七草粥


※将軍暗殺篇の過去話前提


 

 土鍋の蓋が微かに揺れる。少し開けられた隙間から白く細く湯気が上って、万事屋の厨房に優しい匂いが広がっていく。俎板や包丁を手際よく片付けながら、桂は知らず溜息を漏らした。

 

――もっと精がつくもんが食いてェ、肉とパフェ持って来い。

――ヅラァ、私焼肉食べさせて貰えたらすぐ治る気がするアル。

――いい加減にせんか貴様らは! 今年の風邪は腸に来るのだぞ、現に厠と布団を行ったり来たりのくせに何が肉だ甘味だ!

 

 お妙とストーカーゴリラの看病で忙しい新八からの救援依頼を受けて万事屋に駆けつけてみればこれだ。こういう時は息ぴったりの神楽と銀時の抗議を聞き流して、桂は粥を炊いている。少し前まではぎゃあぎゃあと喧しかったものの、和室からは物音一つ聞こえない。疲れて眠ってしまったのだろうか。

 

「何、七草粥?」

「銀時、起きていたのか」

 

 ならば今のうちに腹ごしらえを……と思ったところで声を掛けられる。病人の弱り果てた胃腸とは違う。粥だけではとても足りまいとわかっていたから何か腹に入れようと思っていたのに。内心で軽く舌を打っても、銀時は気付く様子もない。

 

「もっと腹に溜まるもんが食いてェ」

「我侭抜かすな風邪っ引きの分際で。そもそも今日は粥を食うものと相場が決まっておろうが」

「あーうるせぇ綺麗ごとはよせ。俺の身体は今糖分と脂、それにたんぱく質を求めてんだ」

 

 乱雑に髪をかき乱しながらどっかりと座り込む。冷蔵庫を物色しはじめた銀時の背中に、桂は郷愁を呼び起こされた。

 

 

 

***

 

 

 

「銀時、貴様いい加減にせんか。布団に戻ってさっさと寝ろ」

「あんな碗いっぱいの粥で誰が腹いっぱいになるかよ。松陽のヤロー、絶対なんか隠し持ってるはず……」

 

 必死に戸棚を物色する銀時に呆れ果てて言葉をかけても、聞く耳を持ちやしない。鼻水を時折啜り、げほげほ咳き込みながらもめぼしい物を探す熱意が消えないらしい。いよいよ止めるのにも疲れてしまった。

 

「情けない。武士は食わねど高楊枝というのを知らんのか」

「プライドじゃ腹は膨れねェし栄養がなきゃ風邪も治んねェの!」

「何を言うか貴様。病は気からと昔から言うではないか。これは何も迷信ではないんだぞ。プラシーボ効果を知っているか。不眠で悩む人に睡眠薬だと伝えて小麦粉を……」

「ウゼェェェェ! お前もう頼むからどっか行ってろよ!! あ、そうだチビ杉の馬鹿もこっそり布団抜け出してたぞ。アイツはアレだな、外に食いモン調達しに行くつもりだぞ」

 

 銀時から告げられた思いがけない情報に、桂はまさしく飛び上がった。冗談じゃない。外で揉め事を起こせば松陽の逆鱗に触れることは必至。そうなればこちらにも火の粉がかかることは免れないだろう。大体いつも高杉と銀時の喧嘩に巻き込まれては割りを食うのは桂だった。

 

「なんだと銀時、それを早く言わんか! 俺はちょっと出てくるが貴様は寝ていろよ!」

 

 慌てて飛び出していく背中に銀時が笑ったのを桂は知らない。戸棚から天袋に至るまで、目をつけられそうなものを全て回収して隠していたので、すっかり油断していたのだった。

 

 存外近場で高杉――顔色が悪いのを近所のお姉さまがたや少女たちに心配されて、たんまり蜜柑やら柚子やら南瓜やらをもらっていた――を見つけて回収し、引き摺って連れ帰る。銀時が眠っている隣の布団に叩き込んで、それで一安心。

 

 松陽の雷が落ちたのはそれから四日後のことだった。

 

「銀時、晋助、小太郎。鏡餅が紙粘土になっているのですが何か知りませんか」

「知らねェ」

「俺も」

「………………知りません」

 

 三人まとめて電流が走るような拳骨を受け、鏡開きがおじゃんになったことは言うまでもない。

 

 

 

***

 

 

 

「チッ、碌なモンがねぇなあ」

「鏡餅にだけは手をつけるなよ」

「何、お前まさかまだ根に持ってる?」

 

 間延びした声。食い物の恨みは恐ろしいというけれど、今更この幼馴染相手にこんなことで腹を立てる桂でもない。

 

「一緒にするな、馬鹿者。今日のところは七草粥で我慢しろと言っているんだ。無病息災を願うものだぞ、お前のような年がら年中風邪を引いている糖尿病患者には相応しかろうて」

「予備軍だよ予備軍、まだなってねェっての」

「何の自慢にもならんわ!!」

 

 くだらない応酬を遮るように、もう一人が厨房に入ってきた。

 

「銀ちゃん、ヅラァ。ご飯まだアルか、私もうお腹すいたヨ。こんなんじゃ全然足りないアル」

「神楽ちゃーん? お前何食ってんだ?」

「こんなに空腹のときにコタツの上で主張してたから仕方ないアル」

 

 ストーブであっためたらおいしかったヨー、なんて気楽に言う神楽がもちゃもちゃと咀嚼しているのは、紙垂と橙で飾られていた、一月十一日を待つ鏡餅で。

 

「お前、神楽ァァァァ! 人の楽しみを何勝手に食ってんだ! 栗入りの汁粉にして食うって決めてたのによ!!」

「銀ちゃんが糖尿病にならないように、私なりの気遣いってもんネ」

「ふざけんなオイィィィィ! 予備軍だ予備軍!!」

 

 ぎゃんぎゃん大騒ぎして狭い厨房を駆け回る銀時と神楽に、桂は堪えきれず吹き出していた。声を上げて朗らかに、腹を抱えて笑う桂を、追いかけっこをやめた二人が見ている。

 

「ほら、もういいだろう。粥でも食おうじゃないか」

 

 歩んできた日々に思いを馳せて、そしてこれからの日々が素晴らしいものになるようにと願いを込めて。

 

初出:2014/01/07