新王セシルの即位戴冠式は三日後に迫っていた。多忙を極める彼から「久しぶりに二人で会いたい」と声をかけられたカインに、特に断る理由はなかった――これが最後になるかもしれないと思っていたから。
「いつだろうか、最後にこうやって二人で飲んだのは」
「さあ……な」 言葉を濁したのではない。親友と膝を付き合わせて飲み明かした夜を本当に思い出せなくて、気まずさと寂しさにカインはグラスの中身を一息に煽った。 透き通ったライ麦の蒸留酒が喉と胃を焼いていく。
叩きつけるように硝子をローテーブルに戻せば、目の前のセシルが眉根を寄せた。
「そんな強い酒浴びるように飲むもんじゃない」
そう言って、背の高いタンブラーに入ったジュースのようなカクテルをほんの一口。手摘みのジュブルフカの柔らかい香りをまるきり殺してしまうそのブレンドがカインはあまり好きではない。口を噤んだ横顔に微笑みかけて、セシルはロックグラスに酒を注いだ。
呟くように謝辞を述べた“親友”がそれに口をつけるのを、紫紺の瞳がまじまじと見ている。
「……カイン」 蒼い目がこちらを見返したのを確認してから続ける。「今日どうしてこの部屋で飲もうって言ったか、わかるか」
「さっき自分で言ったばかりだろう……陛下がお一人で過ごされたこの部屋で、王になる決意を固めたいと」
呆れた目で睨まれて、セシルは軽く笑って肩を竦めた。
養父オーディンが時折籠っていたと思しき小部屋は、地下の玉座の真裏にあった。その力をリディアに託した亡き国王は生前、セシルにだけ隠し部屋の在り処を伝えていたのだった。
「もちろん、それもある……。ああそれよりもカイン」 視線の先、竜騎士の左手に収まるグラスはもう空だ。
――気分はどう?
何を唐突に。答える前にカインの意識は急速に薄れ、脱力した身体は崩れ落ちる前にセシルの腕に抱き込まれた。
「ん……う、」
寝返りを打とうとする背中が上等なシーツに擦れる。横たわっているはずなのになぜだか奇妙な酩酊感に包まれてカインは小さく喉を鳴らした。
なんとなしに引いた腕が、万歳をしたまま殆どろくに動かない。
「え……?」 手首に感じる冷たい感触。異常な事態に脳内に警鐘が鳴り響いてカインは一気に覚醒した。「な、なんだ……!?」
「よかった」
柔らかい笑い声の方に顔を向けると、テーブルに腰掛けたセシルと視線が絡んだ。後ろに手をつき足を組んで、じっとりとこちらを観察している。
何がいいんだ、と口には出さずに睨みつけた。素早く周囲に視線を走らせれば、両手両足がそれぞれ寝台の脚に固定されていた。ぴったりの長さの鎖のせいで身を捩らせることも叶わない。
見覚えのない部屋だった。
「上体をふらつかせもしない、呂律が回らなくなることもない。倒れる直前までしゃんとして話の整合性も取れてるから、薬が効かないのか心配になったよ」
あの部屋の更に奥に隠されてる座敷牢だよ。陛下はここで、誰と何をしてらしたんだろうね。……そんな顔するなよカイン。ただの睡眠薬だ、依存性のある薬品類じゃない。
テーブルを離れて狭い室内をうろつきながら流れるように話すセシルを、言葉もなくカインは目で追った。姿かたちはまごうことなき親友のそれなのに、言い知れぬ不安に身体の震えが隠し切れない。
立ち止まったセシルの眼に射抜かれて、初めて彼を恐ろしく思った。暗黒の力に心身を蝕まれていたときでさえ朝焼けの光を湛えていたはずの瞳は、カインの見たことのない色をしていた。
「これを……解けっ……!」 当たり前の要求を告げる声が情けなく掠れて上擦る。
だめだよ。天蓋の中に入り込んで来たセシルが覆い被ってきて、白銀の髪が頬を擽った。複数のランプが灯り暖炉が赤々と燃える室内に於いてもその表情は窺い知れない。
「お前はまた、僕を裏切るかもしれないだろう」
