「ヅラぁ。それ、どうしたが?」
「ヅラじゃない桂だ。何、リーダーにもらったのでな……なんでも福引で2セット当たったらしい」
久方ぶりに桂の隠れ家を訪れてみれば、ぺんてるの水彩画を文机いっぱいに広げて党首は絵を描くのに夢中。常ならば書簡や各種書籍が一杯に広げられるか最新式のパソコンで大部分を占められているかしている机の上。桂の作品であろう、何だか青くてきらきらした絵が我が物顔で陣取っている。
羽織にも頬にも、障子にまで絵の具を飛ばして、魂をこめて作っているその絵はお世辞にも上手いとは言いがたい。寺子屋の壁に貼ってあっても違和感のないそれを、だが笑うことなく坂本はまじまじと眺めた。漢詩も和歌も嗜む桂は、戦時から仲間内では達筆で有名だった。高杉や銀時がこっそり文の代筆を頼んでいたのをよく覚えている。斥候や軍議の際には地図も描くが、それも要点を簡潔に捕らえていてわかりやすい。
そんな桂の力作が、これ。
絵も得意なものと思い込んでいた。知らなかった。あの頃はこうやって戯れに絵を描くことすらできなかったから。楽しげに、目を輝かせて絵筆を滑らせる桂を見ていると、稚い表情に胸が愛おしさでいっぱいになる。思わず後ろから抱きしめれば、取り込み中だから後にしろ!と押しやられてしまったけれど。
坂本を押しのけた桂の手が、紙の小さな紙の上に青い丸を描きこんだ。青の上に白と緑を載せれば、それが何かは直ぐに知れた。
「地球じゃ!」
「おお、わかるか」
流石は坂本、なんて桂は笑うけれど、これがわからぬ者はいないだろう。背景からちょっと浮いているくらい、なんだかやたらとリアルに見える。
故郷の星がぽっかりと浮いて、青く万華鏡のように幻想的な世界が“宇宙”になる。
そこは坂本が命と誇りをかけて駆ける世界だ。
***
此度の地球訪問も慌しかった。陸奥に殴られ引きずられていった坂本が、桂の傍にいたのはたったの一晩。
結局あれは彼にやってしまった。児戯のようなもの一枚に小躍りし、快臨丸の私室に貼ると喜ばれればこそばゆいが満更ではない。宇宙空間を臨む強化ガラスの窓、その隣には桂の描いた小さな世界が今もあるのだろう。
存外写実的に描けた地球を見て、やたらメルヘンな背景について坂本は訪ねた。本物の宇宙は暗く、寒い。桂も実際に訪れ、ノーマルスーツ一つで投げ出されたこともある絶対の孤独の地。
――おまん、あこに行ったことがないわけじゃなかろうに。
あの場所を知ってなお、桂の宇宙は、全てを塗り潰す黒じゃない。星々を包み込みたゆたう、大洋のごとき青。
――え? ああ、そうだな……。
思いがけない指摘に、桂は一瞬だけ目を丸くしたのだった。
「気付かんのか。馬鹿なやつめ」
戦の頃から変わらんよ、俺にとってのあそこは。それは気恥ずかしいから教えてやらないけれど。
地を這い回っていた頃でさえ、青く澄んでいた美しい瞳。誰もが俯き唇を噛んでいたときでさえ、空の向こうを見つめていた目。人々の懊悩を受け止めて、苦悩する人をそっと支える眼差し。
あのまなこの奥に、桂は今も“宇宙”を見ている。
初出:2015/01/03