人魚の肉

※将軍暗殺篇の過去話前提



「人魚の肉、だそうですよ」

 

 あの日珍しく――本当に本当に珍しくー―肉を手に入れてきた松陽は、にこにこと笑ってそう言った。

 

「何それ気色わりぃ」

「まーた変なもん掴まされやがって」

 

 早々に憎まれ口を叩いた晋助と銀時に松陽の一撃が見舞われるのを横目に見て、小太郎はそっと油紙を開いた。

 

 包まれていたのは、何の変哲もないただの生肉。魚の切り身というには肉付きがよく身が締まっているが、牛馬や豚ほど赤みがさしているわけでもない。強いて言えば蛙か鶏のそれに似ている。鼻先を寄せてみたものの、鮮度が落ちたものにありがちな、むっと濃い生臭さは感じられなかった。

 

 人魚か何か知らないが、めったにないことに松陽はちゃんと肉を仕入れてきたらしい。

 

 やかましい悪たれ二人の騒ぎ声も、青筋を立てつつ微笑む松陽の声も、小太郎の耳には最早入っては来なかった。

 

 今晩は久しぶりに、肉が食える!!

 

 

 

「で……何よこれ」

「知らんのか。寄せ鍋だ」

「そのくれぇわかってる」

 

 銀時と晋助は食卓についたものの、胡乱げな眼差しでちゃぶ台の上の鍋を見ている。対して酷く機嫌がいいのは松陽と小太郎で、悪がき二人はこっそり溜息を吐く。松陽と小太郎が揃って上機嫌なときには大体碌なことがない。

 

 蓋を持ち上げれば白味噌仕立ての汁が香る。途端に忘れかけていた空腹が思い出されて、銀時も晋助も恐る恐る鍋を覗き込んだ。

 

「あれ……?」

「普通だ……」

「当たり前だ貴様ら! 久方ぶりのたんぱく質だぞ、無駄にしてなるものか」

 

 裏の畑から抜いてきたばかりであろう、白菜や葱や大根。秋に山でしこたま採って、干してあった茸類。昨日の湯豆腐の残りと思われる絹豆腐。

 

 そして今日のメインであろう、あの得体の知れない肉。半分は一口大に切ってそのまま投入されており、もう半分はつくねになっている。

 

 うまそうな匂いには大いにそそられるものの、正体不明の肉に銀時と晋助は少しばかり尻込みした。

 

「人肉だったりして」

「人間はこんな色じゃねぇよ……でももしかして天人じゃ……」

 

 ぼそぼそと耳打ちしては目配せをする。口には出さなかった――“え、お前人魚なんて信じちゃってんの!?“なんて相手にバカにされた日には憤死する――ものの、もしかして……なんていやな想像が振り払えない。

 

 お櫃から玄米ご飯をよそっている松陽が、いつもの笑みを浮かべてのんびりと呟いた。

 

「人魚の肉を食べると不老不死になる……そんな伝承があるのを知っていますか」

 

 意外にも小太郎は知らなかったらしい。茶を注ぐ手を止めて瞬いた。

 

「へぇ……なんとも浪漫がある話ですね」

「でもね小太郎、この話には続きがあるんですよ」

 

 その続きこそが、銀時と晋助に尻ごみをさせているのだが。

 

「不老不死の妙薬、人魚の肉……それが身体に合わぬものは、食べたそばからのたうち苦しみ息絶えるだろう……と」

 

 淡々と述べる松陽に、なんでそんなもん買ってきてんだ!とつっこんでやりたい。でもこの意地の悪い師のことだ、怖気づいたなら食べなくてよろしい、なんて言われたらこれもまた悔しくて死ねる。むすっと黙り込んでそっぽを向いた銀時と晋助に、小太郎は合点が入ったと頷いた。

 

「だから貴様ら、いつもは意地汚く取り合うくせに今日はそんななのか」

「ちげェよ!」

 

 なんの他意もない表情でそう告げられて、意地になって箸を伸ばす。ちゃんと挨拶せんか!なんて怒ってみせた小太郎も結局は空腹に勝てなかったらしく、手を合わせるのもそこそこに鍋から肉を引き上げた。

 

 久方ぶりの肉だ。松陽も今日ばかりは口うるさく注意をせずに、弟子たちとの争奪戦に割って入った。

 

 

 

 

 

「それで、結局どうなったんですか?」

「見ての通りだぞリーダー、新八君。残念ながら結局あれは人魚の肉などではなかった」

 

 だから桂たちは大人になり、松陽は死んだ。

 

「だが……俺以外は皆、食後酷く苦しみ出してな……」

「それで、それで?」

 

 のた打ち回る面々を見て、まさかこれは本当に……と幼い小太郎が蒼ざめたのも無理はない。泣きながら一人ひとりの手を握り縋っていたが、一向に息を引き取る気配もないので日もとっぷり暮れた道を町医者へ走った。

 

「ただの食あたりだった。ちょうど今日の銀時のように」

「ブハハハハハ! ダッセー!」

 

 笑い転げている神楽と新八の中からは、かつてその銀時とともに食中毒になって病院へ搬送された経験は消えうせているらしい。タイミングよく厠から出てきた銀時が、子どもたちを睨み据えながらよろよろと和室へ戻っていく。もはや話す気力もないようだ。中途半端に閉められた襖に向かって声をかける。

 

「銀時、俺はそろそろ行くが、冷蔵庫に色々と入れておいたからな」

 

 プリンやらゼリーやらスポーツ飲料やら。立ち上がった桂は神楽と新八に向き直った。

 

「そう言うわけだから、あいつの体調が戻るまでは残しておいてやってくれ」

「しょーがねーなー」

 

 いかにも渋々といった体で神楽が頷いたのを見て微笑む。銀時の体調不良に狼狽して、町医者ではなく桂のもとに駆けて来たときの必死さはもうない。

 

 あの頃の小太郎や晋助のように、神楽と新八が銀時のそばにいる。それが少し寂しくて、だがそれ以上に嬉しい。

 

「ちょっと待てやコノヤロー」

 

 ソファに立てかけていた刀を手に取り踵を返したところで、着物の裾が軽く引かれた。和室から這いずって出てきた銀時が、そこを強く掴んでいた。戻したり下したりしすぎたせいで顔は青白く、床に伸びた身体はぐったりと力ない。

 

「銀時……」

 

 俺にも予定があるのだがとか、お前には看病してくれる子どもたちがいるだろう、とか。思うことは多々あったものの、銀時のあまりの弱々しさに口にするのを躊躇ってしまう。

 

 立ち尽くしている桂の横を、子どもたち二人が通り抜けていった。

 

「ヅラァ、やっぱり無理アル。ここにいると銀ちゃんのプリンもゼリーも根こそぎ食べちゃうから新八のところ行くネ」

「そういうことなら仕方ないね。行こっか、神楽ちゃん」

「ちょっと、お前ら……!」

 

 引き止める間もなく、二人に万事屋を去られてしまって。溜息を吐いた桂は病人を寝床に引き摺り戻した。

 

「……明日には帰るからな」

 

 永遠に生きることはない、今のまま時が止まるなんてこともない。

 

 それでもまあ、今日くらいは昔のようにと、桂は銀時の傍らに腰を下ろした。



初出:2015/01/18