「……っふざけるな! 俺はもう正気に、」
「カインは!」 いくらなんでも心外で口調を荒げたカインだが、予想もしなかったセシルの激昂を受けて反射的に口を閉ざした。
「僕から逃げようなんてしない……バロンを出て行こうなんてしない……! 僕の知っているカインはあんな眼で月を見上げたりなんかしない!!」
“僕の知っているカイン”を語るセシルこそ、カインの知らないセシルで。怯えにも似た感覚に背筋が冷えた。昏い眼から顔を逸らしたくて、けれどそれを矜恃で堪える。
お前は僕を置いて行くんだ……兄さんのところに行ってしまうんだ。啜り泣くように、喘ぐように呻くセシルに流石に言葉をかけあぐねる。
どう言葉を取り繕おうと、カインが国を出る準備をしているのは事実なのだ。そしてセシルはそれを知っている。
「……落ち着けセシル……魔道船はもう封印された。あの月に行く方法はもう、ないんだ……!」
親友を宥めるための自身の発言で、胸にあえかな痛みが走った。ただ一人、己の闇を受け入れ欠落を分かち合ってくれた主。その人はもう、月の永い安寧の中で眠っている。
感じたのは確かに寂寥で。それがいけなかったのかもしれない。
「どうして……」
両頬を鷲掴むように右手で固定される。遠慮容赦なく締め上げられてカインは顔を歪めた。
「どうしてそんな顔をするんだよ……そんな、苦しいのを隠すような顔……!」 鼻先が触れる程の距離でセシルの闇に見下ろされる。
「ねえ、カイン。兄さんはそんなによかったのか……?」
「は……? なに、を……んっ! んむぅ、んーっ!」
質問の意図を解する前にセシルに強引に口付けられる。縛められた身体ではほんの少しの抵抗もままならない。頬の肉を押し込まれるように顔を掴まれては、口内を蹂躙する舌を噛んでやることすらできなかった。
「う、ん……っふ」
縮こまっては奥に逃れようとする舌を絡め取られ、付け根から優しくなぞられる。舌の横腹を先端に向けて辿られると、出したくもない情けない声が漏れた。
「ふぁっ! はぁ、んぅ……」
前歯の裏を舌先でからかわれて、そこからねっとりと上顎を摩られると、背筋を戦かせる感覚にカインは身を竦ませた。
駆け抜けた悪寒に全身を震わせて。
気が付いてしまった。
「やっ、ん、あ……! やぁ、っん……!」
切羽詰まって懸命に上体を揺するカインを、目を眇めてセシルは眺めていた。ぬちゃぬちゃと濡れた音に混じり鎖の擦れる硬質な音が天蓋の中に響く。
どれほど拒んでもしっかりと押さえつけられた顔は動かすこともできなかった。唾液を啜り上げながら唇を解放してやると、思いがけないことに固く瞑られていた目がおずおずと開かれる。涙に滲む瞳。濡れた唇で、カインは取り戻した呼吸を貪った。
「どうしたんだいカイン?」
開かれたまま固定された両脚、膝をなんとか擦り合わせようともじつかせるカインを揶揄するようにセシルが首を傾げる。「もしかして寒いのか?」
「ひっ!? や、やめ……」 力の籠る腿をわざとらしく掌で撫ぜられると、下腹部が堪え難い予感に引き攣れた。「外せ……! これを解いてくれっ!」
いくらカイン優秀な騎士とは言え、四肢を拘束する鉄の枷を己の力のみで引き千切ることなどできはしない。けれど今すぐ自由を取り戻さなければ――恥辱極まる想像と押し寄せる生理的な欲求に、白磁の面が青褪めて冷や汗が浮いていた。固く握られた拳の中では爪が掌を酷く傷つけていることだろう。
「言ったはずだ、外さない。外せないんだよ……お前が逃げようとするから悪いんだ」
「逃げなっ、逃げない! だから、もっ……んぅ……!」
もう言葉は聞きたくないと。再び唇に囓り付かれたカインは絶望に低く呻いた。肩と顎を抑えられたまま頬の内側をぐりぐりと抉られると、鼻から抜ける声が哀しくなる。
