”“あなたがいたらそれでいい” そう思っていた幼年期は瞬く間に過ぎていった。誰よりも優しく暖かく、桂に無償の愛を注いでくれた人。その祖母を想って、“あなたがいなくとも幸せになる”と胸の奥で誓っている。
初出:2014/01/04