限界と屈辱の訪れを引き伸ばさんとみっともなく痙攣する脚やぱんぱんに張った下腹に、セシルは決して触れようとはしなかった。カインを打ちのめすのは外部の不粋な横槍ではない――己の欲求にこそ身体が服従させられるのだ。この気位の高い竜騎士に、それはどれほどの苦痛を齎すだろう。
「ん、むぅ……んーっ、」 追い詰められたカインの眦から、涙が一粒流れ落ちる。音もなくこめかみを伝う雫を拭う武骨な手が存外優しくて、カインは戸惑いに柳眉を顰めた。
僅かに抵抗が弱まった瞬間、舌をセシルの口内に引き込まれていた。
「ふぁっ!? やぁっ、あ……やぇ、」 飲み下すことすらできなくなった唾液が、垂れ流されてシーツに染みていく。
健気に身をのたくらせる舌を甘く食まれて、カインのいじらしい努力は儚いものとなってしまった。
「やぁああぁッ……! あ、あぁ……」
熱い吐息がセシルに飲まれる。汚辱と失意に隠された排泄の悦びを、カインはどうあっても認めないだろう。セシルだけがそれを注意深く拾い上げ、うっそりと笑った。
じょろ……じょっ……と不規則な排尿の音が薄い下衣越しにもなお耳に届く。緩んだ箍はもう元には戻せない。それなのに諦め切ることができないせいで、余計に滑稽な音を晒して煩悶の時間を延ばしているカインを、セシルは狂おしいほどに愛しく思う。
「赤ちゃんみたい。漏らすほどよかった?」
唐突に顔を離して問い掛けても、何一つ回答は得られなかった。気楽な平服と寝台の白を淡黄色に染め、いまだにゆるゆると放出を続ける場所を覗き込んでようやく、涙がちの制止が返ってくる。
「やっ……見るなッ!」
カインの哀願に意味などない。セシルの手がするりとベルトを抜き取って濡れた下肢を露わにする。
ごわつく生地を強引に引き摺り下ろすと、項垂れる雄の、その下生えが露に濡れて艶めいていた。
「今更取り繕ったって無駄だよ。ほら、全部出して」
「ひあぁあッ! 嫌だ、そ……な、やめ、」
だらりと力無く萎えたそれを咥え込まれ、カインは哀れっぽく尻を揺らめかせて逃れようとする。膀胱の上に手をあてて力をこめれば、押し出された残尿がちょろちょろとセシルの舌を叩いた。尿道に残るものを吸い上げられて飲み下されると、ごくりと喉が鳴るのがカインにも聞こえた。
「ん……ちょっと苦いかな……もしかしてカイン、疲れてる?」
いつもの癖で首を傾げるセシルは、明らかにどこかが異常だった。
「……狂ってる……!」
それを聞いてきゃらきゃら笑うセシルは、蠱惑的で美しかった。
「そうだよ……だからお前も狂えばいい」
「ひっ、」
ぞろりと唾液を舐められて、そのまま三度唇を奪われる。反射的に閉じた顎に舌を思い切り噛み締められても、セシルは変わらず笑っていた。
「自分のおしっこと僕の血、どっちが美味しかった?」
「こ、の……気狂い! 気違いっ……もう、許してくれ……!」
恐怖にか恥辱にか――両方かもしれない――青玉から涙が止め処もなく溢れては寝台に零れ落ちていく。セシルがその一雫ずつを丁寧に舌で掬い取ると、白い肌、眦を血の紅が彩った。
か弱く震える痩身を守る衣服をセシルは殊更ゆっくりと剥いでいく。「その気狂い、気違いにこれからお前は犯されるんだよ」
ボタンの一つさえ、弾き飛ばすような手荒な真似はしない。
「でも、勘違いしないで欲しい。僕はお前を憎んでなんかいない。許す許さないという言葉を使うなら……」
――ずっと、初めから何もかも赦してた……カイン。
ほんの数瞬。すみれ色の瞳が、遺棄された乳飲み子の目をしてカインに縋る。それはすぐさま狂気と闇の紗に隠されて、見えなくなってしまったけれど。
「っん、う、」
口付けを捧げられても、今度は抗えなくて目を閉じた。昏い瞳で笑うセシルは恐ろしかった。酷い辱めに憤りもした。けれどそれ以上に、臓腑を抉り出されるような切なさと痛みに胸が軋んで――ただひたすらに哀しかった。
そっと頭を持ち上げられて、涙がすべらかな頬を伝っていく。離された唇、血の混じった銀糸が二人を繋いで音もなく切れた。
「カイン……」掠れた呼び声。右足首の拘束を外したセシルが下衣を寛げて剛直を晒す。一度も暴かれたことのない窄まりに、昂ぶった雄が押し付けられた。
「ひっ……ぐ……!」
侵入者を拒む排出口の抵抗もセシルは意に介さなかった。どうしたって逃げを打つ腰が引き寄せられて、肉の棒を突き立てられる。みちみちと狭いそこが裂ける音が体内に響いて、けれどそれに構う余裕がカインにはない。激痛に締め上げられた喉からは叫びすら迸らず、悲愴な呼吸音が時折漏れるだけだった。
あらぬところが灼けるように熱く、思考を殺すほどに激しく痛んだ。残酷すぎる責め苦に泣き叫びたいのに、そうすることすら身体に障る。唾液と意味を持たない呻きを溢して、カインは繰り返し死を夢想した。
「はあっ……」 挿入する側であっても苦痛は免れないのだろう、僅かに脂汗を浮かべたセシルが、口元を少しばかり緩めた。
「ぜん、ぶ……奥まで……入ったね」
「っぎ、あぁああッ! いたい、痛い、やめてくれぇっ……!」
わかるか、と腰を揺すられ最奥を捏ねられて、やっと拒絶と懇願が溢れ出た。鼻水まで垂らして泣き喚くカインに竜騎士の誇りと勇壮はもはやなかった。厚い筋肉を備えた右脚が、がくがくと縮こまっては突っ張ってセシルの肩を蹴っている。
哀れな痙攣が、屠殺された家畜のようだ。回らぬ頭でそう思ったのは凌辱する側かされる側か。
「あ、はっ……も……抜いて、おねが、」
「そうだね」
「っぐぁ! や、あぁ……!」
血塗れの熱い塊が、散々に傷つけられた肉筒から引き抜かれていく。べっとりと額に張り付いていた金糸が空を舞うほどに、荒々しくカインは頭を振った。
「ぬ、ぬくなっ、うごくなぁッ!」
突き入れられて秘めた奥を混ぜられ、気も狂わんばかりの激痛にカインは打ちのめされた。だが中を占めていたものが去っていくこともまた、悍ましい苦痛と恐怖を齎した。勃起が抜かれることは蹂躙の終わりを意味するのではないと気づいてしまった――寧ろ真逆だ。
「どっちがいいんだよ」 苦笑したセシルが時間を掛けて引き抜いたペニスを勢いよく最奥に捻じ込んだ。
「ひぎっ!」
一瞬だけ意識を失うことができたカインは、それでも次の瞬間には再び覚醒させられた。持ち上げた脚を肩に掛けたセシルが抽送を開始して、ずたずたの内壁を矛先に抉られる激痛で現実に押さえつけられる。
寝台に敷かれた質の良いシーツに、サイドボードで揺らめく紅い火。肉と肉がぶつかる音と征服者の荒い吐息。性行為を示す淫靡な空気を劈くような悲鳴だけが、その場に恐ろしく不釣合いだった。
「ぎゃあぁッ! 痛い、いだいぃっ……!」
叫びすぎた喉からも、もがきすぎた手首からも血が流れ出して止まらない。それなのに中を荒らすセシルのものが徐々に重みを増してますますカインを苦しめていた。小さく呻いたセシルが、びしょ濡れの顔を鷲掴みにして上向かせた。
「中に出すからね……カイン……!」
「あっぐ……ぎあぁッ!」
一層強く押し入られてから放たれる。酷い汚辱のはずなのに、ようやく昂りを収めてくれたセシルの雄に、むしろ安堵すらしてカインは泣いた。無体を強いられた身体が限界を訴えて脳を揺さぶる。
閉ざされようとするぼやけた視界に、こちらを見下ろしている男が映った。
確かに見えたのは“あのとき”と同じ、月光の色をした長い髪。
「たす、け……――さま、」
誰をその名で呼んだかも知らず、意識はそこでふつりと途切れた。
初出:2013/06/02(旧サイト)